スパイラル ヴォルテックス カレッジは 

二元性を超越したいのちの動きである宇宙視座

進化するヒーリングLOVIGを学べる学校です。

 

本質的、かつ総合的に他者をサポートできる愛に満ちた

ライトワーカースピリチュアルティーチャーの育成を中心として

感謝と賛美を主軸にしたユートピア的スペースとしてのこの学校は 

自社のオリジナル製品という枠に囚われず

本質的な変容や覚醒を促す、進化するヒーリングLOVIG

取得出来る講習を厳選して取り揃えています。

 

自他の美を讃え、個性が極まり愛が広がる

リアルな調和と平和を顕現します。

 

 

 

なぜ、わたしがこの仕事をしているのか
なぜ、わたしがフリーダムディスティニーを
創りだしたのか。

 

それを少しづつ、お話していこうと思います。

 

北海道で生まれた
わたしの始まりは
『死』でした。

 

出産の時に仮死状態で生まれたわたしは
その後命を取り留め、母子手帳には
『蘇生』のところに丸印が書かれています。

 

重度の精神疾患であった母は
わたしを身ごもった時も
相当不安定で
胎内の環境は、最悪。

仮死状態での出産というところで
バーストラウマは最大級。

 

人生の幕開けの段階で
相当な重荷を
背負って生まれてきた私は
幼少期、悪夢の中で生きることになります。

 

母は、障害者手帳一級クラスの
重度な状態で

調子の良い時と悪い時
まるで、ジキルとハイドのように
コロコロと態度が変わる母を目の前に

心を開くと
悪魔のように変容する母親が
恐ろしくて仕方ありませんでした。

 

毎日、ブツブツと恐ろしい呪詛を
唱え続けていた母。

呪詛は時々、娘である私にも
投げかけられます。

黒魔術の儀式を
毎日見ていたのです。

 

どうして、呪詛を唱えていたのか
その訳は、30年以上経ってから
判明してくるわけですが

当時のわたしは
わけも分からず
出来るだけ、呪詛を聞かないように
逃げたり、隠れたりする以外
方法はありませんでした。

 

母は、失踪をしてみたり
自殺しようと
自腹を包丁で刺してみたり
わたしに対しての暴言や暴力を行い
刃物を持ち出して脅してみたり

失踪してみたり
裸で外に出てみたりしました。

 

どの事象も、トラウマになりましたが
最もトラウマになったのは
性的な呪いをかけられたことです。
この呪いを解くのには長い年月がかかりました。

 

毎日、何が起こるかわからない
悪夢の中で、怯えて生きていた
わたしは、母の病気が良くなることを
神に祈りました。

 

『神さま、どうか、母の病気を治してください』

 

ひたすら、神に祈っていたわたしは
祈っても祈っても
一向に良くならない母と暮らすうちに
次第に絶望していきます。

 

ここで一つ、不思議だなと思われた方も
いらっしゃるかもしれません。

それは、父の存在です。

 

一体、このような状況で
父は何をしていたんだろうという疑問です。

 

実は、あまりにも母の症状は酷かった為
精神病院に通うのはもちろん必須で
一時、入院を試みたこともありました。

 

ところが、入院生活が余りにも
牢屋のようなところで閉じ込めて
縛り付けるだけであった為

 

父が『あんなところに入れておいても良くならん!』
として、連れ出してきてしまったのです。

 

父は、筋が一本通っている人で
やり通すと決めたことはやり通すという
大変尊敬している部分もありましたが

母を病院から連れ出す件については
私は大反対していたので
連れ出してきてしまった父のことを
ある時まで、ずっと憎んでいました。

 

母は、父の前では調子よく振る舞い
それでいて、日中は地獄という日々が続きました。

わたしが父に本当のことを話すと
次の日に余計酷い仕打ちを受けるため

わたしは、次第に本当のことを
話さなくなっていきました。

 

