この世界には 
ひとりしかいない
 

だから、誰かに対して
思ったことや
言ったことは 
自分にかかる魔法

=======================

☆期待に答えようとする
☆見返りを求める
 

この2つはワンセット。 
 

どちらかが、外れれば 
外れていくほど、 
もう片方からも自由になります。
 

自分自身からの自由♡

=======================

何もかもわからなくなる
そのプロセスを大切にして 
ください。
 

何もわからなくなるときが 
あります。
 

これがしたいとか、 
あれがしたい。
今まで色々あったのに、 
願望実現とかそういうことに 
興味がなくなるときがあります。
 

今まで、 
はっきりとしたものがあって
それが活動的であればあったほど、
海の底にいるような静寂や、
動けない感じや
 

何もかもがわからないという 
未知の自らの感覚に不安になる 
こともあるかと思います。
 

欠乏やカルマといった 
ものからの動力源が切り替わり、 
魂の声に耳を傾けはじめるときが 
あるのです。
 

何もわからなくなって  
何も動けなくなる
 

そのプロセスは  
実はとても大切なのです。
 

その幕間が。
その静寂が。
 

あなたが望む道へ 導いてくれる  
道標なのです。

=======================

自分が毛嫌いしている人
あんな人だけにはなりたく 
ない。と思う人が 
存分に表現して活用している 
その嫌いな力が
 

実は 自分にはそれがあり
ましてや、そのエッセンスを 
発揮することが必要だなんて
認めたくないし 嫌だし 恐いし。
 

でもね。 
自分が向かいたいところに 
いくために
自分が等身大の自分になるために
そのエッセンスを使う必要がある 
場合もあるのです。
 

大丈夫。 
大嫌いなあの人と同じだけ  
その力を、今すぐ発揮しようと 
思っても出来ないし
 

その人になる必要はないし
今まで沈黙の中、 
培ってきた、 
共感力や寄り添う力や 
理解力が、あなたには 
既にあるんだから。
 

エッセンスは、 
取り扱い説明書を読んで
容量と使い方をちゃんと 
知っていれば、 
 

あなたという料理を 
輝かせる素晴らしい力と 
なるのです

=======================

アドバイスが欲しいときも
あるけれど、 
答えはもう自分の内側で 
決まっていて
 

ただ、 
話を聴いてほしかったり
ただ、悲しかったり 
疲れてしまったり 
怒りをそのまま共感して 
あげたり
 

そんなことが必要なときも 
あると思うのです。
 

寄り添う力と、共感する力と、 
聴く力。
 

それは、 
少し冒険に出ていた子どもが 
ほんの少し立ち寄りに 
帰ってきたときに
話をきいてあげる母のような。
 

そして、元気になったら、 
また冒険に出ていく 
子どもの背中を眺める 
 

母の愛に似ているのかも 
しれません。

=======================

未来を見すぎる傾向のある人へ
 

未来を見据えて 
クリエイトすることは 
素敵なことです。
未来を見る傾向が強い人は、
成長意欲に溢れています。
 

ですから、決して、 
未来を見る傾向が強いことは
悪いことではありません。 
 

しかし、成長とは  
<自らの現状の否定> 
を見ることで
生まれるものです。 
改善が求められるからです。
 

未来をみるが故に、 
自分に厳しくなって 
しまう傾向や 
 

未来をみるが故に、 
確定していない未来に 
不安を抱いてしまうことに 
時間を裂きすぎるという 
自覚があるならば 
 

未来に意識を向けすぎそうに 
なったときこそ
 

今 既に出来ていること
今 既にやっていること
今 既に感じていること
今 既に在る幸せ
今 既に体験していること  
に意識を向けることです。
 

また、
これの特効薬として、 
未来をみる方が常に
<距離>を感じた見方をしており
変化する ということに 
価値を置いていることが  
多いことから
 

その<距離>を感じた見方を 
取り入れた方法によって
<戻し成長>を見ることで 
不安がかなり緩和されます。
 

<戻し成長> とは、 
意識をあえて、 
数ヶ月前に戻します。
 

そこから、どれだけ  
<今>の自分が成長し、 
変化したかを見ます。
 

マインドは、
<成長> を <今>  
に感じるので
 

<成長した自分>という今を
肯定しはじめるのです。
 

達成感は、   
特別なゴールをつくらずとも
実はこのように、 
いつもいつも<成長した自分>
を振り返ることで、 
感じることができて、 
 

そうすることで
そこに欠乏を感じている人は、 
 

自分で自分を癒すことが 
できるのです。

=======================

調子にのってる自分にOK。
勝負強い自分にOK。
自慢げな自分にOK。
 

賢い自分にOK。
統率力がある自分にOK。
世渡り上手な自分にOK。
パワフルな自分にOK。
 

(闇との統合中。自身への
アファーメーションを込めて)

=======================

何か誰かに対して 
好意的なアクションを 
起こしたとき。
 

同時に既に 
受け取っているのです。  
すべてを。 
 

同時に既に 
還ってきているのです。  
すべてが。
 

それ以外は  
見返りと呼ばれます。
 

無条件の愛の度合いが 
増えれば増えるほど。
 

わたしたちは、 
自由になるのです。
 

わたし自身からの

=======================

<わたしだったら、どうするだろう>
 

なぜ、  
あんなやり方をするの?
 

どうして、 
あんなに気が利かないの?
 

なんで、あんな手法なの?
。。。。。 etc
 

生きていると、  
学んでいく際に 
様々な疑問が湧きます。
 

その疑問は、 
時には怒りさえ感じながら 
<違い> を知ってきました。
 

さあ、今度は。
それを 覆すとき。
 

違いとは、 
方向性が違うだけなのです。 
 

逆にいうと、 
<どの方向に自分が 
 進んでいきたいかを
 教えてくれているのです>
 

太陽に顏を向ける 
向日葵のように
 

あなたが  
疑問に思っている、 
その答えに  
 

あなたが なる時なのです。
 

<こうすればいいのに 
 これがあったらもっといいのに>
と思ったことを  
あなたがする番なのです。
 

あなたの太陽は  
あなたが知っているのです

=======================

自らの壁を突破していく姿を
眺めさせていただく幸せ
 

それぞれが
自分の幸せを生きていく姿を
眺めさせていただく幸せ
 

それぞれの壁に 
直面するときもある。 
 

それでも、 
みんなそこを超えていく 
強さをもっている。 
 

ここでいう強さとは、 
弱さすら受け止めていける強さ。 
 

自分が吐きそうになるくらい 
嫌悪感を抱く闇ですら 
統合していける強さ。
 

その信頼と共に。
揺るぎなく在ることが    
わたしの仕事。

=======================

自らの存在が 
<理解>である方の
悲しみを知っています。 
 

なぜなら、 
どこにいっても 大抵
 

<自分は他者を理解してきた 
 ようには 
 相手は自分を理解しない>から 
  

不平等さや、自分が損である。と 
どこかに感じています。
 

それは、親とか 友人とか。
パートナーとか。
 

いつもいつも 
<理解できないことを  
 それすら受け止め理解し、
 受け入れてくるしかなかった>
はずです。
 

しかし、 
世界にとって自らの存在が  
<理解そのもの>である 
ということは 
 

<理解という特性が際立っている>
ということは
 

つまり、そういうことなのです。
理解力が際立っているから、 
不平等なのです。
 

その不平等さは、 
ただ不平等のままだから 
苦しいだけであり 
 

その事実を受け入れて、 
価値として認めてしまったとき
その理解力を活かせるのです。
 

既に 誰かにとって 世界にとって
あなたの理解力は 価値なのです。

=======================

先ほどの補足。
 

嫌だと思う人と向き合って
一緒にそのままいた方が良いですか?
 

という質問をされることがあります。 
どちらにしろ、
自分なのだから向き合わないと
また訪れると思うから 怖いので、
今無理してでも向き合おうと思います。
 

というものです。
それも1つの答えだし、 
逃げる、離れるも1つの答えです。
 

例えば、暴力や嫌がらせなど。 
そういう相手とは離れたいと感じたら、 
離れることです。
 

それは、逃げると見えるかもしれませんが 
自分を大切にする行為です。
 

嫌だと思う相手と向き合うことと
「一緒にいないと、逃げることになる」
というのは、別物です。
 

自分を大切に。
先ずはそれが最優先です。

=======================

シンプルに外側に 
何かをみたとき。
内側に還るときです。
それが 唯一 
混乱から脱却する方法です。
 

嫌だな〜 と感じる
人のパターンってありませんか?
 

自分はそういう人ではないのに
そういう人に会ってきた
(または会った)と感じる場合。
 

それは自分が切り捨ててきた 
自分のシャドーです。 
 

シャドーとは、 
自分が切り捨てた感情で
<実は 自分の中にあり  
 抑圧されています>
 

『こういう人にはならない!』と
どこかで決めて 
それを実行している可能性が 
あります。
 

どんな表現をするかは、 
自由ですが
他者に見た時。 
それは自分にないものでは 
なくあるものです。 
 

シャドーは、 
切り捨てた自分なので
到底、受け入れがたいもの 
であると思います。
自分には、 
絶対ないと思えるものです。
 

自分にあるもの以外は  
見ません。
 

表現方法が異なるだけで、 
<同じ痛み>を見ているに 
過ぎないのです。
 

その人は  
それが自分にあるよ。
(気付いていないよ。 
 抑圧しているよ) 
と教えてくれているに 
過ぎません。
 

どんなことを現す人が 
嫌いでしょうか?
 

・怒りっぽい
・依存している
・弱音を吐く
・甘えん坊
 

・意見をはっきり言う
・きちんとしてない
・言い訳ばかりする
・支配的な人
・陰口を言う
 

・泣き虫
・マイペース
・嘘をつく
・じめじめしている
・まじめ
 

・自慢する
・愚痴を言う
・暗い
・調子に乗ってる
・場の空気が読めない
 

・自分勝手
・わがまま
・人を振り回す
・頑張り屋さん
・まじめ
・人に気を使う
 

例えば、以前、わたしは 
依存している人がとても 
苦手でしたが
 

それは、ただ単に 
自分も持っているものに 
反応しているだけでした。
 

ただし、わたしの場合は 
<極端な自立(頼れない)>
というところで現していたので、 
それに気付けなかったのでした。 
 

依存している人というのは、 
<自分を信じることができない。 
 自分の強さを現さない、
 隠している> 
 

極端な自立を現している人 
というのは、 
<他者を信じることができない。 
 自分の弱さを現さない、 
 隠している> 
 

こうしてみると、 
等身大というのは、 
大きく振る舞おうとしても
小さく振る舞おうとしても、
 

どちらにしても、 
<等身大ではない>
ということがわかるように、  
 

他者に 
<逆>にうつるように 
なっているのがわかるかと 
思います。 

自分にない。 
とすればするほど 
<外にそれをみて嫌だと感じます> 
 

内側にかえして、 
自らにあることを認め、 
許し、癒し、愛することです。 
 

そうすると、 
外にそれをみても、 
さほど嫌とは感じなくなります。 
そして、他者の痛みに反応せず、 
気にならなくなります。
 

そうはいっても、わたしも  
まだまだ、苦手だな。と感じる 
要素あります。
 

それでも、 
1つ1つ一歩一歩 
自分を愛して受け入れて 
いくことは、
わたしにとっては 
かけがえのない喜びです。 
 

そして、そのとき  
どの瞬間も、  
いつも目の前の誰かは 

 
<わたしがわたしを  
 愛せるようになる>ことを  
 

助け促していてくれていた 
のだと知るのです。

=======================

伝えることって  
難しいですね。
 

特に1対1ではなくて
全体に伝えることって、 
とても難しいと思います。
 

誰かにとって 
楽になる言葉をかけようと 
思ったら、誰かにとって 
苦痛かもしれないからです。
 

例えば。<死>
<命を断とうかどうか悩んでいる人> 
に向かって 
 

『人生 一度きりです。 
 この肉体をもって生きる生は 
 1度しかないのです』という 
 

<一度きり>を 
強調して話した際に
 

その場に同時に 
<自ら最近命をたった家族がいて、 
 悲しんでいる人>
がきいたら、 
 

もっと悲しくなってしまうかも 
しれない。
 

逆に 
<自ら最近命をたった家族がいて、 
悲しんでいる人>に向かって
 

『命は 永遠です。 
 決して失われることはありません。
 永遠なのです』という 
 

<永遠さ>を 
強調して話した際に 
 

<命を断とうかどうか悩んでいる人> 
が自分の都合よくとったら、 
 

苦しさから開放されるかも 
しれないと思って 
命をたつかもしれない。
 

例えば <ありのまま> 
 

<我武者らに一生懸命 
 頑張りすぎて
 自分を否定している人> 
に向かって 
 

『もっと力を抜いて
 楽に生きてもよいのですよ。 
 行動ばかりしなくても
 存在しているだけで 
 素晴らしいのだから』
 

ということを 
強調して話した際に 
 

その場に同時に
<自分がしようと思ってることから
 逃げている人>がいたら、
 

やっぱり行動しないで 
このままでいればいいんだ。と
逃げ続ける口実にするかもしれない。
 

逆に 
<自分がしようと思ってることから 
逃げている人>に向かって
 

『自分のしたいことと向き合って、 
 行動してみることは大切です。
 行動することではじめて 
 生まれることがあるからです』 
 

ということを 
強調して話した際に 
 

<我武者らに一生懸命 
 頑張りすぎて
 自分を否定している人>が、 
 

それを更に自らの 
プレッシャーにして 
余計頑張ってしまうかも 
しれない。
 

こんな話を  
昨日のオープンクラスで 
チラっとしたのです。
 

ところが、その時は 
自覚はありませんでしたが 
実は予告だったようです。
 

昨日 わたしは 
<離れる。という選択も愛です>
ということをお伝えしました。
 

全体的に、
これを伝えると楽になる方が
多かったように思ったので
お伝えさせていただいたのです。 
 

おかげで楽になりました。 
との声も多くいただいたのですが
100%ではなかったようで 
 

<離れる。という選択も愛です>
という話が
読者の方の中には 
痛みを感じることであったのだった
のだ という事実を知りました。
 

こうして、 
どんなに頑張ったとしても
すべての人が納得するような
言葉をかけることは出来ないのです。
 

だとしたら。 
だからこそ。なのかな。
<感じることの自由>という 
他者の思いを100%受け止めていって
 

わたしは、 
わたしが思ったことを  
わたしの伝え方でお伝えする 
こと以外にできることはないと 
思っています。
 

わたしの発したことに対して、
どう感じたか。
 

それは、 
みなさんが決めていただくこと。
 

そして、それと同時に、 
その方が痛みを感じた事実は 
事実なので、
『ごめんなさい』 
と その方にお伝えしました。
 

本当に、この世界は
ごめんなさい と ありがとう  
で出来ているのです。 
 

知らず知らずのうちに、 
生きているだけで、 
影響を与え合い、
 

そしてそれは決して 
ポジティブなことだけではなく、  
このような痛みとして
起こることもある。 
 

それを 
受け止めていくことが、
自由な表現をするという  
ことです。
 

読んでくださっている 
読者の方へ
 

関わらせていただき  
感じていただき。
影響を与え合えることに  
感謝しています。
 

そして、これは  
受講生のみなさまに  
いつもお伝えしている 
ことですが
 

わたしの話の中で、もし、 
ご自身のためになりそうな 
ことがあれば使ってください。
 

わたしの話の中で、 
自分の真実と違っていて  
ご必要なさそうであれば
 

どうぞ きれいサッパリと 
捨ててしまってください。 
 

全てが、 
わたしと一緒の考えで 
あるわけがないと思います。
ですから、いいところどり 
してください。
 

そんなスタイルでいると、 
少し楽かと思います。
 

自分にとっての真実を 
どうぞ大切になされてください。 
 

みなさまが
自由に幸せに生きられることを  
心から望んでいます。

Aya

=======================

いつもいつも
わたしが創り出した景色
 

誰かのせいだったことは 
一度もなくて。
例えその時は 
マインドで自覚がないことでさえ、 
本音が叶っていることを 
いつかの今に知っていくのです。
 

今日は用事があって池袋に来ました。
様々な思い出があるこの地。
時間がない日の今日訪れて 
 

どの瞬間ですら 愛されていて
ただ、自らの幸せに向かって
歩んできたのだと
改めて感じずにはいられません。

=======================

ちょっとマニアックな話。
 

昨日の人生の学校のオープンクラスにて。
<黒だと思ってることの 白い点>
 

これをみることで、みんなすんなり
受け止めることができた光景をみて。
 

昨夜、白の中の黒
黒の中の白。というのが
連続で続いているイメージがあり。
 

わたしにとって、 
話が噛み合ない。と感じる場合と
話が噛み合う。と感じる場合の
視点の違いが この図で少し解明
できるような気がしていました。
 

話が噛み合ない、 
見ている景色が違うと感じる場合。 
 

大きなフィールドの黒の話、もしくは
白の話の割合、<量>の話に着目して 
話が進む場合。 
<黒か白か。どちらかである>  
というスタイル。
 

この場合。<点>に着目されないので、
白の中にある黒を。  
黒の中にある白。もあるのにな〜。。。
という思いが湧きます。
 

話が噛み合う。
見ている景色が同じと感じる場合。
 

大きなフィールドの黒の中の白 
それを両方言って通じたとき。 
もしくは、白の中の黒。 
それを両方言われたとき。 
 

どれもある という感覚に着目して
話が進む場合。
それぞれの<点>に着目していて
<白も黒もどちらもあって、
 どこも切り捨てていない>
という感覚がしっくりくる感じ。
 

連続で続いているイメージというのは
さらにいうと、
この点の中にもさらに逆のカラーの点が 
あるのです。
どこまでも、エンドレスに続いているような。
 

そんな視点から、お仕事をしておりますが
黒一色と思っている人が、 
そこに白を発見したときに
生まれる許しと開放と受容。
これは、最も喜びを感じるお仕事の一つです。
 

人が自らの力を活かすためには
黒の中の点の白をみて、 
罪悪感や否定を開放することも
1つの方法だと感じます。

=======================

光の仕事をする人は  
明るく照らして 
隠れている闇を見つけるのが 
得意なんじゃないだろうか。 
 

闇の仕事をする人は  
漆黒の闇に潜む光を見いだすのが 
得意なんじゃないだろうか。
 

太陽と、漆黒の闇に光る星。
そんなことを思いました。

=======================

ブログで色々書く前に 
こちらに一言。 
 

<寄り添うことも愛だし 
 離れることも愛>
そんな状態のとき、 
人は迷うのだと思います。
 

そういうとき。
離れられない。ということを
例えば、執着とかいう言葉を 
使うことも出来るのだろうけれど 
 

人を愛するって  
そんな簡単に割り切れるものでもないし
そんな言葉をこの感情に当てはめるのは  
全然薄っぺらくて。 
 

人間の感情って、 
どこかが突出していない場合もあるのです。
どれもこれもあるときがあると思うのです。
 

そんなとき。もし 
<それは執着なんですよ。>  
とか言われると その不一致さが 
検討外れをさしているのを感じます。
 

本当は、 
もっと崇高で美しいものだからです。
 

わたしが、ここでいう崇高さや美しさは
どろどろの中にありながら  
それでも、失われないもので
 

闇の中にも それがあるのだと
それそのものだと みているような
意味合いです。
 

どちらをとっても愛はあって、 
そうしたとき
その葛藤や迷いさえ 美しさを感じます。
 

どうやら、わたしは  
闇に美を見いだしていて
もっというと、闇とか光とかという
どちらかに絞るという概念が 
乏しいところがあって。
 

何かに対しての美のことを話すと、 
なぜ美しさばかり見えるのか。 
 

決して、ポジティブばかりを 
みているわけではなく
むしろ、闇をみるのが好きな
くらいなのですが
それをそのまま受け入れてしまう
その感覚が 他の人にとっては 
不思議なのかもしれません。

=======================

朝から辛口。
 

世の中一般にウケが良いのは
「お金」か「恋愛」です。
 

実際に、ブログでお金の記事を書くと
アクセス数が2倍になったりします。
 

これは、お金や恋愛に限らず、 
何にでもいえることだと思うけれど、 
こういうアプローチから入っている
ところで、学ぶ際には
よく質を見極めたほうが良いです。
 

先日、 
世の中のセミナーがどんなものなのか。
とあるセミナーに見学しにいきました。
最近は厳選されたエネルギーワークしか
受けていなかったので、社会見学。 
 

それは、女性性のセミナーで、 
内容的に理論的にわかりやすく、
世の中一般的の人には 
わかりやすいのだろう。
と思えるようなものでした。
 

ところが、目的がマインド優先で 
<彼氏をつくる>ためにそれを行う
ものだから 
 

<モテルために、女性らしくする。
 つまり、ハッキリ言ってしまうと
 自分以外のものになる。
 偽りの女性らしさを くっつける> 
ということを推奨しており、 

 
そこでかなり学んで 彼氏ができた
という人がそこの宣伝をするのだけれど、 
もう見ていていたたまれなかったです。
 

とってつけたような女性らしさを 
くっつけるだけでなく
様々な存在をくっつけていて、 
あまりの濃さに卒倒しそうになりました。
 

本来の自分に回帰するのを 
促す人たちがいる一方で
本来の自分から遠ざかるのを 
促す人たちがいる。 
 

偽りが生み出されていくプロセスです。 
 

その現場を見てきて ある意味 
衝撃的でした。
そして、開催している人は 
エネルギーのことがわからないのか。
そのことに、全く気付いていないようでした。 
 

むしろ、彼氏が出来て 
目的達成して 成果をあげている。
と満足げな感じのようでした。 
 

世間一般で行われていることを 
垣間みたような気がします。
 

自分を見失う。という言葉がありますが
本当に 今の時代。  
自分をしっかり保っていないと
あまりにも、様々な存在に
影響されすぎると 見る人が見たら
 

誰ですか?。。。。。。。。
という状態になりかねないのだと 
思います。
 

そのプロセスも、 
その人にとっては完璧だから
わざわざ激しく偽りの自分になっていく 
というプロセスを経て
偽りの自分を愛してくれる人と恋愛をして
 

そこから、偽りの自分を愛してもらうことの 
無意味さを知るという
プロセスを経て、 
本当の自分へ回帰していって、その自分を愛して
くれる人と愛を育んでいけるのかな。。。
 

そうなら良いけれど、あんまり
ディープに自分を見失って 
どこまでも行ってしまうと
どこまでも行けてしまう時代だから。
 

これからの時代
<質>に気をつけていかないと 
大変そうです。

=======================

なんて、あの人は  
わからず屋なんだろう!
って思って  
怒りが湧いてくることありませんか?
 