また、ある時本当のことを
母に話そうとした際に
それは嘘だと言われ
本当だと言い張った際に
嘘だと認めないなら、
殺すと刃物で脅された際に

実際にあった事実を貫き通すことよりも
嘘をついて生き延びるということを決め
それが、日常となりました。

 

わたしは、嘘をつくのが
とても、上手になりました。

 

それと同時に、希望を幾千と打ち砕かれて
希望を抱けなくなっていました。

 

人間は、本当に希望を抱く度に
打ち砕かれると、希望を抱くことすら
出来なくなります。

 

あまりにも辛すぎる現実を
終わらせたくて8年ほど
毎日命を絶つことばかり考えていました。

 

または、母と同じように
自分も気が狂って
わけがわからなくなることを
切望していました。

 

学校でも人間関係を
まともに築けなくて絶望していました。

 

まともでいることが苦しくて
亡くなるか、気が狂うことでしか
救われない気がしていました。

 

そんな意識で生きていた
私の周りではその当時
次々に人が亡くなりました。

 

中学の際には
叔父が自ら命を絶って亡くなり
学校のクラスメイトが
自ら命を絶ちました。

 

死を願い、死と隣り合わせであった私が
死ぬことを思い留まったのは

身近で、自ら命を絶つという
亡くなり方を
目の当たりにしたからです。

 

叔父の場合は
何日も家族が泣きはらしている
悲痛な光景を目の当たりにし

いじめ苦による
クラスメイトの死は残酷で
首謀者のクラスメイトたちは
亡くなって反省するどころか
死んだことを嘲笑していました。

『死んでも、解決にはならん!負けるものか!』

という怒りが、わたしを生かしたのです。

 

こうして、死と隣り合わせの
8年でしたが
次第に、状況は、好転していきます。

 

生きようとしながらも
自分を傷つけたい
願望が消えなかったわたしは

世間一般で言う
『してはいけないこと』
を一通り行って荒んだ
学生生活を送ります。

 

たちが悪いことに
解りやすく不良少女のような
出で立ちや仲間とつるんでいれば
解りやすかったのですが

 

普通にしか見えない上に
隠したり、嘘をつくのが
上手かったので行いは
誰にも見つかることはありませんでした。

 

手をつけなかったのは
麻薬や覚醒剤の類と
人を傷つけること。

それ以外のことは
大抵、全部行いました。

 

万引きなどは、当時
かなりの数行いましたが
いつも完全犯罪のため
結局一度も見つかったことはありません。

 

わたしのように
見つからないタイプの人間は
自分で始めたなら
自分で辞めなければなりません。

 

他者に見つからなくても
自分は自分を
ずっと見ています。

 

リストカットまがいであったり
身を売るまがいのことをして
自分を傷つけることでしか
生きている感じを
味わえない気がしていましたが
全て、自力で決意して
辞めていきました。

 

人生の転機は
18歳の時に進学で
東京に出ることになったことです。

 

東京に出るのは
両親から大反対され
親不孝ものだと言われましたし
病気の母を置いていくことに
罪悪感がないわけではありませんでしたが

 

それでも、何を言われても
自分の自由を選びました。

 

共倒れになることより
他の人を置いてでも
自分が先に幸せになることを
選べない人は多いですが

とても決心は固く
晴れて上京することになりました。

 

上京して、自由を得て
友人や彼氏などと交流をすることで
本来の自分を少しづつ取り戻して
いきました。

 

ただ、ここで新たな問題が発生しました。

当初、音大に入りたかったけれど
金銭的に音大が難しくなったため
東京に出ることだけを
考えて入った学校だったので
学校が物凄くつまらなかったのです。

 

自分の興味が全くない
栄養士の学校で
一年留年しながら
なんとか卒業しました。

 

昔から、つまらないことを継続することが
できない人間だったので
次第に社会に打ちのめされていきます。

 

就職活動をして
そこそこの会社の営業事務
いわゆる、OLになるも
三ヶ月で退社。

当時、存在していた
セクハラに激怒して
あっさり辞めてしまいました。

社員として唯一勤めた会社を辞めた後は
アルバイトで職を転々としました。

 

喫茶店
レンタルビデオ屋さん
テニススクールの受付
レストラン
夜間のコンビニ

など、職を転々とし続けました。

 

世間一般には、職を転々とする
ということは良くないことと
されていましたから
仕事を継続できないわたしは
自分は仕事ができない
ダメ人間なんだ。という
負い目がありました。

 

そんな中で、唯一
肌に合っている仕事がありました。

それは、喫茶のカウンター業で
のんびりしているところで
カウンターにお客さんが来られて
お話をするのです。

 

お話をすることで
ほっこり癒されていく
お客さんを眺めながら
いつか、お話をするだけの
お仕事ができたらいいなと
淡い期待を抱いていました。

 

お話をすることは
とても自然で
わたしらしく在れることでした。

 

お仕事のことでは
相変わらず、悩んでいましたが
それ以外においては
どんどん幸せになっていき

心理学やスピリチュアルを学び始め
自分に起こっていたことや
母に起こっていたこと
生きる意味や人生の意味を
問いました。

 

そして、もう一つの転機が訪れます。
結婚と出産です。

出産を機に
唯一肌に合っていた
喫茶のカウンター業を
辞めることになりました。

 

自分がしたような
体験はさせたくないと
自分が陥りやすいようなパターンを
心理学などで学び
息子に繋げないように心がけていきました。

 

そうして、家族との触れ合いや
育児に専念していたので
外で働くということは
頭にありませんでした。

 

外に働くことはできなくても
家で仕事をしよう。

天職を求めていたわたしは
インターネットが
普及したてだった当時
海外からベビーカーを輸入し
自分でネットショップを
立ち上げるという
チャレンジをしました。

 

これは、大変上手くいき
事業は成功しました。
このお仕事は
とても楽しくやり甲斐があり
夢中になって
寝る間も惜しんで
お仕事をしました。

 

幸せな家庭を得て
育児をしながら
お仕事に関しても
ようやく、水を得た魚のように
自分の力を発揮できた気がしました。

 

これまで、仕事を何をやっても
上手くいかなかったのは
わたしは、雇われることや
決まった作業をするのが
とても苦手だっただけで
自由に好き勝手に
創造的に仕事を生み出すのは
とても得意だったのだということが
わかったからです。

 

海外のベビーカー輸入事業は
とても上手くいきましたが
唯一面白くない側面がありました。

せっかく、素敵な商品を
バイヤー目線で選び抜いて
日本にいれても、直ぐに
他のバイヤーに真似されてしまうのです。

 

たった一つの
自分しか輸入していない商品
というところに
妙味を感じていたので

段々、仕事がつまらなくなってきました。

 

金銭的には、このお仕事は
とても儲かっていたので
続けるのが一般的かもしれないのですが

 

つまらないことが
続けられないわたしは
オリジナルブランドを
立ち上げようと
思い始めます。

 

ベビー用品のネットショップを成功させ
自営業が自分の肌に合っていると感じた私は
得た資金でオリジナルブランドを立ち上げます。

 

デザイナーの友人と
オリジナルブランドを立ち上げ
一点もののアクセサリーや
革製品などを販売しました。

 

これは、新たに『ゼロから生み出す』
という喜びがあり、一時、商品は
有名デパートに置いていただき
お客様にも喜んで頂きましたが
新たな問題として、メーカーの悩みを抱えます。

 

一点ものなので、安売りは出来ないけれど
在庫が売れていかないと、回転していかないのです。

 

メーカーとしての活動を数年行っていくにつれて
『物ではなく、空間や場を提供するのが自分らしい』
と感じるようになりました。

 

そして、自身の経験から
『以前のわたしと同じように、苦しみを抱えている人に
人は、誰でも幸せになれるということを伝えたい。』

という思いが溢れ出し
経験を活かして
人に伝える活動をし始めます。

 