わたしも あります。
切り替えがはやいといいですよね。
 

根源的な癒しに取り組んでいくのも 
大切ですが
けっこう時間がかかったりするものなので
原因が既にわかっている場合は特に有効な
応急処置編。です。
 

切り替えをはやくする方法として
4つの 問いかけをしてみてください。
 

* 理解されないことへ 
  痛みを感じているのは なぜ?だれ?
 

* その人が 
  <理解してくれるはずだ>と
  知らず知らずのうちに期待を
  していなかった?
 

* わからないのは 本当は 誰?
 

* 自分以外の誰かが、 
  自分と同じだけ 自分のことを 
  理解してくれるという期待を 
  していなかった?
 

この4つに取り組むと、大抵切り替わります。
切り替わるというのは、  
自分の内側にかえりますので
責めるところからは脱却できますね。
 

そうして、自分にかえったところで  
自分のその痛みを
セルフヒーリングしてください♪
 

共存と応急処置と 
根本治療のすべてを巧みに使って
生きていきましょ♡

=======================

誰かが価値と思えるものを
提供するから 価値なのです
 

自分が価値と思っているけれど、 
誰かにとって価値でなければ、 
価値は発生しません
 

よって、価値観が変われば
投資する必要なくなるものも
でてくるし
逆に新しく投資することも
あるでしょう
 

得ても得なくても
どちらにも幸せはあります
 

失っても失わなくても
どちらにも幸せはあります
 

大切なのは、 
心の赴く方へ向かうことです。
 

自分にとっての真実を
生きてください。
 

私の言葉も 必要なければ
捨ててください
 

進化をすることは大切ですが、 
未来のために生きて
いつかの自分のために過剰に動くと 
今の幸せを見逃します
 

そのバランスをとることが出来るのは 
自分だけです。
 

今のあなただからこそ
楽しめる何かがあって
    
 
今のあなただからこそ
喜べる何かが必ずあります
 

それを十分にやり切って 
楽しんでください
 

私たちは 喜びに生きることを 
選択してもよいのです。

=======================

課題とは成長の現れ
 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 

課題が浮き彫りになったときこそ、 
今既にある幸せを感じてみることです
 

ほんの数ヶ月前では 
想像もつかないくらいの 
自分がいるのを感じられるでしょう
 

きっとこの課題も超えていくのです。 
言い方を変えると 
課題が通り過ぎていくのです

=======================

同じところから
景色を観ている人と
言語が通じる幸せ
 

違うところから
景色を観ている人の景色が
そうなんだ。と発見する幸せ
 

安らげるのは、
同じところから景色を
観ているときであり
 

拡大するのは、
違うところからの景色も
1つの真実であると
受け入れたとき
 

どちらもあって どちらもいい。 
 

真実とは  
だれかによって決められるもの
ではなく
自分の内側が知っているものであり
 

そうでありながら  
自分にとっての真実がこれだ
とか 違う。
と感じることができるのは 
他の誰かとの対話を通して
知ることができたのです。
 

宇宙は教えています。
自分を。
 

宇宙は与えています。
答えを。

=======================

否定、嫉妬、無視、 
依存、嫌われること
 
 
全部、受ける覚悟で 
あなたが進みたい方向へ 
進んでください。 
 

外側のそれを排除しようと 
すればするほど、
それは力を持ちます。
 

排除するどころか、
それはむしろ 内側へと
戻していくものなのです。
 

その現実を受けることを 
覚悟して受け入れていったとき
それはさほど脅威ではありません。 
 

あなたが 
自分らしく生きていれば必ず
目の前の景色には
否定の中に 肯定もあり
無視の中に 注目もあり
嫌悪の中に 好感もあることが 
体感できるでしょう。
 

例えば、嫉妬とは
関心と注目と嫌悪が混ざったもの 
でもあるのです。
 

そんなシンボルとしての自分自身を
あなたまで一緒に嫌うことは 
ありません。
あなたまで一緒に否定することも 
ありません。
 

どんな時も 
あなたは あなたの1番の 
理解者なのです。
 

あなたが 進みたい方向へ 
進んでください。
 

Aya

=======================

現実化のスピードが 
はやいことについて。 
 

時に 現実化がはやいことを 
羨ましがったりする場合がありますが
そういった場合。大抵 
<はやいことの利点> 
しかみていません。
 

はやいというのは、 
すべてにおいてはやいのです。
思ったことがすぐに叶う感じなのです。
 

今遅いと感じる人は、 
今くらいのタイムラグがあるくらいで 
ちょうどよいのです。 
<選び直す ゆとりがある>からです。
 

はやくなればなるほど、 
1つ1つの丁寧な選択と
思考への責任を感じずにはいられません。

=======================

恐れは なくすものではなく  
越えていくものです 
 

緩和、軽減することはできても  
完全に消し去ることはできません。
もっというと、 
消し去る必要もありません。 
 

見つめ、認めていけば  
あっても恐れは力を持たなくなるのです。
それこそが 共存という力です。
 

ちょうど180度どこを見渡しても 
ドアのない壁に覆われているように 
感じていたのに
ふと、上をみたら天井があいていて  
空に飛び立っていけるような
そんな感覚です。
 

そうしたら、後は実際に 
<飛び立つ力>を養い、 
空へ飛び立っていくことになるのです。
 

壁があるかどうかが問題では 
ありません。
あってもなくてもどちらでも 
かまわないのです。
 

そうではなくて、 
<上を観る> <視点を変える>
ということが、 
そこからあなたを開放し
自由にすることなのです。
 

そのためには、 
恐れとの共存を受け入れて 
越えていくことです
 

つまり 
<壁は 180度どこを見渡しても  
 あるものだ>
という、 
<恐れの八方塞がり>を真に受け入れ 
共存し あきらめたときに 
 

新たな視座と新たな道筋が  
あなたに訪れるのです

=======================

側にいて 寄り添うことだけが 
愛じゃない 
 

時には 離れることも 
愛なんだ。
 

誰かとの最善の距離は  
成長と共に変化する 
 

自分にとっての喜びに 
沿わなくなったとき
離れることで 育つこと  
育まれることがあると知ること
 

自分は側に居ずとも  
誰もが宇宙から離れることはなくて
孤独と感じるときでさえ
 

静かに そっと 
宇宙に育まれているのだと

=======================

これがあるから。。。
出来ないとか
こういう状況だから。。。
出来ないとか。
 

出来ない理由。 
つまり言い訳をしていることに
時間を費やすくらいなら、 
出来るようになるために
時間を費やしたいとそう思います。
 

そうはいっても、 
誰もが臆病で変化は恐いもの。
だから、言い訳も出てくる。 
 

出てくることが悪いわけじゃなくて  
そんな自分も嫌わずに
出て来たときに、 
 

<どれほどそれに時間を 
 費やすかどうか>
なのだと思います。

=======================

実際にやってみることは 
大切ですね。
やってみなくては、 
わからないことがあるのです。
 

成功か、失敗か。 
そんなことは本当はなくて
失敗ですら、賢い人は
次に活かすことができます。
 

そうしたとき それは 
『経験』 です
 

経験は 積めば積むほど  
自らの糧となります。
 

運動会の玉入れ。
どんな風に投げていましたか?
 

玉をもって、丁寧に見定めて 
どうしていましたか?
 

投げましたよね?
それで、入った感覚、 
入らない感覚をつかんでいって
どんどん入るようになっていくのです。
 

そうです。 
「こうなったら、
 この角度で投げたらどうなるか」
と頭で考えるのではなく、 
感覚でつかむものなのです。

=======================

現れるのがはやいです
どれに関しても。
 

人に言っている言葉が
最もアファーメーションとして 
働くのは自分自身。
 

どの「ことば」を
わたしは、わたしに
かけていくのだろうか。

=======================

お誕生日のコメントをした際に
「綾さんは、青白く光る星の 
 イメージがあります」と
素敵な方が、コメントを返して 
くださりました。
 

これは、自分の中である  
自分のずっと変わらぬイメージ。
 

星と、音と、水と、風。
それは、わたしをつくっている 
そのものなのだと思います。
 

太陽が、すべてを照らすならば。
わたしは、闇の中で瞬く星のような。
 

毒々しかったり、 
そんな部分も多々あるわたし。
その毒を、わたしに観る人も 
いらっしゃいます。
 

そんなわたしは、 
青白く光る星からは、 
遠く思えるような時も
あったりしながら、 
変わらぬ感じで自分の奥に 
感じていたりもします。
 

過去生含めて、 
ありとあらゆる闇をパワフルに 
経験してきました。
経験してきたからこそ、 
解る痛みがあって。
 

これからも、 
わたしはわたしを知っていくと 
思うのですが
 

自分の中での  
1つの揺るぎない確信は
 

<深い闇を知り尽くさないと、 
 最も高い青白い温度の星には 
なれず、 光れない>
ということです。

=======================

それぞれにとっての道があります。
 

それが例え逆方向に見えたとしても、 
その人にとっての選択を 
生きていくのです。
 

自分が変わっていくとき、 
景色も変わっていくことがあります。
 

この数年、物凄く目まぐるしく
景色が変わってきました。
 

今そしてまた、 
「離れる」という決断が 
一つテーマになっているように 
感じます。
 

いのちであれば、 
くっついたり離れたりは自然なこと。
 

人間は情がそこに湧くので
離れる側も 離れられる側も
悩んだり葛藤したりします
 

自分の幸せを生き 
選び取る覚悟というのは、 
そういう人間的な自分が 
痛みと感じることさえ、 
受け止め責任をとることなのです。
 

それでも、 
自らの幸せを生きていった時、 
新たに観えてくるものがあるのです。

=======================

車。
 

車に必要なものはなんですか?
アクセル。と ブレーキ。
そのどちらもが 大切なものです。
 

こころのことも同じ。
あなたにとってのアクセルを
サポートしてくれる人もいるでしょう。
ブレーキをサポートしてくれる人も 
いるでしょう。
 

アクセルをサポートしてくれる人。
どんどん進むことを 
サポートしてくれますから
心地よく楽しいですね♪ 
 

ここをサポートするのに必要なのは
「闇を光としても使えるように  
 1つのものであると観る力」です。
 

そして、 
ブレーキをサポートしてくれる人。
これは、あんまり面白いとは
感じないことが多いです。
 

しかし、後に自分の進みたい方向に 
進めていることを 
サポートしてくれていたと知ります。
 

これは、物事を進化目線で捉えて 
いないとできないことです。
クリエイトという現象だけに 
フォーカスしていては、
決してできません。 
 

内側をよく観る力、 
心の奥の声を読み取り  
広い視座から物事を捉えて
マインドの声も大切にしながらも、 
心の奥の声を伝えます。
 

ここをサポートするのに必要な力は
「闇を見つめ受け止める力。 
 揺るぎなくその人の本質の美しさを
 観る力」です。
 

人には、それぞれ 
得意としていることがありますが
アクセルとブレーキ。
どちらものサポートがあると
最高のサポートの中で生きていることを 
実感します。
 

それは、1人でのサポートで 
足りる場合もありますし
場合によっては、 
2人以上のサポートが必要な 
場合もあります。
 

そして、それは  
自分が知っているのです。

=======================

人は、物事を 
みたいようにみるものです。 
 

それらの偏りが  
ジャッジをつくりだしていました。
ですからそれらは様々な形で 
変化していくでしょう。
 

ある事象に対して  
偏ってみていたものがあれば
振り子のように逆側に振れることも 
あります。
しかし、過度に振れていたものは、 
逆側にも大きく振れるものです。
 

それは怒りを伴うときもあります。
そういった現象が今、多く起こって 
いるのは 偏った見方が 
緩和されていく段階として 
とても自然なことです。
 

また、怒りを伴った逆側の 
振り子に関して
自分がみたときに  
<どう感じるか>は自分次第です。
 

そこで、恐れを感じるのか、 
嫌悪感を感じるのか。 
同調するのか。何を感じるか。 
そこで、自分を知ることができます。
 

大きな幅で揺れている 
振り子に対して
自分がどう在るかは
どう感じるかは 自分次第です。
 

そういった 
<感じることへの責任> 
をみていくことで
自己を確立していくことになります。
 

ここから益々、 
ある事象に対して、 
あまりにも偏ってみてきたもの 
に関しては、至るところで 
修正されていきます
 

露見する。明らかになる。 
ともいえるでしょう。
そういった、揺れ動きの中での自分。
 

ネガティブと思っていたことに 
対するポジティブさ。
ポジティブと思っていたことに 
対するネガティブさ。 
 

すなわち、同等であることを 
知っていく道筋が確かにそこにあり、 
進化目線でみたときに
起こっていることのすべてが  
順調であることを知るのです。

=======================

生きていれば、 
面白くもなんともないことを 
言われることもある。
 

直接言われることもあれば、 
噂として入ってくることもある。
本人が、知らないようなことまで 
知っていること
びっくりするようなこと。
 

根も葉もない噂。事実ではないこと。
他者が好き勝手に言いふらして、
噂が一人歩きをすることもある。
 

それも、また、 
その人にとっての真実であり
そういう人の言うことを信じる人も 
人の言うことを鵜呑みにする人 
なのだろう
 

面白いのは 例えばそういうことが 
自分の身に起こったとき
決してデメリットだけが 
発生してるわけではなくて
自ずと自分の目をもっている人が 
厳選されて集まってくる。
 

誰かが感じたことではなく、 
自分が感じた確かさ。
惑わされないこころ。 
自分のみたもの。感じたもの。
その感覚を大切にできる人が 
集まってくる。
 

そうしてみると、 
根も葉もない噂が
厳選された人との関わりや
信頼関係を築くきっかけを 
つくっているのだ。

=======================

中国の方から親切に
してもらった話をききました。
それは、想像するより優しいせかい。
 

中国の方のすべてが、 
わたしたちがイメージするような
人ばかりではないのですが、 
わたしたちは 
カテゴライズされたものに対して 
あるイメージを抱きます。
 

それは人種、国や、 
価値観などの違いの際に
起こりうる現象なのです。
 

自己啓発よりのスピリチュアルの人が
所謂、次元よりのスピリチュアル 
(ヒーリング等)を嫌う理由の一つ 
としてあげられるのが
 

「ヒーリングを受けてきたけれど、 
 依存だけ起こって
 現実が何も変わらなかった。」
という悩みの方が、そこに来るのです。
 

依存。ということに関していえば 
ヒーリング等を行った際に
実際に起こりうることである。 
と言えます。 
 

なぜなら、人は 
閉ざしていた心を開いた距離の 
度合いによって
<元々あった、依存が出てくる> 
からです。 
 

それは、 
決して急に生まれたわけではなく 
元々あったものですが
そう見える。そう感じる。 
ということはありうることなのです。
 

さらには、ヒーリング業界で、 
その依存を利用して意図的に 
それを利用している人もいます。
 

逆に、 
次元よりの所謂スピリチュアル的と
言われる人が、 
自己啓発を嫌う理由と1つとして
 

「過度な自己啓発を望む人は、 
 承認欲求で動いており、 
 様々なものをくっつけているだけ」
 

「行動を主体として、やらないと 
 今すぐ向き合えないとダメな人と
 ジャッジされ 
 否定されるのが苦しかった」
という悩みの方が、そこに来るのです。
 

否定やジャッジ。 
ということに関しては 
自己啓発等を行った際に
実際に起こりうることである。 
と言えます。 
 

なぜなら、 
行動に価値をおいているので、 
それをしていない人は
無価値という考え方が根本にあります。 
 

それによって、 
傷ついたと感じる人がたくさんいます。
本当は、傷ついた。 
ということ自体が存在しませんが
そう見える。そう感じる。 
ということはありうることなのです。
 

さらには、自己啓発業界で、 
その否定感、無価値観を利用して
意図的にそういう人を支配下におき、 
従わせる人もいます。
 

どちらが、どう。  
ということは言えません。
どちらも、こんな感じがあることは 
事実なのです。
 

どちらの世界の極をみてきましたが、 
お互いの主張はある意味、 
もっともである。とも言えます。
 

カテゴライズ。というところで、 
ジャッジをするのは 
それぞれの自由ですが、 
そろそろ<その人そのもの>を賢く、
健全な目線でみていく時かと思います。
 

人は完全ではありません。
自分も完全ではないように。
様々なものがおり混ざっています。
 

完全でないのに、 
すべて完全な人を求めると
いつまでたっても探し求められません。
 

それでも、自らの課題を自覚しながら
愛しながら向き合っている人は
何だか美しさを感じて惹かれます。
 

そうして、 
そんな人と生きていけることが
わたしにとって、 
幸せだと感じることなのです。

=======================

独りに思えたときも
いつも側にいるよ
 

いつだって、片時も離れずに 
一緒に時を過ごしてきた
 

止まることなく 
今まで 胸の鼓動を動かしてきた
 

絶望と希望は対極にありながら 
同時に存在していて、 
 

その時希望は 
「いのち」 
という意味合いで使われる

=======================

人生は 
独りパズルのようなもの。
誰かという 
ピースとピースの合う瞬間の 
発見の喜び。
 

人生は  
独り神経衰弱のようなもの。
自分で隠して。 
見つけにくいようにわざと 
バラバラにする(笑) 
 

裏になっているカードを  
チラ見して チラ見して
そうして、ペアにしていく喜び。
 

そんな遊びをみんなしてる。

=======================

不信感からの脱却。
心を開くこと。
 

もう、こういった  
根源的なことからも
開放される時がきた。

=======================

別々の課題 別々の問題と 
捉えていることを 
視座を変えて融合させると
 

実は 課題同士を合わせると
それこそが、 
両方を解決する答えである
と観える
 

世界は完璧。

=======================

自分の喜びがわからない。。。 
という人へ
 

喜びがわからないけれど、 
苦しみや悲しみが見つかるなら
例え、今そうは思えなかったとしても、 
 

それこそが 
あなたの喜びなのです。
 

自分の良いところが見つからない。。。 
という人へ 
 

良いところは見つからないけれど、 
嫌なところや 
悪いところが見つかるならば  
 

それがあなたの 
素晴らしいところなのです

=======================

もったいない感からの 
選択を脱ぎ捨てよう
 
 
今の自分にあった  
最善を行っていくことで
結果的に自らを押し進めることに 
なるのだから
 
 
もったいない感からの選択を 
脱ぎ捨てたとき 脱皮のように  
一回り成長している自分がいる
 

やどかりが 家を幾度も変えるのは
自分に合わなくなったから。
 

それは新たなる  
ステージのはじまり
 

***********************
 

最近、こういったことを 
選択する場面が多いです。
 

既にとってある、 
会場とかを変更したり。
今度は、ブログだって。
今まで、人生の学校をFC2で 
書いてきたけど 
やめて違うサイトにするという 
メッセージが(;゚ロ゚)
 

今まで大切にしていたとしても
来る時がきたら、 
あっさり脱ぎ捨てる。
 

そんなことが 
今大切なのかもしれません。

=======================

わたしはね。
もう、楽しみたいの!
とにかく楽しみたい。
 

わたしが、楽しい♡っていうのは、
みんながやりたいことをやって
 

やりたいことをちゃんと見つめれば
オリジナリティ性が高いものだから
(もしくは、オリジナリティ性が 
 高いと自覚するものだから)
 

誰とも過度に競う必要もなくって
お互いを尊重し合っているので
得意な分野を活かして助け合っていけて
むしろ、すてきだよね♡って
 

他者という<わたし>のカラーに 
感動していって。
 

もし競うものがあるとしたら
今の自分自身と成長と内面と 
競うことをしながら楽しみながら、 
それが自然と誰かの価値に
なってるっていうこと。
 

あなたって最高♪
わたしって最高☆
のせかい。
 

だから、そんな感じで
どんどん行くところまで 
いっちゃおう〜 って 
そんなことを 改めて思いました♪

=======================

Yes!な朝♡
いい感じ。いい感じ♡
 

受講生のみなさまが 
どんどん喜びに向かって 
始動していくのを眺める幸せ 
 

すごくご機嫌で、嬉しくって 
ちょっといたずらっ子みたいな 
表情になっちゃう(o゚▽゚)o゚
 

本来、こんな感じで 
いたずらっ子的な要素満載の 
わたしなのです。
いたずらっ子は、 
悪質だけじゃなくて、 
いい感じの方でも活かせるのだ。
 

人によって、
それぞれの課題があって
人によって、 
やりたいことは違っていて。
人によって、喜びは違っている
 

あなたの幸せと、みんなの幸せ。
その一致を世界は望んでいる。
その呼応こそがあなたらしさであり、 
オリジナリティ。
 

だから、自分の喜びを突き詰めれば 
突き詰めるほどあなたでなければ
届かない人がいるよ。
あなた を待っている人がいるよ。
 

そうだからといって、 
今動けない人は 
ちゃんと動けない理由がある。
 

その理由は後からわかります。 
無駄な動きをしていなかったのだと。
だから、そんなに焦る必要はありません。 
 

でもね、そういうときは、 
焦っちゃうとは思うのです。
わたしも、散々やりました。
ただ、焦りを感じつつも、 
そうなっちゃうんだろうな〜。。。と
こころのどこかで、知っておけば 
いいのです。
 

時期やタイミング。それらは、 
何も決めていないようでいて
完璧なまでに、 
お互いが待ち合わせしているのだから。
そして、 
完璧なまでに出逢っていくのだから。
 

痛みが痛みを元に 
連鎖をすることもある。
そして、それは内側にひっくり返せば 
止められる。 
 

喜びは喜びの元に連鎖をする。
そして、それは 
わたしたちの本質であり、源であり、
止められないし止まらない。

=======================

イベントのお知らせです♡
 

どうして、イベントの告知  
7月入ったのに、まだしないんだろう〜
とか思っていたら、 
要素が今日超えたところまで 
だったからでした(笑) 
 

はあ〜。超えたところを伝えるって 
決めると、その前に必ずこうして
超えることが起こるから笑えるわあ。。。(汗)
 

そんなつぶやきは置いておいて、 
今回もその時々の方々に合わせて 
自由に行っていこうと思います。 
 

2014年後半の話とか、 
人生に対しての動体視力の話とか
ドラゴンのワークも行っちゃいます♪
盛り沢山な感じですが、 
ピンと来られた方はぜひ〜♡
 

【人生の学校】7月クラス  
 ドラゴンの風に乗って
『2014年後半』『動体視力』
 

【日時 場所】 
7/19(土) 14時00~16時30分 東京都世田谷区桜新町
7/24(木) 14時00~16時30分 神奈川県新百合ケ丘
7/27(日) 13:00 Skype 休日クラス
7/30(水) 13:00 Skype 平日クラス      
 

【主催】 Aya
 

【代金】 ¥4,000 
    (ネットで、こちらのイベントのシェアを
     していただいた方は3,000円です。 
     シェアは、フェイスブックでも 
     ブログでもどちらでもかまいません。)
 

こんな方におすすめです♪
 
*波に乗って行きたい
*自分の人生をよく観る力
 『動体視力』を養いたい
*スムーズな人生を歩みたい
 

*自由と喜びが自分の中で
 大切なキーワード。
*見て見ぬふりをしてきた、 
 チラ見をしてきた部分と向き合いたい
*カルマを超えたところで、 
 自由に創造していきたい
 

*自分の課題は、表現である。 
 と認識している
*人生を、制限なく 存分に楽しみたい
*ドラゴンが好き。ドラゴンに興味がある。
*どこにもないものを、つくりだしたい
 

*両親のことと自分では向き合いきれて 
 いないところがあるような気がする
*恋人関係、男女関係で、すごく悩んでいる
*新しい仕事や新しいことをはじめていきたい
*マインドテクニックは一通り学んで、 
 その次を探している
 

*仕事をもっと発展させたい
*グローバルな視座で、 
 物事をはじめていきたい
*ミクロとマクロの視座の両方を 
 理解していきたい
*趣味を超えて、
 他者と共感していく何かをしたい
 

お申し込みはこちらから

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2014年も後半に入ってきましたね。
宇宙の追い風を感じる今日この頃です。
 

人生の学校の7月のクラスは
2014年後半のお話と、 
自分の人生をよく観る力『動体視力』
のお話をしていきます。 
 

また、後半は
ドラゴンの風に乗るワークを 
行わせていただきます。
 

今、軌道に乗っている方は、 
よりご自身の路をスムーズかつ 
躍進できるように。 
 

人によっては、 
あと一歩の後押しの一歩だったり、 
今年の後半から来年にかけて
取り組んでいくことを押し進める 
ことになるかもしれません。
 

どちらかというと、 
短絡的なことではなく 
グローバルな視座から
生み出されるような何か、 
それに取り組んでいけそうな時期です。
 

それに向かって行く際に、 
何かの課題があって詰まって 
進めないものがあるならば
それを開放し、 
向かいたい方向に押し進めていくような 
ワークとなっています。
 

逆の言い方をすると  
やりたいことじゃないことは 
やらなくて済むようになります。 
 

それは、例えば
陸上競技などでは、カーブの際に
インコースの方がはやく進みますね。
そんな感じで、 
ご自身のカーブに差し掛かったときに
そのインコースを選びとって、 
スムーズに進んでいくような感覚です。
 

自らの望みの中には、 
欠乏や渇望といったものが、 
含まれている場合があります。
 

そして、そうでなさそうに思えて、 
自我の願いが、絶妙に混ざっている 
こともあります。
 

そして望みの中には、 
自らの課題も混ざっていることも 
あります。 
 

ここでは、ただの願望実現。 
ということに留まるのではなく
そんな自分の欠乏感や渇望を自覚しながら、 
どうやってつき合っていくのか。
 

また、自らの課題をどう超えていくか。 
ということもお話していきます。
 

自覚をすること。 
自分のことを知る。ということは
先手を打てる。ということです。
 

それは、自分の人生に 
予防対策をつけることでもあります。
車でいうと、ハンドルや、ブレーキを 
ついている車を選ぶことができるのです。
 

ハンドルやブレーキのない車を 
猛スピードで走るとどうなるでしょうか?
 

ハンドルやブレーキを持っている 
というのは、しっかりと、 
デメリットや陥りやすい傾向が
みることができるということです。
 

こんな話をすると、 
手放し運転をすればいい。と思う人も
いるかもしれません。お任せの運転です。 
 

しかし、
自分のことは、よくみえないものです。
手放しは自らの人生を 
コントロールすることを防げますが
 

その一方で、 
手放しで乗っているように
自分では思えても
その動力が欠乏やカルマからの 
ものであった場合、
欠乏やカルマの方向へ向かっていく 
ことになります。
 

スピードがアップすればするほどに。
自分のことを自覚して、 
自分のエンジンが何で動いているのか
動力源と向き合っていくことは 
とても大切です。
 

また、
スピードがアップすればするほどに
どちらの自分も現れるのがはやくなります。
 

その時に必要なのは『動体視力』です。
はやければ、はやいほど。 
その景色の瞬間の1つ1つを見逃さない 
動体視力を養うことは、 
ここから大切になっていきます。
 

どちらにしろ、スパイラルになるのなら、 
どんなスパイラルを望みますか?

=======================

誰かの傷が気になるのなら
それは、 
見ているものが、自分が持っていて
それを受け入れていないからです。 

 
まあ、そんな感じで 
何事も一方ってことはなくて。 
誰もが傷をかかえながら 
生きているものだから
 

こうして、お互いに 
傷と傷が磁石のように惹き付けあうと
それはそれは不細工だったり、 
ぎこちなかったり
そんな感じの形を形成するし
 

相手の傷はよくみえるものだけれど
 

それは 自分だ。ということと
愛だ。ということは  
見失わないでいたいものです

=======================

考えを統一したい人は
何故統一したいのだろう
 

何を変えたいのだろう
何を変えたがっているのだろう
 

統一は 崇拝を生み出し
崇拝される人と 
崇拝する人を生み出す
 

統一は、強者と弱者を
生み出す
 

何を選ぶのも自由だけど
個人的にその感じはやり尽くして、 
飽きてしまった。
 

バラバラでいいな
バラバラがいいな
 

それぞれが、それぞれの
心の赴くままに♪

=======================

答えの出し方は人によって様々。
2+5-3+8=?
 

2と5を足して、7。 
7から3をひいて4。 
4と8を足して12
 

2と8を足して10
5から3をひいて 2
10と2を足して12
 

2と5と8を足して15
15から3をひいて12
 

全部あってるから
好きなやり方でいいんだよ
 

心もそうだよね。
 

わたしのように
2+5-3+8=2+5-3+8
 

って感じで 
そのまま捉えている心の人は 
誰かに 12でしょ。 
と決めつけられると
全然しっくり来ないと思います。
 

そうしたら、自分の答えは
2+5-3+8=2+5-3+8
 

それもまた、正解の1つなのです。

=======================

逆特別。
 

そんな造語を勝手につくって
みんなに話しているけれど、 
これって伝わりやすい言葉だな〜 
と思っております。
 

何かというと、 
一般的な概念として特別感は
自分の方が出来ている。 
自分の方が勝っている。
ということだったりしますが
 

逆特別は 
「自分が 一番苦しく不幸な 
 経験をしている」
という競争において、 
「自分が一番勝っている」
というものです。
 

これは、特別感ではなさそうに
思えますが
「不幸自慢」であり、
結局のところは 
特別に行き当たります。
 

誰かと自分の不幸を比べることは 
できないし
誰かと自分の幸福を比べることも 
できないのです。
 

誰かの悲しみを  
小さな悲しみだ。
とジャッジすることは  
できないのです。
 

本人以外は、 
悲しみの度合いを計ることなど 
できないのです。
 

本当は、そうなのだけれど、 
景色に観るということはわたしには  
まだどこか心の奥底に不幸自慢が
存在していたのかもしれません。
 

そんな逆特別をもっていなくとも
わたしそのものの存在の自信と共に  
生きていきたいなあと  
そう思います。

=======================

あんなことをしてしまったと  
罪悪感を感じているあなたへ 
 

その時はそうするしか 
なかったのです
 

同じように 自分も 誰かも
みんなみんな  
 

そのときはそうするしか 
なかったのです

=======================

そうか。 
やっとハッキリわかった。
 

癒しに対してバッシングしていたり、 
嫌っていたり
 

癒しに対して取り組んでいく中で
もっとここを癒した方がいい。と 
癒しを勧める人に対して
怒りをもっていたり
嫌ったりする共通点を見つけた。
 

「癒されないと 何も出来ない  
 何かをしちゃいけない
 したい何かよりも、癒しを
 先回しされること」
 

これに対しての怒りであり  
これが嫌なのです。
 

わたしも、 
こういう心境になって 
癒されていないわたしは、 
何かをしちゃいけないんだ。
となったとき、 
ほとんど絶望的で、
生きた心地がしなかったものです。
 

自分がやりたいことが、 
いつも後回しになることは
かなりの苦痛なのです。
 

その一方で 
癒し人であれば  
内側がすべての原因であり
満たすのは、外側ではなく内側である。
と見ているだろうから、 
 

その人の内面  
欠乏感がよく観えるわけで、
行動、アクションに移す前に、
欠乏から動こうとしている事象に関しては 
 

そこを満たしたほうがいいよね。
とアドバイスすることは、 
ごく自然のことです。
 

山に登ることを見ているか、 
その山を遠回りの路とみるか。
それは、見ている方向によって 
異なるんだ。
つまり、山登り目線と、進化目線です。
 

わたしは、こうしてみると、 
山登り目線と、進化目線。
どちらも大切にしたいんだな〜。。。
と思います。
 

相手の望みは、<体験>が必須かも 
しれないから。
山登りがしたければ、 
その動力を自覚しながら登ればいいし 
同時に癒していけばいい。
 

登ることで癒されるところと、 
願いが叶うことで満たされるところ
癒しに取り組むことで癒されるところ
 

その人にとって大切と感じることは
すべて、大切なのだと思うのです。

=======================

こないだまであったのに
吹き出してきている何か
 

それは、 
急に出てきたわけでもないし
誰かが出したわけでもありません。
 

透明のように見えていた食塩水から
元々あった食塩が、結晶になって
 

見えやすいように  
浮き出ているだけなのです

=======================

物語は いつも突然はじまります。
 

何の予告もなしに  
まるで同じ地球にいるようでいて
違う世界に連れて来られたかのように。
 

本や映画の主人公がそうであるように
ある日を境に 
全く違う自分を生きているならば
 

それは、扉をひらき  
新しい物語を紡ぎ始めたから。
 

一方通行のその物語は、 
元には戻れず進んでいくしかなくて
 

知ったからこそ得ることができた 
幸せと
失ってしまった気楽さに憧れながら
 

何だかんだ言い訳しながら  
それでも進むしかないから  
進んでいくのです
主人公ってそんなにカッコいいものでも 
何でもないよね。
 

自分が歩んでいきたい路は  
どうしてまた こんな大変そうな
路を歩みたいのだろうと飽きれて 
笑けてきますが  
 

苦楽を超えたところにある 思いが 
わたしを突き動かしていて  
 

それがわたしなのでしょう

=======================

月が 2個と 太陽が3個ある世界が 
あったとします。 
その世界に暮らす人が2個の月と3個の
太陽の弱さと儚さと 
そこに秘める美しさを話したとしても
 

1つしかない世界で暮らしていて、 
そんなのは存在しない。
と思っている人には理解しがたいものです。
逆もそうですね。 
たったそれだけしかない世界を
想像できません。
 

このように、人は、自分の体験でしか
物事を想像することができません。
 

自分が普段どうしているか、 
どのように感じているか。
というところからしか、
想像しうれないのだと そう思います。
 

そういう人もいるんだ。  
ということを理解するには
その人の言うことを信じる。 
ということが必要ですがあまりにも、 
許容範囲を超えた話だと 
理解できないのだと思います。
 

そして、そのとき、  
どちらか片方に起こっていることではなく
お互いそうなのかもしれません。

=======================

様々な考え方があって
どれも一長一短があるものです。
 

多分、今わたしは効率化。 
ということから
少しかけ離れたところにいるのだと
思います。
 

なぜなら、 
1人1人に対して丁寧に向き合う
ということがしたくて、 
それが喜びだからです。
 

それと共に、 
量にも向き合っていくことも行いますが
それは、それとして、 
今行っている仕事とは、分ける感じで
行おうと思っております。
 

本当は、何が、効率がよいか。 
というのは
誰もわからないのだと思うのです。
 

質を大切にしようと思った人が  
また質の良いサポートを誰かに 
つなげてくれるならば
それはどんどん広がっていくからです。
 

質の良さは、テクニックと感じる人も 
いるかもしれないし
理解力や寄り添う力など、 
むしろ人間力的なことを求めている方も 
多いような気がいたします。
 

わたしは 今のわたしが心の喜ぶことを
行っていこうと思います。
 

自分の正直な気持ちを大切にしようと 
思います。

=======================

人に何かを与えるとき
見返りを求めないこと
 

特に無償で与えるときほど
それに気をつけることが大切です
 

与えたことは 
既に与えられていることであることを 
心で感じましょう
 

見返りの期待は 
期待外れに終わるだけでなく
自分と他者を縛ることなのです

=======================

最高の友人ではあるけれど
恋人としては考えられない人
っているよね。
 

同じく最高の友人にはなれるけれど
仕事のパートナーとしては 
考えられない人もいるよね。
 

恋人ならいいけれど、 
仕事のパートナーにはしたくない 
という人もいるかもしれない。
 

こういう感じのことって 
他にも世の中には、色々あると思うの。
 

愛している。 
ましてや嫌いなわけではない。 
尊敬もしている。
この関係性ではとても相性が良いけれど
その関係性になると、
相性が合わなくなる関係が確かに存在する。 
 

それは、距離と、どのジャンルか 
ということと多いに関係している。
 

価値観とか、
とても大切にしているものが違うと
どこまで関わりたいか。というのは、
言語が通じない。 
 

見方によっては平行線に見える。
何が大切かは、人によって違うから。
 

そんなとき、 
相手に求められたことに答えようと 
歩みよろうとすることがあるけれど
相手が求める距離まで達することが
できない。
どうにかしようと頑張ってみても
心が喜ばないのだから。
 

その時、体験するのは、 
期待に答えることはできない。 
という経験は。
 

自分のこころに素直に生きただけであり、 
期待に答える必要性がないことを 
知ることなのです。
 

面白いのは、 
2つのことが絶対に必要と思っている人と
2は嫌なんだけど、1つを希望している。 
という人がいたとき
どちらも正直に生きているだけなのですが
 

これを2の人が進めようとすればするほど
答えが 2か0 になる ということ。
現存の状態すら 危うくなるということ。
 

これ。どっちもやったな〜。。。 
と つくづく。
 

どちらも経験することで、 
そのときの相手の気持ちが 
より理解できる。
大切なものは、関わりの中で
さらに見えてくるもの。
 
 
それは、関わったからこそ
見えてくることであり
そうして、 
例え離れることになったとしても
 

大いなる夢の中で描く自分にとっての
大切な夢が何かを見定めて  
お互いがそれぞれにとってぴったりの人と
出逢い 大切な夢を叶えていく
 

こうして、つくりたいものを一緒に
何かをつくっていくひとと
 

自分がどんなものをつくっていきたいか
を教えてくれるひとがいるんだね

=======================

混沌、露見、疑い、争い。
 

そんなエッセンスが
空気に混ざっている感じをもし、
感じているなら
必要なプロセスが起こっていると 
知ることです。
 

他者に見ている 嫌なものは
自分が否定しているものです。
 

誰かに闇が多くみえるならば
それは  
自分が闇を見つめていなくて 
それを闇だと思っているから
 

誰かが偽善者のように  
きれいごとを並べているように 
見えるならば
それは 自分もまた、 
別のところできれいごとを並べているから
 

誰かの言葉に配慮がないと感じるならば
それは 自分が配慮のない言葉を 
誰かに行ってもいるのです。
 

すべて 例外なく、 
全員にそれはあります。
 

ただ、人によって どこにそれを感じるか。
それだけの違いなのです。

=======================

楽しいことが好きなので 
修行をする気は全くないのですが
1つだけ決めていることがあります。 
 

それは、どんなに仕事や外側に
表現する方に夢中になったとしても
自分を愛することからは、
途中下車しないこと。
 

だから、わたしが外側に 
意識が向かっていけばいくほど
外側に意識が傾きかけると  
それを教えてくれる誰かがいるのです。
 
 
どの場面でもそうであるように、 
その言葉を言ってくれるように
わたしが他の誰かに 
「こうなっているときは 
 こう言ってね」
と頼んであった その言葉を聴くことで  
わたしはわたしを取り戻すのです。
 