全てはひとつ
全ては愛である
至高体験を体験して
三ヶ月ほど、何を見ても愛だと感じ
何を見ても美しいと感じる日々を過ごしました。

 

心理学では超えられない壁も超えました。
全ては自分で創りだしていることで
様々な謎も解けました。

 

同じように
真理を体験した仲間と共に
潜在意識開発のメソッドを作成し
活動をし始めます。

 

セミナーを開いたり
セッションをしたり
コラボイベントを開いたり

教える。という行為は
私にとって、とても自然でした。

 

呼吸をするかのように
わたしは、わたしらしく在れたのです。

 

自分の仕事に誇りを持って
活動していましたが、メソッドを使って
活動を進めていくにあたり
ひとつの疑問が沸き起こります。

 

全力で愛を伴って取り組んでいても
変化していかない人がいるのです。

当時、目の前で変化されていく割合は
変化する6割、変化しない4割
といったところでした。

 

4割にわたしは着目しました。

次第に、当時の仕事のパートナーと
方向性の違いを感じ始めました。

パートナーは、エンターテイメント性
の完成度が重要で、変化しない人は
決意が足りない、弱いのだ。
と考えていました。

 

一方わたしが最も重要視していたのは
エンターテイメント性の完成度には興味がなく
目の前の方が、本質的に変化するかどうか
という、ただ一点でした。

 

セッションを行えば行うほど
一人一人、答えは違う。
オリジナルであるということを痛感し
そのうち、型にはまったメソッドという方法で
指導することに次第に苦しさを感じ始めました。

正直、この方法では限界があるというのが
観えてしまったからです。

 

何故なら、メソッドをつくるということは
メソッドをつくった側の答えの出し方が
そこには存在するだけで
本当に、受ける側が自分の答えを自分で出す
助けにはならない。と解ったからです。

 

こうして、潜在意識開発や心理学
マインドレベルだけで
解決するというところに
疑問と限界を感じ始めたわたしは

次第に、エネルギーの世界に
突入し始めます。

 

エネルギーを学びながら
社会を変えるなら、経営者層を変えて
協力体制を取っていくのが
手っ取り早いと考えたわたしは

起業スクールのカウンセラーとして
一般の方だけでなく
経営者層のカウンセリングや
起業志望の一流大学の将来を期待される
若者のカウンセリングをし始めます。

ところが、その実態に驚かされます。

成功して、何億、何十億という会社を持っていて
表面的にはなんの問題もなさそうに
見せていても、実態は、家族の問題などを
山ほど抱えていました。

 

お金を稼ぐゲームのようになっていたり
仕事への喜びや意味が感じられなかったり
素敵な家庭を世間に演じるための
仮面家庭があるけれど
実際は愛し合っておらず
それでは癒されないので
別の場所で癒されているなど
実態は様々でしたが

最も問題と感じたのは
シャドーの切り捨てです。

 

プライバシーの問題がありますので
詳しくは書けませんが
何十個もビルを持っている社長さんと
商談をする機会があったのですが
当時、誰かと会うと
いつもそうであったように
気がつくと、自然とカウンセリングになっていました。

 

『どうして、誰にも話したことがないのに
初めてあった君にこんな話をするのかは
わからないけれど』

そう言って、ご家族がみんな引きこもりで
動けなくなって悩んでいることを話されました。

 

人は、強い部分だけではなく弱い部分も
あるものですが、経営者の場合、極端に
強くて出来る人間で振る舞い、会社でも
できる人間以外は切り捨てるなどしていくと
このように、弱さ、自身のシャドーを表す場所は
極端に家族が引き受けることもあります。

 

例え、事業で成功していても
統合とは、真逆の方向に
行っている場合も多く

富を既に築き上げていればいるほど
それらを『守る』ということも
意識が向けられているようでした。

経営者層の意識を変えるのはガードが固く
想像以上に困難でした。

 