自分の顏を見ることの出来ない
わたしが見えるわたしの範囲は限られて
います。
 

知れば知るほどに、 
知らないということを知っていきます。
 

いつだって、わたしは守られています。
わたしが、他者の声に 
素直さと共に耳を傾けられるこころさえ 
失わなければ。
 

愛しきれていない わたしの一部を
一つ一つ 向き合い超えて 
愛していくために。

=======================

外側にここから、どんどん 
向かっていくのかと思いきや
 

今日は内側へ向かい。
より自分自身と対話するとき 
のようです。
 

こうして、また 一歩一歩。  
わたしはわたしを知っていって
より活かせるようになっていく 
のだと思います。

=======================

こころが通いあうとき
 

そのとき  
例え直接触れ合ってはいなくとも
エネルギーという船が  
開かれている港へ
お互いに行き来するような  
そんな美しさがあるのです

=======================

貴方をどこかで
待っている人がいる
 

それは 他の誰かではなく
貴方を待っている人なのです

=======================

センスってとっても重要。
   

自分の仕事をつくっていくには
料理をつくることにとても似ていて
そこには、センスが必要になってくる。
 

自分の喜びを見つめることも大切。
自分が何が出来て、何が出来ないか。
というのを見つめることも大切。 
 

それと、世の中のニーズ、 
時代が、今何を求めているか。
というのを知るのも大切。
 

さらには、 
これからどうなっていくか。
という流動性、予見を含めた 
全体の流れを知っていくことも大切。
 

独りよがりでもなく、 
ニーズに答えるだけでもなく
世の中の時代性だけに乗ろうとする
のでもなく、
一過性の自分のブームを行うだけ 
でもなく
 

それらが見事に折り重なり 
芳醇な美しいハーモニーを奏で 
その人そのものが際立つ着地点。
 

それは、 
センス、感性によって創られる。

=======================

今、自分にない能力は   
いま 必要ないからないんだよ
 

そのうち 必要なときに  
やってくるんだよ
 

その能力がない  
今の自分だからこそ  
出来ることがあるんだよ
 
 
能力がない    
今の自分だからこそ  
育めるものがあるんだよ
 

人間力とか。
愛する力とか。
人としてとか。
 

そういったところが  
たくさんたくさん育まれていって  
そんな自分に同調し 
集まってくださる方との対話によって
また 自分がどんな人かを改めて 
知っていく。

=======================

闇と思われるような
闇と認識されているような 
ところに光が宿っているのを 
見つけるのが喜び
 

嫌いと思っている
嫌だと思っているような特性に
光が宿っているのを 
見つけるのが喜び
 

長い間持っていた闇という 
認識から開放される光景を 
眺めさせていただくことが喜び
 

その反対に  
同じ要領で光に宿る闇も 
よくよく見えてしまうのだけれど
 

これって だれもが同じように
見ているわけではないんだ
ということを 改めて 感じています。
 

陰陽のマークの 点 を
点を含めた状態で、そのまま感じたり
みているのだろうなあと思います。
 

だから どれも価値は同じ。 
というところに
どうしても立ってしまうんだろうなあ。
 

そして、マークの点をとった話を 
過度に聴いたときに
それもたしかに、そうなんだけど。。。 
と肯定しながらも
自分の感じたり見ているものと違うから
違和感を感じてきてしまうんだ 
というのもよくわかりました。
 

陰の中に陽が、陽の中にも陰が 
それぞれ存在している
いつも同等である故に  
自らの心が赴く方へ

=======================

今日は新月ということで
願い事をするには 
絶好の日のようですね。
 

わたしも何か願い事で自己ワークでも
してみようかとも思ったのですが
 

改まって、何かしたいことが、 
あまり思いつかず。
 

近頃、益々こうなる。と決めたら 
その通りになっていて
この先も、こうなっていきたい。 
ということは既に決めてあるし、 
 

そのうち現れることはわかっているので
何かを願う。という行為が
沸き起こらないようです。
 

全体レベルの願いかな。。。 
そういうのは色々あったので
その中の2つを 
願ってみることにしました。
 

*すべての人が 愛を原動力として 
 活きる喜びを感じながら
 自由自在に本当にやりたいことを 
 やっていくことができ
 その人にとっての幸せを 
 生きることができますように
   

*個が際立ち、主張が強まる最中において、 
 個としての軸を確立しながらも、 
 動きを伴ったマクロ的宇宙的な 
 中立の視座を携えることで
  

 正しいという戦いからの開放を 
 体験できる人が増えますように

=======================

心が喜ぶことを
ただ、楽しいと 
思えることを
行っていったとき
 

癒しが自ずと生まれ
周りもまた、 
そこに共鳴し癒される

=======================

昨日よりも
今日のあなたが優しいのは
 

痛みや悲しみや孤独さえ
すべては愛に包まれながら
起こっていたことなのだと知り
 

至るところに愛を見いだして 

 
あなたがあなたの真の姿を見つけ出し
 

愛したからなのです

=======================

統一しようとしたり
答えを無理矢理一つに 
しようとすること
 

それは どんなに 
それ自体が美しいもの 
であっても
支配という名で呼ばれる

=======================

天は 人の上に人をつくらず
人の下に人をつくらず
 

誰かよりも  
自分の方が知っている。
わかっている。ということは  
事実ではない。
 

何かを知っていけばいくほどに
何かに対しては 
無知になるものだから
 

先も後も存在しない。
 

自分の中でのプロセスの過程としての
先、後、進みたい方向性を知るために
自らの舵取りと、道標を見る為に
自らの進化と成長を感じるために 
他者に それを見せてもらっているだけだ。
 

だから 先生、というものは
誰かにとって、たまたま進みたい方向の
本当に1部分、1側面を 
ほんの少し先に体験しただけの人。
 

人としての存在価値は 
上も下もなく 常に同等であり
先生もまた、 
自分の進化プロセスを知る為に
生徒から それを見せてもらって確認し 
学ばせてもらっているだけに過ぎない
 

超えたところを 提供するというのは
すなわち リフレインである。
 

*******************
 

リフレインとは、 
詩・音楽などで同じ句や曲節を繰り返す 
ことです。
 
いいフレーズとか
くり返しするところが
たまらなかったりしませんか?それです。
 

音楽や絵や映画にしてみると、 
わかりやすいですよね。
朝のセッションが延期になったので
つぶやきまくりです(笑)

=======================

いつもいつも
二度とかえらない 
かけがえのない 今日
 

今の幸せと 
未来の幸せを生み出してくれる
今の不幸せと重なり合いながら
 

変化に変化を重ねてきて
それでいて 
何1つ変わっていなかった
 

変わらぬもの 
それを 知っていく
 

人生という名の旅路で

=======================

真実とは  
外側に探し求めるものではなく
 

外側と呼応、共鳴しながら 
自らの内側に既にいつもあると 
気付くことだ
 

真実は 1つでありながら
同時に流動し、 
進化していくものである
 

それは  
見るところの目線によって異なる

=======================

誰かにとっての光は  
誰かにとっての闇
 

誰かにとっての闇は  
誰かにとっての光
 

すべてが同等のせかいにおいて
自分にとっての真実とかけ離れて 
いる人を人は 闇とみなし、 
 
 
自分にとっての真実と一致している 
ことが多い人を 光とみなす
 

その角度からみたら  
確かに闇とみえることが
違う角度からみたら 光なのだ
 

他者の評価は  
それぞれの角度によって様々
 

どれも同等であると知り  
どれも嫌わずに どれも排除せずに
散りばめられた自分を外側に眺めながら
自分にとっての真実をどう表現 
するかの選択
自分にとっての真実を表現した段階では 
そこには闇も光もない
 

同じものに 誰かは闇を見いだし、 
他の誰かは光を見いだす
 

見るものが 自分に存在していて  
自らを愛していけるように
自分にとっての真実を 
見いだしやすいように
 

そうして  
すべてが愛で満ちていることを  
思い出せるように

=======================

順番にとらわれないこと。
ランダムかつ、 
フレキシブルに対応すること
 

これの後にこれ。と 
決めていたことの後のほうが、 
先にくるかもしれません。
 

順番通りでなくてもかまいません。
どちらも体験したいと望んでいる 
ならば それは  
どちらも体験することになります。
 

宇宙と呼応しながら  
こころの声をききながら
どちらを先に体験してもいいのです。

=======================

本当に行いたいことをしない 
という選択や 
 

本当にやりたいことを行動した後に
誰かに理解してもらえないことにより
それを否定されて、 
自分の思いや自分の行動に対して抱く 
罪悪感
 

それは抑圧。と呼ばれます。
 

誰かに理解されなくとも いいのです。
大切な人にわかってもらえなくても  
いいのです。 
 

あなたにとっての喜びを 
大切にしてください。
 

あなたが喜びを感じること
あなたが幸せを感じならば  
それで いいのです。

=======================

小さい頃 多くの方が
一度は、みかんの果汁などで
「あぶり出し」を行ったのでは 
ないかなと思います。
 

わたしたちのこころって 
あぶり出しのようです。
 

果汁で描いてあることはわかる 
のだけれど
自分ではよくみえない。
 

ところが、他者にはそれが
あぶり出された状態で見えることが 
あるものなのです。
 

自分で、それを浮き彫りにして 
自覚していくには
あぶり出しが得意な人に 
あぶり出してもらい
 

「ここは、こんな風に
 描かれているようですよ」
と教えてもらうことで 自覚できます。
 

無知の知。
 

知れば知っていくほどに
自分のことは、 
よくわからないところがあるものだ。
ということを感じさせられます。
 

そうして  
自らが知らないということを 
自覚することはとても大切なこと 
だと そう思うのです。

=======================

どちらにも 美しさがあります。
どちらにも 学びがあります。
 

どちらにも 恩恵があります。
どちらにも 幸せがあります。
 

どちらにも 愛があります。
 

だから、安心して好きな方を
心地が良い方を
こころが喜ぶ方を選んだら 
いいのです。
 

あなたが喜ぶことは 
世界が喜ぶことなのです

=======================

対立している人と人の間
それは 主張と主張の間
 

そちらから見れば そうだろうし
あちらから見れば そう思えるのは 
当たり前だった
 

どちらかにしなきゃいけないなんて
両方という選択肢が何故ないんだろう
というのは 幼い頃から感じていたこと。
どれも 美しい色なのに。
 

主張が主張のままで。 
争いを生み出さないためには
個が際立ちながらも  
同時に全体的な視座も
常に兼ね備えていること
 

自分の心の中のことも同じ。
シンプルな人は、 
1つの答えにすればよいと思うし
 

そうでない人は、 
シンプルな答えにすると 
どこかでしっくりこないことに 
なるから そういう人は、 
様々な感情が同居している 
その全てを見ることで 
癒しとなるのだと知っていると
いいよね。
 

自分を信頼してあげることって 
大事。
 

個に際立てば際立つほど
正しさが強まり、 
それは争いを生むということを
わたしたちは、忘れてはならないと思う

=======================

こころをひらけないのは  
恐いだけ
色々な表現方法があるけど  
ただ恐いだけ
 

人間は誰しも臆病な生き物なのだ。
 

ほんの少しだけでいい。
世界は優しいことを思い出せたら
誰もが 恐がりさんなんだと 
思い出せたら
 

そして 同じく臆病な自分がいて
だからこそ、 
こころを自分のほうから 
少しだけ開くことができたら
 

それが、優しいせかいの
入り口の扉なのかもしれない。

=======================

もし、心が拗ねちゃって
もういいや。とか
どうせ。とか
そういった感情が出てきたら
この質問をしてみて♪
 

「本当は、どうしたかったの?」
「本当は、どうなりたかったの?」
 

拗ねているとき、 
望んでいることに対して 
Noの波動が出ていても 
 

この質問をして
よく見てあげると 
「ねじれ」がとれて、 
シンプルに、これがしたかったんだ〜 
というYesの波動に切り替わる
 

自分が自分をよく理解することは
すなわち、癒しなのです

=======================

こころにゆとりがあると
色々なことが  
いい感じで 流れ出します。
 

今はその流れを感じられない人も
流れは既に自分の中にも流れており、
 

在る ということを感じてください。
 

あなたのところだけ
存在しないわけではなくて  
もれなく
あなたにも存在しているのですが  
 

ただ、水が流れているパイプに 
氷の栓が詰まっている状態になっている 
だけなのです。
 

異物が詰まっているわけでも 
なんでもなくて 
 

水も氷も、元々を辿れば
同じものなのだから 温度を伴って  
ただ溶かしてあげればよいのです。
 

ですから、その栓を排除しようとしたり
なくそうとする必要はないのです。
 

なくそうとすれば、ある。 
ということを強調しますから
それは強まります。
 

もし、自分で 
溶かし方がわからなかったら
そのときは、無理し過ぎたり
頑張りすぎたり、努力しすぎたり 
しなくていいのです。  
 

それ以上、何かが出来ない自分を 
責めなくてもいいのです。
他者に頼ってもいいのです。
 

温度が、すべてを溶かし
氷の栓ごと 美しく流れる 
水の一部 自分の一部となるのです

=======================

誰も自分と同じ人生を歩んでは 
いないのです。
だから、考え方は 
共通するところと
共通しないところがあるのです。
 

一色単にしようとするから 
無理がかかる。
 

誰かに対して。
それは、そう思う。
それは、そう思わない。
どちらもあって、当たり前。
 

どちらもない場合は
崇めるあまりに 
どこか抜け落ちているか
 

嫌いなあまりに 
良い部分さえ欠点に感じるか
 

自分を押し込めているか
それだけなのです。

=======================

もののけ姫に出てくるアシタカとか
ナウシカとか
 

わたしには、 
あんな感じで 何処かの組織に属する 
という感じのスタイルではなく 
 

その場その場の自分にとっての最善を
心の赴くことをしていく生き方が 
あってるなあって思います。
 

その生き方をしていれば、 
その時々に誰かと離れる。
誰かと別れる。 
ということになります。 
 

見方によっては、八方美人と
言われるような このスタイルは
わたしの中では一貫性のある 
動きですが、 
 

他者からみると理解ができない
行動も多々あるため、 
随分寂しい思いをしたり、 
孤独感を感じたりもしたけれど
 

癒されていく度に、 
自らの役割や成すことが何かを知り、 
それを実際に成していく度に
少しづつ受け入れていくことが 
できるようになってきたように思います。
 

今でも、何処かの組織にいて 
「もう自分のすべきことはした」とか
「ここでの、自分の役割は終わった」 
とわかり離れていくとき、 
 

全く心が揺れないわけではありません。
それは、卒業式のときのような心地です。
 

それでも、だからこそ その時々の今 
誰かと触れ合えることの愛おしさを 
感じるのです。

=======================

自らの未熟さを嫌ったとき
進化を歩むことは厳しいものに 
感じるだろう
 

果てしなく無限の存在である 
わたしたちは
常に未熟さを感じながら 
歩みを進めていくものだからだ。 
 

未熟さを嫌うということは 
変化を恐れ 
自らを否定に追い込むこと。
 

自らの未熟さに恩恵を感じたとき
進化を歩むということが 
喜びに感じるだろう
 

見過ごしてきた愛に  
知らなかった自分に気付いていき
隠されている宝を見つけるかのように 
 

ここにも あそこにも どこにも  
愛があったとわかり
自分の可能性という 
未知の自分との対話を祝福と共に 
歩んでいけるからだ。
 

どちらの見方により進化を生きるかは  
あなた次第 
 

トリックアートのように  
それは同時に存在している

=======================

人が輝いていくさまを 
眺めるのが好き。 
 

超えたことを他者に 
それぞれの方法で提供して
その人そのものを現していくのを 
眺めていくのが好き。
 

苦しいと感じることは、  
必ずギフトに変わるもの。
 

人は そうして苦しみをどこかで
変換することができる。
 

絶望と、呼ばれることさえも。
 

そうして、超えた先に 
それがギフトに変わり喜びとなったとき。 

苦しみと喜びのコントラストが生み出す 
すべてが
 

そう、すべてが『愛』だと  
心の底から言えるから。

=======================

いろんな人がいろんなこと
言ってるね。
 

いろんな人がいろんなこと
やってるね。
 

いろんな人がいろんなもの
(サービスも含めて)
売ってるね
 

目を肥やし
感覚を研ぎ澄まそう
 

本当に自分にとって
必要なものが わかるように
 

本当に自分にとって
必要な情報が 入るように
 

本当に自分にとって
必要な選択が できるように

=======================

物事が思ったように進まない。 
と感じている人
 

感じている時の特徴。
「出来るか出来ないかわからない」 
と思っていること。
 

つまり、心の底から決めていない。
決めかねている。
 

決めれば動き出す。
意外な方法で訪れるかもしれない 
けれど、確実に動き出す。
 

つい、こないだも 
数回のセッションで同じことで何年も
悩んでいたクライアントさんが
望まれている方向に向かって 
現実が劇的に動き出したのを
眺めさせていただき 感じたこと。
 

奇跡です。とかさえ言われたけれど
ご本人が 
『心の底から決めたから そうなったんだ』 
と思いました。
 

マインドが理解できる範囲など、
ほんの少しだとすること。
マインドが思いつく方法など、 
ほんの少しだと自覚すること。
 

そもそも、 
世界が奇跡で出来ているのを知ること。
それは、マインドの限界を知り 
謙虚に生きるということと同じこと。
 

そうしたら、出来るか出来ないかで 
悩んだりすることに時間を使うのを 
やめることができる。
 

決めて目の前のことを 
喜びに沿って行いながら
宇宙と呼応していく。

=======================

今の自分にできる 
全身全霊を行うことは
結果にとらわれない心と 
後悔のない人生を生み出す
 

後悔があるかないかを 
決めるのは
他の誰でもなく 己自身

=======================

たった1つのことばだけでも 
楽になることってあると思うのです。
 

マインドの理解だけでも
楽になることってあると思うのです。
 

それはすてきなこと。
本当にとってもすてきなこと。 
 

でも、実際に  
潜在意識のお仕事をしていて。
楽になったのは全部じゃなかった。
全員じゃなかった。
 

それでもどうにもならないのは
どうしてだろうと追求していったときに
エネルギーワークがあったのです。
学んでいくうちに様々な概念が覆りました。
 

そうして、どれにも良さがあり 
デメリットもあり
楽になる。ということさえ、
本当はどちらでもなくて
 

苦しみですら、 
愛の営みの中で繰り広げられていて
既にある幸せを感じる美しさ
幸せをつくっていく行為の美しさ
 

多いなる矛盾を含んだこの世界は
どこにも、愛が溢れていて。
どれも、尊いと思わずにはいられません。
 

そうして わたしもまた 
立ち止まってはいられなくて
 

自らの思いが向くほうへ 
思いが導かれるほうへ
「わたし」が癒されるほうへ
進化の方向へ
ただ 向かっていくように見えるけれど
 

本当はそれらが  
わたしに訪れてくるのです。

=======================

自分が好きで 
心地よく夢中になれることで
『それは ダメなんですよ』
『そのやり方は、やめたほうがいいよ』
って言われたこと、ありませんか?
 