一方、将来を展望された
一流大学の学生はというと
自信があるかと思いきや
全くありませんでした。

 

学歴という上乗せの自信だけが
高く高く積み上げられていて
その積み上げているものは
もろく、取り外しできるものだったのです。

 

何をしたいかも、全くわかっていませんでした。
むしろ、何をしたいか。ということを
不感症にすることで
その学歴を手に入れた印象でした。

 

社会の実態や問題を
目の当たりにしながら
わたし自身も家庭内が大きく揺らぎます。

結婚10周年記念で出向いた
軽井沢での秋晴れのある日。
学びが終わったため
これからは、元夫とは一緒にいないと
はっきりわかってしまったのです。

仲の良い家族でしたので
とても受け入れがたいことでしたが
どんどん変容し、進化していくわたしと
元夫の波動が合わなくなり
『学び終わった』ということは
より鮮明になっていく一方でした。

 

息子の幸せを考えると
家庭を壊すということが出来ず
中々、離婚まで踏み出せずにいると

もたもたしているうちに
夫の家系カルマの影響が
家庭に一斉に降り注ぎました。

息子は学校に行かなくなり
夫は職を辞めることになり
私は動けなくなりました。

 

この時、わたしは霊障にかかっていました。
霊障という言葉すら、当時は知らなくて
最初は自分がそうであるとは
とても信じられませんでした。

アニメか漫画の世界に踏み込んでしまった
ような気分でした。

 

今では自身もシャーマンとなり
はっきりと言えることは
霊障は珍しいことでも
特別なことでもなく
皆さんが思っている以上に
とても多いということです。

 

動けなくなる。ということを
人生で初めて体験したわたしは
動けない辛さを痛いほどに痛感します。

 

何の気力も湧かず
家事も何もできずに、数ヶ月間
ただ、横になって寝ていることしか
できませんでした。

そして、何もできない自分を
ひたすら責めていました。

どんどん、ただ、時間だけが過ぎて
お金だけが無くなっていく中で
なけなしのお金で
信頼できるシャーマンの方に
霊障の解消と夫の家系カルマの解放を
行っていただき
ようやく自分を取り戻し
動けるようになり、離婚をします。

 

その時、わたしは実体験として
霊障がいかに、人の思考を変えてしまうか。
『自分が自分と思っている自分』が
本当の自分の意識ではなく
霊障やカルマや人間関係の影響を
受けているのか。ということを痛感したのです。

 

ほとんど、何もかも、失ってしまいました。
夫も。お金も。物も。仕事も。
ダンボールに4箱だけが
全ての荷物でした。

 

350円しか銀行の口座にお金が無くて
コーヒーが飲めなかった時もありましたが

すべてが破壊されても
ここが底だとわかり
新しく創っていき
全ては良くなっていけるという
根拠のない自信に満ちていました。

 

こうして自身の体験から

『マインドレベルだけで取り組んでも本質的には変わらない』
『至高体験をしても全てが変わるわけではない。カルマは無くならないし、統合もエネルギー的に行わないと変わらない。』
『満たし、癒しだけのヒーリングや、マントラなどを使った瞑想だけでは、覚醒時に起こりうる事象に対応出来ない。アセンションが進むと更にそうなる。不十分。』
『どんどん実現力が増し加速していった際に、望みそのものの質を見極めないと、大変なことになる』
『カルマや霊障、人間関係の波動が思考や感情に与える影響がどれほどまでに多大であるか』

ということを学んだわたしは

これらのことに対応できる
『本質的な変容』『進化』
『覚醒対応のエネルギーワーク』
というところに重点的にフォーカスして
集中して学び、技を習得し続け
提供していくことになります。

 

そうしていくうちに
母の精神疾患の謎が解けていくのでした。

母はわたしが毎日かかさず
本質的なヒーリングを
行っていけばいくほど
年々、変化していきました。

重度の母の精神疾患は
霊障が原因で、霊障の中でも
もの凄いパワフルだったのだと
わかりました。

 

どうして、霊障にかかるのか。

昨今、宇宙霊障など様々なものも
ありますので、全てではありませんが
一般的に霊障は、自分以外のものに
力を明け渡してしまう時に起こります。

 

自分以外のものに
力を明け渡してしまうこと自体を
終わらせていかないと
霊障は終わりません

 

ただ外すだけでは
本人がまた引き寄せて
つけてしまいますから

つけなくなるように
深いレベルで霊の癒しが
起こらないと変わらないのです。

 

霊障の解消と霊の癒しを
根気強く行いました。

 

母とわたしの仲が
壮絶なほどに悪かったのは
過去生の因縁から
互いに憎しみを抱いてきた
ことが原因であったことも
わかりました。

 

母とわたしは過去に
色々なことがあり過ぎて
今世、母と娘という関係性で
純粋に愛し合いたくても
難しい状態だったのです。

 

母は懸命に娘を
愛そうとしても
過去生の関係性が
今世にもかかっていて
それが純粋な母と娘という関係性を
構築することを困難にしていました。

 

母とわたしに挟まれていた
父もまた、今世のしがらみが発生し
複雑に糸は絡み合い
収集がつかないくらいの
関係性の糸ごしに
わたしたち家族の関係性は
存在していたのです。

 

『糸ごしにしか、お互いを観られない』
状態だったのです。

『なぜ、精神的な病気が生まれるのか』
『なぜ、母とわたしの仲は憎しみ合いなのか』
『なぜ、争いが耐えないのか』

小さい頃から抱いていた
自問自答の答え。
それは予想を遥かに超える答えでした。

 

母はどんどん好転し
家族の仲も劇的に
好転していきました。

様々なクライアントさんのケースに
対応していくうちに
とても多くの方が同じ苦しみを
抱いていました。

 

人間関係の苦しみです。
両親に対して憎んだり恨んだりしていたり
家族の仲が大変なことになっていたり
パートナーとの関係性が上手くいかなかったり

幸せになれない原因のひとつの要は
人間関係なのです。

 

心の奥底では
誰もが愛し合って
誰もが仲良くしたいと願っていても
あまりにも打ち砕かれすぎて
傷つきすぎて
愛し合うことを願うことすら
諦めて無理だと思いたくなるくらいに
なることがあります。

 

それでも心の何処かでは
純粋に愛し合えることを
願っていて。

希望すら抱けないほど
自覚すら出来ないほど微かに。

本質的な変容の
様々なエネルギーワークを駆使して
総合的な覚醒を提供していたわたしが
最も悩んでいたのは
この人間関係の修復のところでした。

 

覚醒が進まなかったり
人生が好転しないのは
『どこかの歯車が動かなくなっている』場合です。
どの歯車も動き始めたときに
人生は好転します。

ところが、人間関係において
決定的に修復する
エネルギーワークが
世の中に存在しなかったのです。

 

そんなある時
『人は、誰でも幸せになることができる』
『運命は変えられる』
という私の魂の誓願の元に

オリジナルワーク
『フリーダムディスティニー』が誕生します。

 

 

今世だけでなく、過去生まで含めた
全ての『しがらみの糸』を解放しなければ
何も変わらない。

 

今直ぐ、幸せになっていい。

 

純粋な愛に戻り
ゼロから、関係性を構築できる
フリーダムディスティニーのワークは

どんな絶望的な状況であっても
決して諦めずに好転して
夢にまで見た、仲の良い家族を得た
わたしの人生そのものです。

 

多くの方が家族やパートナーとの
人間関係を修復し
人生を、運命を革命しました。

 

現在人生の集大成である
フリーダムディスティニーを始めとした
オリジナルワークの提供。

 

本質的な変容を伴い
日本人の総合的な覚醒をサポートしながら

ライトワーカーの育成や
スピリチュアルティーチャーの育成を
行っています。