先日、ファスティングを行った 
わたしですが十年以上前に、 
ファスティングの名前も知る前に
ダイエットのつもりでやっていたことを 
思い出しました。
 

体重調整の際に、簡単にやせていくので 
楽しかったのです。
 

でも、当時 わたしは 
『そんなことしたら、身体に悪い』
『食べないで痩せるんじゃなくって、 
 運動して痩せなきゃ意味ないよ』
と注意された 他の人の言葉を 
そのままきいて、 
 

ファスティングを
『身体に、良くないこと』 
だと思ったので、 
その後やっていなかったのでした。
 

な〜〜〜んだ。やっぱりこれだって、 
別に良かったんだ。
わたしには、合ってたんだ。って  
ファスティングをやってみて
あらためて思いました。
 

色々な人が、色々なことを言います。
個が確立していけば、 
主張はよりハッキリしてきます。
 

他の誰かには合わなかった
やり方であっても
自分にとっては合うかもしれないし
何より、自分の心の声、 
身体の声。をきいていかないと
外側に振り回されることにもなります。
 

他者の声に耳を傾けながら、 
心の声を大切にしたいですね♡

=======================

明日14日は、東京新木場にて。
来週19日は、神奈川県新百合ケ丘にて。
トランス体験会を行います♪
 

とにかく、トランスってセッションで、 
大変好評をいただいているのよね。
トランスを、気軽に体験できる機会を 
つくろうと思い今回はのオープンクラスは、 
トランス体験会を行います。
 

トランスだけじゃなくて
6月に入ってからのこと、 
これからの世の中的なお話も
行っていきますので、お楽しみに〜♡
 

【人生の学校】
       第5回開催「トランス体験会」
 

【日時】 
  2014/6/14 14時〜16時30分 東京 新木場駅近郊
  2014/6/19 14時〜16時30分 神奈川 新百合ケ丘近郊
  2014/6/26 Skype平日オープンクラス
  2014/6/28 Skype休日オープンクラス
 

【主催】Aya
 

【代金】¥4,000
   (ネットで、こちらのイベントのシェアを
    していただいた方は3,000円です。
    シェアは、フェイスブックでも
    ブログでもどちらでもかまいません。)
 

こんな方におすすめです♪
 

☆ヒーリングをしてもらっても、
 エネルギーがあまりわからない。
☆理解しようと努力しても 
 理解できない人がいる
 

☆ハイヤーセルフってよくきくけど、 
 実際どんな感じなのか知りたい
☆スピリチュアルなことに興味がある
☆トランスに興味がある
☆感じる能力を今以上に上げたい
 
 
☆自分をもっと癒したい
☆チャネリング能力をもっと上げたい
☆覚醒した状態や、天使を体感してみたい
☆覚醒していきたい
 

お申し込みはこちらから

https://ssl.form-mailer.jp/fms/0c447573304745
 

(もっと、詳細を読みたい人へ 
 ちょっと長いです 笑)
  
 
真理や、スピリチュアルに興味はあって 
学んできたのだけれど
なんとなくヒーリングをうさん臭いと 
思ってみたり
気のせいだと思ってみたり、 
信用しきれなかったり
するということってあるかと思います。 
 

その多くの場合は
『エネルギーが みえない 感じられない。
 もしくはなんとなくしか感じられない、 
 ちょっとしかわからない。』
ということであることが多いようです。
 

実は、感じられない。ということは
もの凄いコンプレックスになりえる 
ということ。 
 

コンプレックスを感じるよりは
『エネルギーってホントかどうか
 わからない』
と思ってしまったほうが、楽なのです。
 

エネルギーを感じることに 
最初から敏感だったり
わかるという天然の方もいらっしゃいます。
 

そして、全くわからないところから 
開花していく人もいます。 
 

わたしは、後者で、 
ほとんどわからないところからの 
スタートでした。 
 

周りにチャネリング能力や 
リーディングをしたり
エネルギーを微細に感じられる人が 
増えてきたとき わたし自身も、 
もの凄い劣等感がありました。
 

自分だけわからない。 
わからないくらいだったら
興味がないことにしたいし、 
ふれくされる。疑う。 
だけど惹かれる。
 

一歩一歩わたし自身がそこを超えて。
また、人生の学校に通われている方が
どんどん敏感にエネルギーを読み取り
どんどん才能を開花していって、 
リーディング能力や 
チャネリング能力が身に付き、
 

高次元的にひらかれていって 
感覚が鋭くなっていかれるのをみるたびに。
 

どんな才能も、 
『あるのだけれど、開かれていないだけ』 
だと感じています。 
 

感じる能力がない人なんて  
いません。 
まだ閉じているだけです。
 

感じられることに自信がでてくると、
他者の意見に左右されにくくなって 
軸がぶれなくなってきます。
 

そこで、今回は実際に体験して 
行わせていただいた方から
『すごくわかりやすい』
『感じやすい』
『今までで 一番効果のある 
 ヒーリングだと思いました』
というご感想をいただいている 
 

『トランス』を体験する会を催します。
 

自分自身が感じたこと。 
そして他のみなさんがトランス状態の方の 
変化を感じてシェアをするという会です。
個々で行うのとは、また違った 
学びになるかと思います。
 

トランスとは、どんなものでしょうか。
一言でいうと、 
『自分が望んだ存在の状態を体験し、
 癒しと学びを得る』ということです。
 

自分の気になるあの人や、家族、 
覚醒したひとやマスター的な存在、
大天使、ハイヤーセルフなど
望むままの存在を 
わたしが、みなさまに、 
お一人お一人おろしていきます。
 

わたしのトランスは、 
リーブスのトランス講習会に基づいて 
行わせていただきます。
 

リーブスの仲裕美子さんの 
トランス講習会からの抜粋です。 
*************************
 

このトランス状態は、 
自分の言動を記憶にとどめながら、 
そこから自分にとって
安全で有意義な気づきや学びを 
受け取ることが出来るよう工夫されています。 
そのため、自分が全く違う能力や
霊的 身体的特徴を持った存在になる 
非常に驚くべき経験が、自分を見失うこと無く、 
癒しと学びとして可能になります。
その存在になった経験をすることで 
私たちが学び、得られるものは無限大です。
=======================

セッションにて。
 

クライアントさまが、 
ずっと動きたかったけど
一歩を踏み出せなかったことに対して
 

行動力アップを望まれていて、 
そのようなワークを前回の際に、 
させていただいていたのですが
 

動かなかったことが、スムーズに
流れるように一気に動いている 
様子をみてこちらまで嬉しく 
なっちゃいました。
 

やりたいことをやれることって  
最高の癒しよね♪
 

それぞれにとっての幸せ。
それぞれにとっての後悔しない人生を 
 

自分も他者も大切にしながら
みんなが生きれたらいいなあ♡ って 
  

そんな風に感じる ひととき。

=======================

沼地の一歩は
草原の一歩よりも 重く感じるもの
 

海辺の濡れた砂浜を歩くように
一歩が重たい
 

沢山でなくてもいい
ほんの少しでもいい
一歩を踏み出せたなら  
 

その一歩に
どれほどの価値があるのか
よく観てみること
 

進んでいる距離だけでなく
その一歩を進むことに、
かかっている負荷を観てみると、 
 

その一歩の偉大さに気付ける
 

負荷をみれてるってことは
自分の弱さをみれてるってことだよ。
     

自分を切り捨てないで 
観れてるってことだよ。
 

その弱さを抱きしめながら進むんだ。
だからこそ 美しい一歩なんだ。

=======================

自分の1番やりたいことを
追求していくとき
 

そこには、 
2番や3番で妥協できない自分がいたり、
1番であっても 
その中での これは 違う。
これがやりたいの。ということが 
見えてくるのではないでしょうか。
 

それは、他者との違いとして 
見ることもあるかもしれません。
 

そうして追求していったとき
そんなすてきなものは、 
どこにも存在しなく
 

それを 行えるのは 
『自分だけ』かもしれなくて
オリジナルであることに 
気付くかもしれません。
 

自分だけ。というところに 
恐れを感じながら
その恐れと共存しながら、 
向き合い超えていくことこそが
 

新たな創造性であり  
独自の創造性を
『生み出す』ということなのだと  
感じています。

=======================

自覚していないなら  
自覚しよう
 

自覚しているものは  
もっと自覚しよう
 

わたし自身を

=======================

ある人にとって 
光は闇となりて
 

ある人にとって 
闇は光となる
 

いつもそこには 
同量の光と闇
上も下もなく 
ただ 自らの煌めきとの対話
 

光に佇む闇を知り
闇に潜む光を知る

=======================

自分にとっての幸せが 
相手の幸せとは限らない 
 

相手にとっての幸せが 
自分にとっても幸せとは限らない
 

同じだったり 違っていたり
 

それでいて、 
自分が喜びと思えること  
自分が幸せと思えることを 
していくしかなくて。
 

だから、そこで 
誰かと共鳴できるということは
当たり前のようでいて、 
それ自体が奇跡なのだということも。
 

解り合えることが当たり前だと 
思っているから
解り合えないことが辛くなる
 

解り合えないことが当たり前だと 
思っていたら
解り合えたときに奇跡を感じる
 

『自分が決めてきた、 
 自分が自分に強いてきた
 高すぎる完璧という名の 
 ボーダーラインを下げよう』
 

どこのラインを 
自分のラインにするか
 

それは いつだって、 
自分が決め直せる

=======================

西洋医学や身体に良くない食べ物
これらをバッシングするような
記事が近頃、増えたな〜と思います。
 

このような、事実を知ることは
とても大切だと思います。
 

確かに、わたしたちは 
西洋医学に頼りすぎてきたかも 
しれません。
 

食べ物も、何もかも  
深く考えず美味しくて安いという 
便利さを選んできたかもしれません。 
 

自分の無知さ故の選択、 
依存の選択をしていましたよね。
 

わたしたちが行ってきたこと。
それから、目を背け続けることは 
出来ないですし
今もなお続いている、様々な思惑が、
背景にあるのも事実でしょう。
 

しかし 大抵、物事の見方というのは 
偏りすぎていたところからは
もう片方に偏るものです。 
 

振り子が振れるように。
 

そのジャンルのすべての人が、
悪意だけで動いているわけでは 
ないように思います。 
 

カテゴライズして、 
ジャッジしてきた結果が  
戦争を生み出してきたのです。 
 

正しさと正しさ。 
主張と主張。 
真実と真実がぶつかりあって
戦争が生み出されているのです。
 

美しさだけで生きている人が 
いないように
醜さだけで生きている人も 
いないように。 
 

西洋医学に関わる人の中でも、 
根本治療でないことを承知の上で
その時のその人の痛みを 
取り除こうという思いの人も 
たくさんいるように思います。
 

例え、それは 
紛らわすためのものであったとしても。  
それを自覚して
量や頻度を考慮して使うことで。
それが紛れることにより、
 

明日へ生きることの一歩になることって 
あると思うのです。
 

わたしは、 
ほとんど薬は使いませんが、
西洋医学にもたくさん助けられて 
きました。
 

主張と正しさ。 
それを見極めていきたいですね。
 

それが、争いを生み出さないことだから。

=======================

近頃。
人類の進化と、個の幸せ
ということに関して。
 

わたしはどうしたいだろうか。
ということを内省し、 
追求する日々を過ごしておりました。
 

例えば、
大学病院で最高の医療器具と、 
最高の医療技術を駆使して
手術を受けることが、 
果たしてその人にとっての幸せなのか。 
ということと 
少し似ているような気がします。
 

その方法は、
わたしにはとても合っていました。
素晴らしい技術や凄い器具で出来ることは
とっても、すてきなことだと思います。
それによって、出来ることが多くなるから。
 

ただ、出来るということと、
実際に施術される側の人が
どこまで、それを理解し、 
どこまで本当に求めているのだろうか
ということは違うということ。
 

全員がそれを求めているわけでは
なさそうだ。ということ。
 

DR.コトー診療所。 
というドラマを以前みたことがあります。
病院という在り方や、人に寄り添い方に 
すごく共感するところが多くて 
 

『病院』ではなく『健院』でもなく
『人院』としての在り方。
 

これが、一番良い。という答えは、 
個々 人それぞれ異なっているから
正解がこれ。というのはない世界の中で  
どうしていくか。
ということが描かれています。
 

エネルギーワーカーとして、 
またそれを受ける側として
エネルギーワークで起こる
変容する素晴らしさや奇跡を
知っています。
 

すべてのことが、そうであるように  
力があるものや
大変効果があるものというのは、 
人々がそれに頼りすぎてしまう 
危険性を秘めています。
その時、人は本来の力を失うのです。
 

それは、対象が違えど、 
例えば西洋医学であったり
科学力であったりしてきたことと
同じこと。
 

それに依存するかどうかは、 
その人の課題であり
自立して選択に責任をとっていれば、 
防げますから 厳しいことを言ったら、 
それすらその人の学びです。 
 

提供する側からみたら、 
その声は抵抗にしかみえないのかも
しれない。
でも、すべては同時創造なのだから、 
もう少しそれを防ぐ方法もあるのかも 
しれない。とも思っています。
 

エネルギーワークやヒーリングに関して
相談を受ける側として、話をきいてきた
ことがあります。
  

それは、莫大なお金をつぎ込んで
嫌になってしまったり、 
求めていたことと違った。
望んでいたことと違った。 
自分の幸せとはかけ離れていたという
ケースです。 
 

そうした場合、 
それ自体が新たなトラウマや痛みと 
なります。
そういった声。そういった事実を 
実際にみてきたことから
目を背けてはいけない。と  
そう感じています。 
 

世界全体に対して、
進化していくことは大切だと 
思っています。
 

それと同時に 人1人の思いを。
その人にとっての幸せを大切にしたい。 
とそう思っています。
 

何が幸せか決められるのは。
その人だから。
 

共存力。このあたりに、 
わたしの道のヒントがありそうです。

=======================

様々なことが溢れ出して 
現象として現れている今 
 

気分が乗らないときは  
無理にことを進めず 
 

自分の大好きな、 
音楽や映画を聴いたり、 
見てみるのもいいかもしれませんね。
 

わたしの切り替えアイテムは
『食べ物。音楽。映画。』です。
 

あなたの切り替えアイテムは何ですか?
パッと晴れやかでないときだからこそ
生活に、ほんの少しのゆとりを。
 

そんな時間がないと感じたり
ゆとりが持てないと感じているなら
だからこそ。 
むしろ、そこにゆとりを。
 

自分自身を労る時間を。
自分自身が喜べる時間を。
 

こころに晴れ間を与えてあげてください。

=======================

頑張るのをやめたら
期待も消え去る
 

0がわたしのライン
 

どれもこれもわたし
自分の喜び見つめて

=======================

あれもあるし
これもあるよ
それもあるよ
 

どれか 1つにしようとするから 
苦しくなる
 

これもあったよ。と  
これだよ。とは ニュアンスが違う。
 

答えをどれか1つにしないと
いつも周りは納得してくれなかった。
だから、答えを1つにしようと頑張った。
 

そうして、誰かにとっての真実に。
期待される人が求める答えが何かを 
察知して。
わたしは 自分の本音の回答ではなく、 
その人が求める答えを言ってきた。
 

それはとても苦しいことだった。
 

自分の中では 本当は
あれも、これも、それもあるのが  
答えなのに。 
 

そんな思いは いつの日か
誰かが抱えた同じ痛みに響くことになる。
 

一色単でシンプルなこころの人もいれば
何色かを一度に取り扱える
こころの人もいて わたしは、後者。
 

何色でも、そのまま取り扱うことで  
はじめてその人がその人の真実を 
見いだすことを助ける。
 

どれも あるよ ってみれたときに
人は笑顔を取り戻す。
葛藤ですら、弱さですら、 
美しいことを知るから。
 

これで いいんだね。
そのままの自分で いいんだね。 
 

そうして自分のすべてを 
そのままみることで
自己否定から開放されていく。

=======================

何を喜びと感じるか
それは 移り変わっていくもの
 

ある日 突然その喜びを 
感じられなくなることが 
あるのだから
 

今味わえる喜びを  
大切にしたいと そう思います。

=======================

自分にとっての当たり前
誰かにとっての特別
 

誰かにとっての当たり前
自分にとっての特別

=======================

些細なことでも
ちっぽけなことかもしれないけど
 

感じたことを相手に伝える
っていうのは大切なこと。  
それを実践中。
 

放っておくと、我慢になる。
溜めすぎると 過剰な表現になったり 
怒りに変わる。
 

悲しかったよ。嫌だったよ。 
 

そんなことを  
シンプルに相手に伝えられたら。
(相手に伝えられない場合は、 
 それは愚痴や陰口になります)
 

そんなに 感情って  
きっと濁らないで済むから。

=======================

自分が生まれ変わっていくとき
不安が出てきて  
変化は様々な形で現れます
 

他者に痛みをみるもの
身体の痛みを感じるもの
 

怒りや悲しみを感じるもの
 

向き合うことから逃げようと 
しはじめるもの
吹き出していることを感じるもの
 

どれも、大切な 変化。
どれも、大切な 進化。
 

ぜんぶ ぜんぶ それでいいよ。
 

そうして また変わっていって
あなたがあなたに戻っていって
あなたがあなたに還っていく 
前触れだから。

=======================

問題にフォーカスしすぎる 
必要はないけれど
問題を見てみないふりをするのって、 
どうなんでしょうか。
 

楽しむことは、 
とても素敵なことですけれど
私利私欲に偏りすぎた時代は  
終わりにしないと
 

それは わたしたち  
1人1人が『何を選ぶか』
ということにかかっているのだと 
感じています。

=======================

わたしのセッションって。
いつも その時々だなあって 
改めて 感じました。
 

ティーチャー的に 
教えることが多くなってみたり。
 

チャネリングだらけになってみたり。
 

マインド的な理解を 
促進することになってみたり。 
 

実際の社会で活躍する際の 
仕事の組み立てをしてみたり
 

エネルギーワークばっかり 
することになってみたり
 

時には、今は『話を ただ聴く』 
ということが 一番大切だ
と感じたら そうしています。
 

その場合、話をきいてもらって、 
対話をする ということ自体が
今のその人にとっては  
一番の癒しだからです。
 

どんなセッションですか?  
ときかれると  
こんなセッションです。と形的には 
言えませんが  
 

そうした 多様性の中から 
その時々の最善なセッションを 
オーダーメイド感覚で行わせて 
いただけることに。
 

そんな流動性を信頼してくださって
相手がいることでこうして
関わりが生まれることに
じんわりと穏やかな 
感謝を感じています。

=======================

できない『ふり』をするのは 
やめよう。
そんなことを感じています。
 

自分の能力を発揮していけば 
いくほど 妬まれたり、
ひがまれたり、 
あなたはいいわよねって
羨ましがられたり、 
そうして 嫌われたりして
孤独になるのが恐かったのです。
 

恐かったので、他者の反応が 
そういう風になってきたら 
以前のわたしは、どうしていたか。 
 

帳尻を合わせようという行為に 
走っていました。
 

ちょっとダメなわたし。 
なんか出来ないわたし。
そういうところを表現することで  
みんなと同じ位置に戻ってこれた
ような気がしていました。 
 

そして、実際に  
そういう表現をすることで  
出来ないときもあるのね。って 
妬みやひがみは緩和されたことも、 
あるんだと思う。
 

でも、こういうことをすることに 
違和感を感じて
どんなに妬まれたり、
ひがまれたりしても、 
謙遜の度が過ぎた感じの帳尻合わせの
表現をやめようと思ったのです。 
 

どっちにしろ、わたしって、
すばらしい。 
そして、 
みんなも同じだけすばらしいのは、
確定なんだから。 
 

出来ないふりをわざとしなくたって、 
わたしって自然にしていても
出来ないところ、いっぱいあって、 
いっぱい迷惑かけてきて、
いまもかけていて、 
 

それで許されていて、 
助けられていて 愛されている。 
 

わたしにはわたしの課題があって
それは みんな同じこと。
 

『誰かがわたしのことを  
特別にすごいと思ったとしても
それは、その人が、 
そういう目線で今はみているだけのこと。
 

わたしは、みんな同じなんだって 
知ってるから、そこに惑わされない。
 

他者の目線に、帳尻を合わせる行為は 
しない。
自分の軸だけ、しっかりしていれば、 
それでいい。』
 

できることに対して、 
誰かと比べて出来ないとか。
そういう言い訳をやめよう 
って思いました。
 

出来ることに対して 
出来ないふりをして 
小さくみせるのと
 

出来ないことに対して  
出来るふりをして 
大きくみせるのとは  
実は 同じなんだから。
 

これらは、連動しているから、 
偏った表現をしていたとしても
原因は同じところにあるのだから。
 

そうして、また 一歩一歩 
わたしは 等身大に還り  
わたしの道を 進んでいく

=======================

あなたは 既に  
大切なものを得ています。
 

それは あなた自身です。

=======================

夜中のひとり言。
 

エスケープ。逃げる。
この言葉ね。
 

真理を学んでいると
<場所を変えても、人を変えても、 
 同じことが起こるよ>
って言われることってあると思うの。
 

それでね。次もどうせ向き合うんだったら
今 頑張ろうって思う。
わたしも そう思ってたときがありました。 
でも実際はどうかっていうと。 
 

<そんなときもあるし、 
 そうじゃないときもある>
ってのが わたしの実体験。
 

みんなと違うかもしれないけど
わたしは 実際やってみて 
そうだったから
これは、わたしにとっての真実。
 

場所変えても  
同じこと起こったこともあるし
はっきり言って、
ぜんぜん、楽になったこともあります。
 

大体、
逃げることって出来ないじゃない?(笑)
自分から逃げることなんて、出来ない。
 

逃げることなんて出来ない自分と 
向き合えないことを逃げるって
いうのかもしれないけど
 

苦しくって、辛くって。
そんな場所や シチュレーションから 
『責任を伴って  
 自分を大切にする行為の逃げ』は
開放 って呼ばれるんだと思う。
 

逃げることって  
全然 悪いことじゃない。
 

逃げてしまった。って罪悪感を
抱いたこといっぱいあるけど
後から振り返ってみたら、 
 

それがなかったら、本当にマズかった。 
 

逃げることが 
『自分を大切にしただけで、 
 結局のところ、
 それが全員のためになった』
という経験があります。
 

他の人には 逃げたって 
責められたりするかもしれないけど。
それでも、最善の選択だった。
 

だから、向き合えそうなときに、
向き合えばいいのであって
チャンスはいつでもあるのであって
 

そうじゃないとき。
苦しくて仕方なくて、方法がないとき、 
耐えてどんどん落ちていっているのって、
それは  
『クルシイ ジブンヲ ズットズット 
 センタクシテイル』ってこと。
 

向き合えるときは 向き合う。
逃げるときは 逃げる。
どっちでもいいよ。
 

自分のこと。大切にしよう。
まずは そこから。

=======================

この風はどこからきて
どこへ向かっていくのだろう
 

こころが赴くままに 生きて
喜びや悲しみを感じながら
どんなときも祝福に満ちていた
 

これからも わたしは 
わたしの心が赴くままに
この風が導くほうへ向かって 
歩んでいくんだろう
 

こころの奥で 終わりの鐘が鳴り響く
 

それは いつも 突然で
わたしが 次へ向かう合図
 

そして終わりの中に潜む 
新たなはじまりの香りが
わたしを待ち受けている

=======================

守らないと生きていけないときって
いちいち、守りのジャブが 
ことばの節々に入るものだよね。
 

こうだから
ああだから
あと これのせいもありました。
だから こうするしかありませんでした。
 

誰かに叱られた際や
もしくは 自分で自分を勝手に責めて 
自責して
相手もそう思っているだろうという  
妄想から出てくる行為。
 

そうしないと 
弱い自分を受け止めきれなくて 
耐えられないんだろうけど。
自分のこと。事実を素直に 
認めることからはじまること 
ってあるよね。
 

配慮がなかったのか。
思いやりが足りなかったのか。
叱るって 伸びるために。
成長を思う行為
 

どうやったら、 
守りのジャブから脱却できるか。
 

せかいは やさしいって  
感じることかな
戦いじゃないよって感じることかな
 

既に その人が充分すばらしいって  
わかってて
だから叱るってケースがあると 
知ることかな
 

自分が自信がなくて、 
自分のことをすばらしく思えなかったり
 

自分が他者に対して叱る際に 
叱るというよりは  
自己中心的な怒りを込めていたりすると
それが 素直に受け取れなかったり、 
わからなかったりする

=======================

自分にとっての当たり前が
誰かにとっては当たり前じゃなくて 
特別に感じる何か。
 

それは    
常に更新されて 息づきながら
自分が自分という存在であるだけで 
喜びを奏でられるもの
 

特別などない世界の中で それは  
才能と呼ばれる

=======================

『あなたが、今達成したいこと
 それを叶えた後に、 
 あなたは何をしたいですか?』
 

これは、ある時  
恩師からいただいたことば。 
 

このことばのおかげで、わたしは  
今のわたしだけでなく
未来のわたしが行いたいことを  
先取りして同時に行えている
 

今のわたしよりも、 
断然に 癒されて洗練され
満たされたところからの
より調和的で  
全体的な願いのエッセンスが  
今の活動に既に織り込まれているのは  
たった1つの この質問の力
 

人は、夢がないと  
夢を探したり 求めたりするもので
夢がみつかったら その夢に向かって  
走りたくなるもの。
 

夢の先に。未来のわたしの夢がある。
 

『あなたが、今達成したいこと
 それを叶えた後に、 
 あなたは何をしたいですか?』

=======================

様々な主張  
個々が際立っていく時に。
際立っていく時だからこそ。
なのかな。
 

ことばだけじゃなくて
違いを愛する。という状態で
自分がいられると楽だよね。
 

*わたしにとってはこっちの方が 
 素晴らしいと感じる
 

*わたしはそれを選ばないけれど、 
 あなたの役割も大切
 

わたしたちの心の中には、
この2つが混在している
 
 
個が際立つあまりに、 
この2つ目の視座が消え去ったとき
 

素晴らしいものと素晴らしいものを 
主張するもの同士であっても
正しさになったときに  
そこに 戦い。って生まれるから
 

いつも 戦いが生まれる場所は  
自分の中
=======================

断ることって大切。
 

ふつうは断るような 
場面でなくても
断らない限り 
その状況に身を委ねることに
許可を出したのは、 
他でもない、自分だから

=======================

自分が思っている以上に、 
世界はやさしい

=======================

言語が通じないひととどうやって 
コミュニケーションをしていくか
パートナーとか 親とか。
 

これって、 
進化の道を歩むひとにとって  
様々な課題となっているように 
思います。
 

理解というものは
相手の器や、 
どれほど広い視座を持っているかに 
よって変わるものだから
ストレートに話すと、宇宙語のように 
思えてしまうようだし
 

だからと言って、比喩の比喩とか、 
こんな感じ という風に
相手の目線や、言語に寄り添おうとして 
話そうとすると 言いたいことと、 
ちょっとずれてきてしまうことになります。
 

伝言ゲームよりも、複雑な状態です。
 

言わない。黙っている。という選択も 
あるけれど
コミュニケーションをしたほうがいい 
ケースとか 黙っていることで、
誤解を生むこともありますよね。
 

例えば。 
言語の通じないひとからみてみたら、
努力していない。 
人生に向き合っていない。
頑張ってない。って思われたとしても
 

実は、 
その人の想像を遥かに絶するような 
500万倍くらいの努力をしているかも 
しれないと思うのです。
 
 
努力って、目で見えるものだけじゃない。
比較できるものでもない。
評価できるものでもない。
 

広い視座をもっている人が、 
真意を理解してくれることも 
あるだろけれど
どれほど、頑張っている自分を 
観てあげられるのは自分です。
 

そうして、相手がみているものと 
あまりにも乖離がありそうだったら
事実が伝わるようなことを  
シンプルに伝えてみるのもいいですね。
 

恩着せがましかったり、 
認めてほしかったりとか、 
そういうのから離れて ただ 
「わたしは、わたしの方法で
 頑張って生きている」 
ということを言い続けてみる。
 

それでも、やっぱり伝わらないことも 
あるかもしれないけれど 
もしかしたら、「頑張ってるよ」 
というエッセンスの部分が、 
少し伝わることもあるかもしれません。

=======================

人生の学校 新木場オープンクラス
ありがとうございました! 
 

新百合ケ丘のクラスと全く違う 
感じになり、 
正直、同じものとは
とても思えませんでしたが(゚-゚;) 
 

それぞれの深いところにある
共通しているテーマがあって、 
それを超えていく景色を眺め 
させていただき、わたしもとても 
学ばせていただきました。
 

今回は、自信とプライドという 
ディープなテーマに取り組ませて
いただきました。 

 
ディープではありますが、 
自信やプライドということ。 
わたしたちが、自由自在に表現 
していく、ということに 
向き合ったとき、切っても 
切れないものではないでしょうか。
 

自分という存在を受け入れていく 
ことで ねじれてしまった自分の 
特性を本来の姿で活かすことが 
できます。 

  
力を無理矢理  
押し込めてみようとしても、 
結局は違うところから 
それが出るような気がします。
要するに、何をしてみても、 
ちっとも隠れやしません(笑)
 

そのままの自分自身を 
受け入れていくこと愛していくことで、 
本来の姿の特性を表現できるのだと 
思います。
 
 
自分さえも、 
その姿を忘れちゃったとき  
それを教えてくれるのは  
周りの自分。
 

そして、どんなに、 
忘れていたときであっても  
いつも愛されていたことを 
知るのだと そう 感じています。

=======================

自分にしか出来ないこと
それを見つめたときに  
競争は消え去る
 
 

才能には、2つあって
開花していく才能と
自然体でいるだけで、 
出来てしまう 才能
 

この2つの才能を融合させて
喜びの極みとオリジナリティ性の 
極みを 融合させたとき
自分にしか出来ないことが  
観えてくる
 

自分にしか出来ないこと
それは  
未来こうなりたいということと
今、目の前にあること
 

*****************************
 

昨日の、オープンクラスを終え、 
みんなが どういうことで
困ってたり、悩んでいるのか。 
ということを知って。 
 

そういう対話の後って。 
もう、後から後から。。。。。。。
じゃんじゃん、色々泉のように 
湧き出てきちゃって
止まらない〜〜〜〜〜♪
 

『日本中に、光のグリッドを 
 はっていくんですよ』っていう
光のグリッドの意味が わかってきたあ〜♪

=======================

自分の出来る目の前のことを
大切に 大切に 育んでいると
 

マインドの予想を遥かに超えた 
ギフトが訪れる
 

達成感を感じる生き方も  
それはそれでいいけれど
いまの わたしは  
誰かの愛を感じられる生き方が好き。
 

宇宙の計らい。
恵みや祝福を 
ひしひしと胸に感じながら
生きていきたいなと思うのです。

=======================

贅沢な悩み 
という言葉があるけれど
悩みって全部贅沢だなあと感じる
 

悩みは多くの場合、 
自分にとって大切なことや 
大事なことが幾つもあって、 
それが重なり 絡み合って 
つくられている
 

それを観ることが出来たなら、 
悩みそのものに
自分が支配されてしまうことは 
なくなり  
 

悩みですら、 
様々な愛から生まれていることを 
知るのだ。  
その時、既に悩みは悩みという 
言葉ではなくなっている
 

悩みは大切なことがある 
という証

=======================

表現、顕現、出現の年になる 
だろうことを 感じたり、 
目にしたり、耳にしたりしていました 
 

現れる。真実が明らかになる 
ということは
秘密が露見するということでも 
ありますね。
 

年初に、 
今年起こることについての予言で
こんな文章を目にしていたことを 
思い出しました。 
 

いま、世間で話題になっていること。
ああ、本当にそうだなあという感じです。
 

『秘密が露見するでしょう。 
 それで世の中が驚きます。 
 

 私たちが期待しても 
 当事者は悔恨の情を示したり
 謝ることはしませんが、
 この時に秘密が明らかになって
 空気が変わります。 
 

 この時の真相は、多くの人が 
 疑っていたにも拘らず、 
 誰も証明できなかったようなことです。
 

 そこに政府や高官が関与し、 
 汚職と堕落で奇妙な絡み合いを
 見せつけます。
 

 誰も予想しないような情報源に 
 端を発して、通常であれば 
 そのようなことに関係しないと 
 思われる人が情報源として拘ります。』

=======================

<リセット>
 

とても順調な波に乗っている
そう感じています。
いま、自分の進みたい路を
確かに歩んでいること
 

外れさえしなければ、わたしは
わたしに用意された道を 
進んでいくだけ
それを充分に理解しているのですが
 

向上心溢れ、責任感が強いわたしは
自分を鼓舞していたつもりが
いつの間にか 
自分に厳しく諌めるところに 
立っていることがあります。
 

それですら、その源泉が 
母子家庭で子どもを育てる母としての 
愛であることをしっかりと見つめつつ。 
 

そういうところに少し傾いているなと 
思ったらリセットします。 
というか、最近では自動的にリセット
されてしまう。という感じなのですが(笑)
 

リセットって大切ですね。
どこかからの続きじゃなくて
いつもここからはじまっている 
という感覚。
 

リセットすると、 
一気にひいた感じになってしまうので、 
全てに捕らわれていない、
何でもいいというか
何もかもすべてがOKになります。
 

同時に、物事に対する情熱や動機とか
そういったものがあまりない状態です。
 

そうして 一旦リセットした後には 
自分で自分に課していた不必要な
プレッシャーが全部消え去って、 
 

ただ 純粋なシンプルな動機だけが
残っていて、 
その動機によって動いていくのです。
 
  
以前は、動機に不純物があるかどうか 
すら わからないで動いていました。 
動機をみていなかったのです。 
 

今では、よく動機をみるようになりました。
動機に対して、みるようにしはじめた後も
不純物が混ざっていて、 
それを初期化するまでのスパンが長かった 
のですが、 
最近は、コンスタントになっているように 
感じています。
  

頑張り屋さんの傾向にある方に、 
リセットの方法は  
とってもおすすめです♡

=======================

罪悪感は 
見てみぬふりを 
してきた時間に
比例する

=======================

活躍していいな〜 
って思う あの人 
 

満足しているかどうかは、 
本人にしかわからない
 

その人は  
他のもっと活躍している人をみていて
その人と自分を比較して  
まだまだな自分を感じているかも 
しれないから
 

お金をたくさんもっていて 
いいな〜って思う あの人 
 

満足しているかどうかは  
本人にしかわからない
その人は お金には困って 
いないかもしれないけれど
 

他の大切なものを  
体験することができずに
悲しんでいるかもしれないから
 

能力が高くていいな〜 
って思う あの人 
 

満足しているかどうかは  
本人にしかわからない
 

その人は その能力は高いかも 
しれないけれど
他の能力を 手に入れようと
必死に努力しているのかもしれないから
 

みんなみんな  
満足と不満足を抱えて生きている 
 

みんなみんな  
それぞれの課題を抱えて生きている 
 

物質的なことかもしれないし、 
意識的なことかもしれない
個人的なことかもしれないし、 
全体的なことかもしれない
 

課題の内容や、課題のピントや、 
課題の規模がずれているだけで
課題を抱えていることは同じ 
 

不満足は、角度を変えてみれば  
自らの進みたい方向を知り
拡大し変化していく存在の 
わたしたちの特性そのもの
 

どちらにしろ、既に祝福され 
既に満ち足りていることを 
感じながらも 
 

それでも変化していく自分を体験して  
満足に向かおうとする
不満足の中に煌めく輝きは  
 

希望という名で呼ばれる

=======================

人生の学校オープンクラスの告知です♪
時間の流れがはやくて、 
もう今週来週開催なんだ!(ノ゚ο゚)ノ 
という感じです。 
 

直前のご案内となりますが、 
ご参加してみたいなあと思った方
いらしてください♡
 

色々な動きがあって、 
今月は2カ所で開催することに 
なりました。 
Skypeバージョンも合わせると 
4日程となります。
 

5/22(木)13時30分~16時30分 神奈川県 新百合ヶ丘駅近郊
5/24(土)14時00分〜17時00分 東京都  新木場駅近郊
5/29(木)13時00分~15時30分 平日Skype
5/31 (土)13時00分~15時30分 休日Skype
 

内容は、いずれも以下の通りです♪が 
全く同じことを話すのではなくて、 
ご参加者に合わせて行っていきます。
 

第一部「バトンリレー」
第二部「真の自信とプライド」
 

【主催】  Aya
【代金】 ¥3,000 
 

参加者の方それぞれが、 
ベストなタイミングで自分に必要な 
ギフトを受け取っていただけることを
ひしひしと感じています
 

第一部「バトンリレー」
第二部「真の自信とプライド」
の内容で行います。
 

第一部「バトンリレー」
 

☆つないでいくもの
☆つながれていきたいもの
☆世の中での自分の立ち位置を知る
☆自分の才能を見つける
 

☆自分の喜びを見つめる
☆ただ愛となっている状態とは
☆決して失うことのない能力とは
☆才能を発揮していくコツ
 

第二部「真の自信とプライド」
 

☆プライドとはどんなときに 
 生まれるのか
☆真の自信を育むために
☆プライドと上手くつきあっていく方法
 

☆プライドがつくりだす、
 巧妙な二進法の罠
☆表現できないことはプライドが 
 関係している
☆本当に望むことを見極めていくために
☆逆プライドというプライドの存在
 

自分の体験からのお話をさせて 
いただいたり
ご参加いただいた方のご質問に 
簡略的に答えていったり 
自由に行っていこうかと思います 
 

特に色々な本を読んだり、 
ビジネスのセミナーや 
イベントに出られたり瞑想技術や、 
内観の実践テクニックやヒーリング、 
自己啓発的なもの等 様々な手法を 
身につけたり学んだりしてきたけれど。。。
 

☆世界においての 自分の役割が
 はっきりとみえない方
☆これから、何か新しいことを 
 はじめていきたい方
☆表現したいのだけれど、 
 恐れが多くて一歩進めない方
 

☆自分の才能がよくわからない方
☆ライトワーカーとして生きていきたい方
☆社会に貢献していきたいと思っている方
☆自分の長所がよくわからない方
☆もっと自分を輝かせていきたいと 
 思っている方
 

☆才能をもっと活用して活かして 
 生きていきたいと思っている方
☆世の中にもっと、出ていきたいと 
 思っている方
☆何が自分にとっての幸せなのかを 
 見極めていきたい方
 

☆世の中に出ていきたいけれど  
 恐くて一歩を踏み出せない
 または、自分にとっての一歩が何か 
 わからない方
☆何かしたい!と思いながら 
 何となく時が過ぎていっている方
 

などにおすすめです☆
ピンと来た方、ぜひ お越し下さいませ♪

=======================

1つのページをあけるごとに
更なる可能性が広がっていく
 

だから目の前のページを
たった1つでいいから開いてごらん
 

そこには 同時に幾つもの扉が
隠されていたのがわかるから
 

一歩進むごとに 心が躍るそれは
新しい物語の予感

=======================

停滞しているように 
見えるものもある 
 

これほど様々なことが 
流動していく中なので尚更
そう思えるのかもしれない
 

待ち望んでいるものであれば 
あるほど
それはほとんど静止している 
ようにみえた
 

静止の中でこそ  
新たな動が育まれる
 

そんなとき、予想外の方法で 
マインドの想像を超えるものが
絶妙なタイミングで現れるように 
創られていて
 

最高のギフトが  
あなたの前に現れるのを
息を潜めてじっと待っている

=======================

自分のことを大切にするって
とっても大事。
 

大切にして、 
弱音も葛藤も何もかも
どんな思いも丸ごと含めて 
観れたなら
 

それがどちらにしても
愛に基づいているのだと 
知るのだから

=======================

本当に痛みを理解できるのは
同じ痛みを感じて  
同じ悲しみを知っているから
 

そしてその悲しみを
喜びに変えることができる術は
自分が超えてこそ
伝えることができる

=======================

目の前の出来事を
言い訳にするか 活力にするかは
いつだって自分次第
 

『こうだから できない』
『こうだから やろう』
 

どんなネガティブと思える 
出来事だって  
活力にすることもできる 
 

逆に 
どんなに価値があることだった 
としても
それを活かそうという気がなければ、 
埋もれてしまう
 

活かすか埋もらすか  
選択はいつも委ねられていた

=======================

こういう風になっていきたいのに
動けていない。。。 
進んでいない。。。 
って 自責や焦りを 
もし感じているものがあるのなら。
 

100歩進まなくちゃ って思ってる 
ところの ほんの1歩を実際に 
行動してみることです 
 

たったの1なの?って 
思うかもしれないけれど
この1歩が 自責や焦りを 
不思議と解消してくれます
 

そのときには、 
『1は ある』なんだ って
ちゃんと見ること。
 

『100は ある』で
『0〜99は ない』っていう  
マインド特有の二極の決めつけから
抜け出してみること
 

物事っていつだって  
あるし ないのだから
 

どちらを見ようとするかで 
そしてどちらもちゃんと 
みてあげることで 
 

こころに 受容とゆとりが生まれます♡

=======================

ぜんぜん見当違いの見解をもらう 
ことって それは  
こういったことを学んでいたら  
みんな体験しているのかな。。。
 

さっぱり見当違いで 
一生懸命さは空回りしていて 
こちらから見たらちぐはぐだけれど
そちらからみたら  
そういう景色にみえなくもないよね
 

どう見るのかって ホント自由で
色眼鏡を構築してしまっていたら  
さらにそれはそう
ホントのこと言っても  
それをどう捉えるかも自由
 

そんなときこそ
わたしは わたしの真実だったり 
行動を起こすときの思いだったり 
そういったことをちゃんと見て 
あげたいなって思うんだ
 

一番自分のことを  
理解してあげられるのは  
自分だから

=======================

自分のためにだったら  
決してしないようなことも
誰かのためと思えばこそ  
できることがある
 

満たされている人ほど  
自分からどうにかしようとは
思っておらず  
求められた時 呼応するように答える
 

そのとき ただ 愛となり
 

自らが すべての問いの  
答えを現している

=======================

行為 行動だけでは  
物事は判断できない
 

動力の源をよくみること
 

例えば 『頑張る』 という行為
 

『頑張らなくちゃ 愛されない』
という動機からの 動の状態から
 ↓
『頑張らなくても 愛される』
という 静の状態になり
 ↓

『これほどまでに世界に愛されている
 のだから わたしも出来ることをする』
という 動の状態に移行していく
 

これらは 入り交じりながらも 
プロセス的には より純粋な 
静と動のコラボレーションと
なっていく
 

前者の 動は 不足からの行動であり
後者の 動は 充足からの行動である

=======================

どんな微細な感情も見逃さずに
受け止めることが出来たなら
 

どんな弱いわたしも 許し 
愛することが出来たなら
 

受け止めていけばいくほど
愛していくほどに 優しくなれる

=======================

人には それぞれの 
立ち位置があります
 

わたしは わたしにしか 
できないことがあって
 

あの人には あの人にしか 
できないことがあって
 

誰かが わたしの人生を 
手伝うことはできないし
 
 
誰かが あの人の人生を 
手伝うことはできない
 

だからこそ 個々それぞれが  
流動性と進化をもちながら  
今の 自分の立ち位置を  
全うしていくこと 
  

それが 本当に大切なことなのだと  
そう思うのです

=======================

せかいは 調和に満ちている
 

どんな時も
片方の天秤が上がれば上がるほど
片方の天秤は下がっていく
 

そうして 世界は一寸の狂いもなく 
常に均衡を保ち
 

闇が光を育み
弱さが強さを引き出すのだ
 

それを知って
どうして 闇と弱さを憎むことが 
できるだろうか 
 

いつもいつも わたしは
全てのものに 育まれてきた 
 

わたしが  
なりたいものになるために
 

わたしが  
体験したいものを体験できるように

=======================

特別を追い求めているとき
 

それは きっと
出会えて 今 一緒の時を 
過ごしていること 
 

それが 既に特別であることを
見逃している

=======================

ゆとりを 生み出すこと
 

自分が能動的に 心地の良い感じに
責任を取りながらも  
自分の限界を超えると
気がつけば 当たり前の範囲が
広がっているのを 感じます
 

自分の限界に挑戦しなければ
いつまでたってもその範囲は 
同じままだし 
 

同じ器で満足していれば  
器は広がりません
 

挑戦できることを挑戦していけば  
確実に広がり  
当たり前の範囲が広がっていき
 

いつしか 挑戦していたことが  
自分にとっては当たり前であって  
ゆとりある状態になっているものです
 

ゆとりを生むコツは
心地の良い感じに責任を取りながらの
適度な挑戦だったりします

=======================

与える 受け取る
という表現は 分かりやすい
 

ただし、 
常に与えていることを 
知ることと
 

常に受け取っているという 
視座で物事を観たときに
 

本質からの 
自然な表現が起こるものだ
 

愛を受け取る側は
愛を与えるチャンスを 
 

与えているのだと

=======================

恵み
 

祝福や恵みを感じる一日が  
また今日もはじまるのだろう

=======================

昨日と今日は存分に癒しを 
受け取る日となりました♡
 

癒されれば 癒されるほど
力が抜ければ 抜けるほど
愛されれば 愛されるほど
 

愛が自然と沸き起こり
ただ筒となって愛が通って
いくのを感じています

=======================

やる気満々がさらにUP♡
 

動機って不足や欠乏からとか
色々あって 
それが一部混ざってることを 
感じつつも
 

目の前の自分の出来る最善を
することが 
本当に喜びでそれがわたしを 
動かしている

=======================

どんなに色々な形の積み木を 
積み上げても
決して 埋まらないものがある
 

それは  
ただそのまま 生きているだけで
愛される という自信
 

それは 実際に 
愛されるという体験と
愛されていること  
愛されていたことに 
気付くことで 培われるもの
 

積み木を高く積み上げようと 
すれば 脆く崩れさるけれど
 

そのままで愛されるという自信は
 

おひさまが大地に降り注ぐように
雨が大地に染み入るように
 

大地そのものに 深く深く 
染み入り 
こころを ひらいていく
 

愛の名のもとに 

=======================

胸が時めくほどに
熱中できるものがあることは
とても幸せなこと
 

何処までやっても 
一生懸命やりたいと 
感じられるものがあることは 
とても幸せなこと
 

まどろみの中の情熱
それがわたしを動かしている

=======================

起きてから 眠るまで
すべてが愛おしいって
そう感じるのは あなたが 
生きてくれているおかげだね
 

自らの課題は
超えれば超えたところにも 
こうして また  
山がみえるものだけれど
 

それは  
わたしという存在が  
無限に拡大していく存在だから
 

そうした山という波を 
超えながら
人生がクレッシェンドして 
いっているのを感じているよ 
 

これからも  
クレッシェンドの中の
波をのりこえて  
山をのりこえていくんだね
 

先頭を歩くのは孤独だけれど
 

みんなが 
先頭を歩んでいくなら
 

どこかでみんなも 
頑張ってるなっていう風を 
感じることができる
 

先頭を歩みながら  
共に生きていく

=======================

何でも知っている 
という罠にハマっていないか
自分自身の心に問いかけ 
よく観てみるといい
 

知識は 宝ともなるが
時には 自らを滅ぼしかねない 
傲慢さを生み出す
 

何故なら
知識で理解している人は
「マインド」「思考」の
都合のよい方に
「自分自身を すべて上手く
 丸め込めるほどの 能力があり」
 

その強力なマインドが 
自らの相手になるからだ  
 

そして、マインド、 
思考が出発点なので、 
エネルギー的に自らを守る 
意識から生み出されている 
のだけれど
 

「守っている」とは容易に 
自分では解き明かせないように 
自分で自分に仕組むのである
 

マインドとはそういうものだ
 

本当の自己は
チャレンジャーであり 
決して守ろうとせず
そうでありながら、 
反応や無謀さとも異なる
 

エネルギーがわかるものには
どんなに 思考で太刀打ちしても 
無駄である
 

何故なら、どんな内容が
書かれていようとも 
根元の意識が何から生まれて 
いるのか 
すべて筒抜けでバレているからだ
 

マインドの声も筒抜けで
隠そうとしているのも筒抜けで 
怖がっているのも バレバレである
 

マインドで書かれた文章に 
惹かれる人たちは
その人たちが 今の時点で 
マインドに共鳴していて
それが その人たちに 
必要なのだろう
 

深い意識から書かれた文章に 
惹かれる人たちは  
心の奥が共鳴していて 
それがその人たちに必要なのだ
 

そして、それは いつでも 
自分で選び直すことが出来る

=======================

もし 仮に被害者意識の人が 
目の前に現れても
同じ土俵に上がらないこと
 

被害者意識の人は
今はそうするしかないから 
そうしている
 

それは取り扱い説明書の存在を 
知らずに読んでいないか、 
 

もしくは、取り扱い説明書を 
読んだけれども、 
まだ完全に使いこなせず 
自分のものにしていないかの 
どちらかだから
 

それはかつての自分であり
 

そして、その人は 
自分の細胞に潜む被害者意識を 
教えてくれているに過ぎない

=======================

人生において「無駄なこと」
は一つもありません
 

例えその時は 
そうとは思えない時ですら
 

自らの経験は
こころの中で息づいていて
 

どんなふうにその経験が 
活かされていくのかを
じっと見守っています

=======================

自己主張って
ほんとに 大事ですね
 

自己主張する際に
どんな気持ちでそうしたのか
 

自分のこころを見つめることが 
できたなら 
例えこころが揺れ動いたとしても
その謎が自分で解けるんだと 
思います
 

自分の気持ちを本当に大切に 
することができたなら
どうにかしようという 
期待の気持ちが消え去り 
 

同時に 
どうにかならなかった時の 
不安な気持ちも消え去り 
 

後で大切にされなかったという 
気持ちが湧く要因も 消え去り
 

それぞれの 思いや主張の中で
最善のことが 進んでいくのを
ただ 淡々と見守ることが 
できるんだと思います
 

大切にされなかったって 
後から思うときは
 

自分が 自分のことを 
どこかで大切にしなかった 
だけなんだね

=======================

同時進行
 

色々なことが同時進行 
 

どれも適度に行うことが  
大切だと思って 
心地よい程度に取り組んで 
いるけれど  
全部に取り組んでいるから 
ペースは以前と比較すると遅め 
 

それでも ゼロじゃなくて 
取り組んでいるから 
目に少しづつ成果は観えてくる
 

内側にも外側にも取り組み
マインドの理解と 
エネルギーワークの両方に 
取り組み 
 

未来も見据えながらも 
日々の目の前のことを 
大切に取り組み 
 

セッションで 
自分に出来ることを 
行わせていただきながら 
自らの課題に対しても 
最大限出来る範囲のことは 
すべて行い 
 

自分の状態を把握し 
サポートを入れてもらう 
ところは入れてもらって
絶妙な加減で  
体験したいところを体験 
していく
 

ライトワークや仕事に励み 
ながら、合間に 
新しいホームページ制作にも 
取り組みながら 
 

母として子どもとの時間も 
大切にして
食の素材に意識しながら 
料理をつくって 
掃除と洗濯をこなし 
 

適度にお昼寝をしたり 
ショッピングやマッサージや
温泉で自分を癒し労って 
休むときは休み
新たな学びと旅行を楽しむ
 

個として自分の仕事を行う 
ことで
完全な自由とオリジナリティを
味わいながら
 

一方で 尊敬するメンターや 
愛することをあきらめない 
最高の仲間たちといっしょに  
イベントをひらいていく喜びを 
味わう
 

充実ということばが  
ピッタリあてはまる状態
 

そして それは  
あの時のわたしが 
こうなりたいと 
 

思い描いていた自分が 
創りだした今が訪れていて  
 

そんな今をわたしは 
生きている

=======================

忍耐というのは 
とても素晴らしい能力です
 

忍耐力があったから
今のわたしはいままで 
生きてこられました
 

諦めないこころが 
あったから
 

でも 今の時代 忍耐力は 
自分の進化のためや 
他者の進化を見守るために 
使うのであって
 

自分が自分の喜びに適さない 
ことに対しての忍耐力は 
必要ないかと思います
 

自分が自分を  
価値ある人間として
自分の喜びの尊厳に対して
不適当に扱われることを  
許してきたのは  

 
他ならぬ  
自分だからです
 

そのときワガママとは違う  
適度な主張が心地よい感じで 
放たれます
 

主張をこころに秘めて 
溜め続けていれば
それは 膿みを生むのです
 

自分の許容範囲か
喜びの範囲を超えているか 
いないか
 

それを常に見極め  
自分の喜びに責任をとっていく 
ことが大切です

=======================

自分が 超えたところ
自分が 体験したところ
 

本当の意味で そこを提供すると 
決めているなら
 

わたしは常に 
わたし自身と向き合って
わたし自身を超えていく 
必要があります
 

素晴らしいものであっても
進化のないものは 
いつか時代おくれとなるし
 

そして それは 
今はとてもはやいだろうとも 
感じています
 

そうして ある一定のところで 
留まりながら 行うことは  
多くの方に広めるということを 
最優先としている方にとっては
大切なことなのだとも思いますし
 

色々な役割の方がいて  
そういったことも必要です
 

わたしのやりたいことは 
何よりもまず  
生きている学校をつくるって 
ことなんだと
こころから そう思います 
 

生きているから  
これからも変わりゆくけれど
そのベースは整ってきています
 

きっと 生きていない場合  
それは目の前に現れる景色も 
同じなんだと思います
 

どんなときも 励みになっているのは
周りに流れ行く景色
 

みんなが変化して輝く様子を 
眺めるのが 本当に 大好きだから
 

愛されていたと 知ったとき
誰かを許すことが できたとき
自分の路を揺るぎなく 決めたとき
 

そんなとき 本当に人は 輝きます
 

だからこそ これからもわたしは 
みんなと一緒に 
わたしを超えていけるって  
そう感じています

=======================

嫌だな〜って
思う人の特徴って
「表現方法は違うけれど
 根本の思いが同じ」
だったりします
 

例えば
怒りとして出すか 
黙ってるか
 

そういう表現方法は 
違っているだけで 
同じなんだよね

=======================

新たなる真実を 
世界に公表していく 
ということは
 

その真実を受け入れられない
恐れている人たちから
バッシングされたり
否定されたり 批判されたり
 

そういったことをも
引っ括めて覚悟していく 
ということだ
 

歴史をみればわかる
地動説だってそう
 

多くの人が 自らの創造性
を放棄して 囚われ
知らないままでいてくれた
ほうが 都合がいい団体が 
いたりするから
 

それでも なお 真実を世界に 
公表していくことを選べるか
 

それを問われていくのだろう

=======================

ところどころで 
課題と向き合うために
大変な時期もあるかも
しれないけれど
 

それはいつか通りすぎるよ
 

同じように 
今楽しいと幸せと 
感じられることも
それは新たな幸せに 
移り変わっていく
 

パノラマが 
わたしに向かって 
流れていき 
そうして 耳元で囁く
 

「愛している」と

=======================

いつだって
陽だまりの中にいるのなら
何だって出来る気がする
 

越えても越えても 
その先には 
新たな山があると 
信頼出来たなら
 

越えてゆき
どんどん移り変わりゆく 
景色を楽しんでいけるね
 

山を無くしたいものにとって
それは絶望で
 

永遠を遊びたいものにとって
それは至福
 

揺らめきの中の 煌めき 

それは 確かさなど  
なに一つないこの世界での 
 

たった一つの真実

=======================

恐れがあるから 
超えられるね
 

何にもなければ  
当たり前すぎちゃって 
超えるって体験も出来ない
 

恐れを把握して  
自覚して 感じつつも  
進んでいくことを 

 
きっと  
勇気って呼ぶんだね

=======================

今しか体験できない 
感情がある
 

どう頑張っても 
通ってきた道筋の 
あの場所の感情を 
これから体験することは 
不可能というような
 

今しか体験できない 
喜びがある
あんなに夢中になった 
のだけれど
 

いまとなっては  
どう頑張っても 
それを喜びとはとても 
思えなくなる
 

そして  
その感情とは苦しみや 
怒りである場合もあるかも 
しれない
 

いつだって 
一方通行の道を 
わたしたちは歩んでいて
 

いつだって 
期間限定の味を 
わたしたちは堪能している
 

そうして 
新たないにしえの自分へ 
一歩一歩内側に向かっていく

=======================

人生の学校4月オープンクラス 
終了しました♡
みなさんありがとうございました!
 

初めて写真撮るのを
忘れなかったよ〜(((o(*゚▽゚*)o)))
 

春らしく爽やかとはいかずに 
ドップリと濃い〜感じで 
行わせていただきました(笑)
 

第二部などは、 
みなさまのそれぞれの 愛の形
愛が溢れる様子などを拝見できて
本当に感謝でいっぱいです
 

達観しちゃってるひと
眠くなっちゃったひと
愛を送っているひと
 

ひたすら他者の光を 
ぐっと見つつ 
すべての完璧性を 
見守っているひと
 

好奇心旺盛なひと
 

愛を浴びたひと
 

それぞれ自由に 
ただそこに居てくださって 
ありがとうって思いました
 

進化って ハッキリ言って
決して楽しいことばかりじゃ 
ないけど なんかいいよね!
 

時に孤独を感じることもあって。
 

でも、だからこそ
共鳴し合えることがある 
ってことが
本当にすごいことだと解るし 
 

触れ合いの素晴らしさを 
肌を通して知れる
 

生きてる限りは  
生きるのだから 
 

自然な感じで心地よさと 
適度な動力と共にフルで 
生ききりたいなあって思いました

=======================

美しそうな中に 
「自分のために」
と奥から聴こえるときがある
 

恐ろしそうな中に
「他者の進化のために」
と奥から聴こえるときがある
 

自分を守ってるのか
それとも成長を促しているのか 
そのエッセンスを観る
 

恐ろしそうな中には
とても似ているように思えて 
全く性質の異なるもの
 

細胞膜の外側から押すか
内側からその膜を押すか
 

前者は 萎縮させ
後者は 拡大させる

=======================

他者のエネルギーや意識が 
わかってしまうということは
決して美しいところだけじゃない 
人間を知るということだなと 
思います。
 

そして  
真に他者を愛するということは
甘やかしてぬるま湯につけておく 
ことでもないのだと思います。
 

人って 視座が異なると
被害者になれるから 不思議
 

被害者になれるということは
同じ行動を起こした場合  
自分ならば、加害者 
(自分を守るために 
使っているのだろう)
という風に思うからです
 

自分目線以外の動機があるとは 
思いつかない
自分ならこうする というところ 
以外で考えつかないのです
 

それが どれほどに深い純愛
(自分の守りではない、他者への愛)
であったとしても
 

自分の辞書に 加害者 被害者
<つまり、他者>というのが 
存在しなくなってきたときに
それが一体 何から生まれて 
いたのかに気付くのです
 

厳しさと優しさとその全てが  
自分に対しての愛として 
ただ 向けられていたのだと
 

すべては 自分が創造していて
例外は存在しません

=======================

達成感を超えたところに
真の安息と感謝がある
 
 
達成感を味わうための 
困難を卒業し
 

自分の力だけで 
何とかしようと思うことから 
離れて
 

世界のすべてと 
すべての自分と共同作業していく  
喜び

=======================

自己否定は
自分という美を 
真に理解していくことで
消え去ります
 

否定は 消すのではなく 
理解と同時に  
消え去るものです

=======================

人が誰かに 
何かの行為を行う際
自己満足か奉仕であるかの差は
 

どれだけ行為を行う人自身が 
癒されているかどうかに
かかっている
 

自己満足であることに 
気付けないこともある
 

癒しこそが 自己満足から 
奉仕への道であると自覚し
 

自らの癒しとひたむきに 
あきらめずに取り組み 
 

自らを癒して 
愛していくことが  
純粋な奉仕への路なのだ

=======================

罪悪感と使命感が混在して 
生まれるケースがあります
 

そういった  
罪悪感を伴う使命感に
必要以上に捕らわれる必要は 
ないですね
 

使命に生きる場合
自分の歓びに責任をとれるか 
どうかというところが  
すごく大切で、 
 

出来なくなると 
それは犠牲という名になります
 

ミズダコの子育て  
知っている人も 
多いかもしれないけれど
 

ミズダコのメスは
赤ちゃんが誕生するまで 
約10か月間何も食べずに 
卵を外敵から守るのです。
 

産卵の時期になると岩穴の 
天井などに卵を産み付け
約9万個もの卵を産卵して  
その卵に新鮮な水が届くように
海水を吹き付けたり、 
 

ごみが付かないように腕で 
卵の表面を撫でて掃除したり
そして、 
赤ちゃんたちが元気に 
飛び出して行く姿を見届けると 
メスはやがて力つきて死んで 
しまいます。
 

これをどう思うかは 
人それぞれですが
個人的には  
犠牲ではなく使命のような 
気がしています 
 

行為自体というよりも  
それが自分の歓びかどうか
能動的に覚悟して行う 
というところが 
 

愛と犠牲の分かれ目 
なのでしょうね
 

罪悪感を伴う使命感が 
ほとんどだった人は 
こうしなくてはいけないと 
思っていた自分から脱却する際
「使命や目的を抱くのが古い」 
(自分のプロセス的にそう思えるから) 
という風に思えて  
 

使命とか目的とか 
そういったものからは  
一次的に、一切手をひきたい 
ということがあります。
 

自分自身がつくっていた 
規制から脱却して
自由を味わいたいのですね
 

逆に  
使命や誓願や目的が 
みえなかったり  
わかっていないことで 
混沌としたり
流されやすかったりする人も 
いるわけで
 

その方は 生きる目的  
使命を見つけたいのだから
 

本当に色々なプロセスがあるなあ 
と思います
 

そして 使命を 
「ただ愛だから」
というところだけで  
突き動かされるケースもあって
 

その場合、 
愛の温度、スケールというか 
そういったもので動くものだから  
同じ使命であってもまた別モノな 
感じもするし
 

使命と自分が一体になっている 
ような感じで  
それはとても淡々としていながら 
 

別物として切り離すことができない 
ものなのかなと  
 

そう 感じています

=======================

静けさの中からの動機
 

それは  
とても落ち着いていて
 

落ち着いているけれど  
躍進していて
 

躍進しているけれど   
動じない
 

動じない強さを秘めながら
あらゆる変化に対応できる 
柔軟性をもつ
 

それは  
静けさの中から生まれる

=======================

初心
 

初心はとても美しかったのに 
途中で様々なものが混ざり
そちらの方が強くなってしまう
ことがある
 

広がれば 広がるほど 
本来の目的を 
失いかけてしまうような
 

自由に生きることや  
自由に生きることへのサポートが 
目的であったはずなのに 
 

お金からの自由 というところ 
だけにすり替わっていき
 

そうして  
お金や名声や権力をより得ようと 
する手段へとすり替わっていく  
そんな光景をみてきた
   

そうはなりたくないと思い  
それを恐れるあまりに
たいしたことができない 
自分でいようとしたこともあった
     

パワフルさを兼ね備えている 
ということは 諸刃の剣 
 

全人生における  
自分の人生の記憶の一部が 
蘇ってきているけれど
ダークサイドに墜ちたときも 
とことんパワフルであることが多く
 

今回もまたもや 
パワフルさを兼ね備えてきて 
生まれてきたわたし
 

傲慢さと特別意識に 
支配されてしまわずに
能力や素質に溺れてしまわずに
 

謙虚さを失わずに 
純粋な愛を広げていけるだろうか
 

能力や素質は持ち物ではなく
宇宙の楽器の1つとして  
奏でることができるだろうか
 

自分自身から沸き起こる 
溢れる愛を感じながら
 

それが大切なことだと
わたしの心のどこかのわたしは 
それを知っている
 

あの時代と同じことを 
繰り返さないために
 

そうして 
わたしは戦略をたてた
それはこれから外へ拡大していく 
自分自身に対しての戦略である
 

戦略をたてることがとても 
上手なわたし
そしてその力は今は自らの 
内側につかっていくときと 
感じている
 

戦略をたてるには まずは自分の 
<闇、ネガティブな側面>
自分を知って受け入れていって  
そうして立てること。
 

1、自分の側に信頼のおける 
  メンターの布陣を常にひいておくこと
 

2、謙虚さを伴う適正な価格で 
  仕事を提供すること
 

特別意識の芽がちょっとでも 
芽生え始めたら
芽を摘んでもらう役は 
 

理解に秀でていて 愛に溢れていて  
弱さを受け止められて
抵抗やら何やら  
受け止められる器のある人にしか 
任せられない
 

自信を取り戻して  
自らを現していくとき
傲慢さや特別意識の芽を摘みつつ
 

真の自信だけを残していくこと 
 

それは  
自信がなかったところに  
せっかくカチリとはまったもの 
の中で 
余分な成分を抜いてもらう 
ようなものだから  
小さなわたしにとっては全然 
楽しくない経験
 

楽しくないけれど 楽になる感じ
 

なんでも  
余計なものを背負うと 
重くなるんだね
 

そうして初心を感じつつ  
今日も生きる

=======================

受け取れない何かがあるのなら
 

そこには罪悪感が入っているから 
受け取れない
 

無理矢理そこに入れることを 
考えたり
なぜ受け取れないのかを 
考えるよりも先に
 

まず  
『罪悪感を解き放ちなさい』
 

解き放った新たなスペースに 
あなたの本当に受け取りたいものが 
収まるだろう

=======================

交差点で
向こうの景色を観てきたひとが
こちら側へやってくる途中で
わたしに こう話しかける
 

「あっちの景色は もう時代遅れよ
 これからの時代は こっちよ」
 

そうしてわたしが 
既にみてきた景色を指差す
 

教えてくれたことに
ありがとうって思いつつ 
わたしの気持ちは変わらない
 

わたしが次に見たい景色は  
わたしが知っているから
 

こちら側の景色を 
わたしは知っているけれど
それを観たいんだよねって
わたしは微笑む
 

そうして  
交差点はいつの間にか
スクランブル交差点になって
わたしは  
スクランブル交差点の真ん中で
 

あっちからこっちへ  
そっちからこっちへ
行き交うひとたちは  
口々に 
自分が向かう先にこそ  
最高のものがあると 
そう言った
 

きっとそうだし  
そうでないのだろう
 

そうして  
ここにも最高があると 
知りながらも
わたしもまた  
変わらずにはいられなくて
 

今日も  
人が行き交う交差点を  
渡っている

=======================

多次元アート体験に 
遊びにきてくださったみなさま
ありがとうございました♡ヽ(=´▽`=)ノ
 

ほんと、楽しかったな〜。
 

『なんか、楽しいねえ』って  
何回も口走っていたような気がします
 

先日の出雲の件で 
わたしって ただ楽しんでるだけで 
いいんだなって思ったらほんと楽チンで。
 

何の意図もしていなかったのだけど
楽しんでいたら  
勝手に癒されちゃった人がいたり
勝手に 今まで超えられなかった 
膜を超えちゃいました
という方がいたり。。。
 

アートっていいねえ。
言葉がいらないし、 
言葉を使ったとしても 
ツーカーだけで 事が済むし
 

それに  
絵を描いてることと一体になって
本当に 何をしてるのかとか  
どこにいるのか とか  
わからないくらい没頭するのって 
いいよね〜♪
 

それぞれの みなさんの絵が  
全く違っていたり
カラーも多様で  
描かしていただくにあたって
それもまた 楽しかったです
 

ありがとうございました☆

=======================

急に  
自分が読みたくなったので
アップします♡
 

リーブスの仲裕美子さんによる翻訳にて
ウパニシャッドのご紹介

ウパニシャッドのご紹介

=======================

音楽も。映画も。家族。
セッションを行わせて 
いただくとき。
 

外側のすべて そしてつまり 
わたしの心そのものが 
氷ついて固まっていた氷が 
溶けていっているのを感じる
 

愛されないことより  
苦しいことは
愛することができないこと
 

本当の自分を感じられないから
 

それなのに
ひとが一番認めたくないことは
実は自分が愛溢れるひとである 
というところ 
 

恐れ多すぎて  
わたしになどできないって
どこかで思っていたりする
 

愛の温度は 本当の意味で  
他者とは比べられない 
 

比較できるとしたら  
それは  
 
 
未来の自分と 
未来の自分の可能性と 
比べることができて
自らの広がりを目にしている 
だけにすぎない
 

誰も、自分の人生と 
同じ人生を歩んでいる人が 
存在しないのだから
 

昨日の自分より  
今日の自分を誇りに思える
そんな人生を 一歩一歩  
歩んでいくとき
 

たった ひとつの 自らの人生を

=======================

不足や欠乏に焦点を合わせる  
願望って
世間一般には 叶いにくいって 
言われてるよね
 

確かに、求めることは 
欠乏と同じでないという状況を 
生み出すことだったり
 

既に当たり前にある(と思ってる)
ことを現実化するのとは
ちょっと違って  
妙に力が入っていたりするよね
宇宙の法則からして  
本当にそうだよね。って思います。
 

ただ、わたしの場合 
人生を振り返ってみると
もの凄くこころの奥底から強く 
願ったものが叶わなかったことが  
一度もないのです
 

もの凄い  
欠乏まみれの動機で 
あったとしても。です。
本当にね。まさに 
凄まじい欠乏まみれ願望(笑)です。
これって、一般的にはNGだねえ(笑)
 

欠乏意識って  
頭で消そうとして 
どうにかなるものじゃないから
どうにかして欠乏ではない方に  
無理矢理思い込もうとしたり 
 

アファメーションとかね  
マインドの書き換えとか 
色々一生懸命努力してみても  
そんなことをしたって 
無理なときってあるじゃない
 

そういうときに頭で考え続けると
欠乏を消さなきゃ。とか 
欠乏をなんとかしなくちゃ。 
って、なってくる
まるで欠乏を邪魔者扱い 
しはじめてしまう。
 

欠乏を自覚することは 
大切だと思いますよ。
 

自分を知ることだから。 
 

自覚していないと、 
例え願望が実現しても 
いつか自分の知りたい 
タイミングで
 

実はこれは 
欠乏からだったんですよと 
知ることになる現象が 
起こったりします。
 

でも自覚することと 
邪魔者扱いにして消そうと 
することは  
同じではないのだと思います。
 

こころの奥底から  
魂が願ったものであれば 
欠乏が伴っていても  
願いは叶う
 

これは、 
誰かに何かを言われても
覆らない  
わたしにとっての真実。
 
 
マインドで行う意図的な 
願望実現的なことは  
散々やり尽くしました。
 

あれも魔法使いみたいに 
なった気分で楽しいですよね 
 

今でもマインドで 
グッと引き寄せたり
実現するのはとても得意で  
ふつうにやってしまうけれど
そこにこだわりはありません。
 

いまは  
魂の誓願に順調に向かって 
導かれている確信があって
 

だからこれからのこと
よくわからないし 
先がみえない感じがたくさん 
あるのだけれど  
あんまり心配していません。
 

欠乏に対しても  
自分ができうる限り
エネルギー的な癒しに 
取り組んでいるし
 

外側へも  
いま自分ができる 
最大限のことを力を抜きながら 
リラックスしながらやっているし
 

極めて順調感があります。
 

リラックスしながら 
同時進行を実行することって
(内側&外側の 
 どちらもに取り組むこと 
 現状肯定&成長  
 自分の力&他者の力 
 マインド理解&エネルギー癒し)
 

<絶大なる 順調感 安心感>を
自然と生み出すってことを 
改めて感じています。
 

そうすると、欠乏に関しても 
自覚はあるけど
気にならなかったりするので
面白いですね。。。☆

=======================

意識の狭間にて
 

現実でもない夢でもない
そんな意識の狭間では 
思考がありません
 

違う次元を見ている時とも
いえます
 

ずっと観察しているか
ただ、見ているという感じ 
なのですが
 

最近 その意識の狭間から
意識が戻ってくる際に
自分らしき声が
振り絞るように呟いた一言が 
面白すぎます
 

例えば、昨日の呟きは 
「やっぱり人間じゃなかったんだ」
です。  
 

いつもとは違う 
雷っぽいエネルギーと 
見たことのない 動きのある 
曼荼羅模様を観察して 
 

光のエレベーターで一気に  
カーン って登り切った後に
呟いたっぽいのですが、 
意識が戻ってからなぜそんなことを 
言ったのか 意味不明 笑)
 

改めて自分の存在を
確認したかったのでしょうか?
 

呟きの一言は 
考えて出てくる言葉ではないから、 
わからないのです。 
すごーく言葉少なく  
一言しか言わないし 
 

すごく自信満々で 
わたしじゃないみたいです。
 

他にも レムリアの神殿をみて
「これか。。。」
と呟いたり
 

光のグリッドの幾何学模様をみて
「なるほど。。。」
と言ったりします。
 

のちに私は
「何がなるほどじゃぁ〜!
 サッパリわからん 笑」
って 一人リアルノリツッコミを
行ってます 笑)
 

過去生のけっこう悲惨な記憶が 
戻ってくるときは
苦しかったり悲しかったりするけど
 

こういうのは 神秘的で心地良くて
面白いなあって思います。

=======================

今夜はクライアントさまからの
ご感想をのせたい気分です。
 

こうやって 
ご感想をいただく度に
わたしが いまできることを 
こころを込めて  
精一杯行っていこうと
 

そしてこれからやっていくことに
思いが漲り 胸があつくなります。
 

わたしって けっこうあつい女です
(あ、もう知ってるって?笑)
情熱的 というと 
聞こえがいいのですけれどね(笑)
 

明日から 人生の学校が 
新たな形で はじまっていきます。
 

3月 また新たに 
大きく変わる自分自身と 
その環境を予感めきながら
春の息吹を感じています。
 

********************
 

どんな感情もあっていいんだって 
感じ尽くして流していけばいいと
頭では思っていても
自分の気持ちはいつも置いて
人のことばかり優先している自分
 

もう嫌だって小さい頃から
ずっとずっと思っていながら 
言わないできた自分
 

嫌だっていう気持ちが
すごく心の奥に溜まっている 
のかもしれない
 

優しいayaさんの言葉に導かれて
その思いがやっと出てきました。
 

自分ではどんな感情も 
感じているつもりでいたのです
 

自分を押し殺しているんだって 
やっと気付くことができました。
これからすごい変わっていきそうな 
気がします。
 

ayaさんすごい感謝です。 
ありがとうございます。
 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 

先日は振り返ってみると 
日常でも本当に過去の感情に 
振り回されず
自然体でいられている自分にきづいて
今に生きられているんだなって 
嬉しくなりました。 
 

行きたいとおもいながら 
行けなかったところに 
自然に行けていっちゃってる気がして
とっても 感謝感謝です。
 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 

ayaさんの声が本当にやさしく響いて 
いつまでも聞いていたいような 
心の底から安心できるような
私もこうやって人に癒しを優しさを
ギフトできるようになりたいと思いました。 
 

ただいるだけでも役に立っている 
というお言葉が一番響きました。
 

私は自分がダメだという自信を 
強くもってきたのだと
フォーカスを変える時がきたのだと 
思いました。
 

自分で自分に言い聞かせてもなかなか 
でも と思ってしまうのですが
お話させていただいて 
自信が自然と湧いてきたような気がして 
まさにチェンジングだなと思いました。

=======================

自分ではないものが
剥がれ落ちていけばいくほどに
どんどん感情がシンプルに 
なります。
 

感情も 怒りとか悲しみとか
そういった類いの感情は湧いても
ドロドロしたものになる前に
消え去っていきます
 

そして 感情の波は  
以前ほどウェーブが大きくなくて 
小さなさざ波です
 

恨みや憎しみって一体 
どんなんでしたっけ?
 

あんなに憎悪と憎しみに 
満ちていたわたしが
どんどんそれから離れていって
 

いつしか そんな風なことが 
言える自分になっていける 
奇跡を感じています。 
 

剥がれ落ちて  
自分自身になっていく 奇跡。
鎧をつけてから外せる 奇跡。
 

エネルギー的な癒しが伴った理解は
 

感情が湧かないように 
都合よくマインドで思い込もうと 
する部分が一切なくて
 

そうではなくて <自然と>
そういう風な感情が湧かなくなる 
ようになります。
 

マインドの理解とエネルギー的な 
癒しの両方によって
どんどん楽になっていき  
スムーズに流れていくことを
体感しています
 

そして、エネルギー的な癒しを 
伴ったものというのは
<身体の温度>が変わります。
特に ハートやお腹の温度が変わります。
 

なぜなら 凍っていたものが   
溶けるからです。
そして 絡まっていたものが  
解けるからです。
 

溶けてく 解けてく
 

解くお手伝いは けっこう得意です。
でも 溶かすことができるのは 
絶対的な温度。
 

絶対的な温度は 
すなわち 愛の純粋さです。
 

そのためにも  
どんどんわたし自身が純粋に 
なっていけるよう  
様々なことにこれからも 
取り組んでいきます。
 

シンプルな わたしへ GO♪

=======================

真理を探求するものは
傲慢であってはならない
 

科学の言葉で 
語りえないからといって  
奇跡を笑ってはならない
 

この世界の美しさから
目を背けてはいけない
 

見てごらん
この世界を形作っているのは 
目に観えないほど小さなたくさんの 
ハープだ  
 

世界はハープで満ちていて 
そのひとつひとつが それぞれ異なった
音を奏でているんだ
 

そうして  
あらゆる音が複雑に響き合い
たった1つの調べが生まれる
 

だから 世界はこんなに美しいんだよ
 

[アニメ 一ノ瀬鴻太朗 
 (CLANNAD/クラナド)より] 

******************
 

わたしの中での名言です♪
 

こんな風に  
シンプルと美しさを
兼ね備えている言い回し 
大好きです♡
     

織りなす調べの中で あなたは 
どんな音を奏でていますか?
 

世界の美しさ 感じていますか?

=======================

仕事でね。 
お客さんが来ない&増えない
という悩みに対して。
 

いろいろなテクニックが
ありますよね
集客術とか 本当にいろいろ。
 

集客術と言ってる段階で 
かなり三次元的な表現ですが、 
そういったツールも世の中に
溢れているのも事実です。
 

そういったものをやってみるのも
いいし、そういったことも、 
ストイックに時間を削って頑張れば  
普通に増えますよね。
 

ただですね。。。そういった  
三次元的なテクニックという 
ところではなくて 
 

根源から流れや波動を変えて 
しまうことでいろいろなことが 
変わってしまうんだよ。
 

と言ったら みなさんは  
どう思うでしょうか?
 

今までの努力は何だったの? 
という感じに思えてしまうかも 
しれませんね。
それくらいガラリと景色は変わります。
 

こういったエネルギー的なことを 
当たり前と 解っているかたも 
いらっしゃるのですが 
 

エネルギーワークだけで  
そういった流れが変わる。
ということって  
世間一般において そこまで 
知られていないように思います。
 

人の流れや お金の流れ
新しい人が集まってくる流れ
 

こういったものも 
エネルギーワークを伴うと
とてもスムーズに 物事が進みます。
 

それと三次元的なテクニックを
心地よい感じで適度に行っていくこと
 

その両方を兼ね備えて
目の前のことに取り組んでいけば
 

リラックスしながら 
流れていく景色を楽しんでいける 
のではないかと思います。
 

きっかけは お金とか 
仕事の繁栄とかでもいいですよね
 

こうしてエネルギーワークの 
素晴らしさを 
多くの方が体験していかれるように
なっていくのでしょうね
 

楽しみです♡

=======================

近頃、興味をもっていただく方の
多くが
  

<わたしの波動>のようです。
わたしの発してる言葉がどうこう 
というよりも <波動>
 

レムリアの音とか  
神官の光のグリッドをやってるのとか
シャーマン的要素とか  
そんなライトワークの影響が 
大きいのでしょうか。
 

波動でいったら、 
より洗練されている方が
いらっしゃるのを
めっちゃ体感しているし 
 

<光の集団>の中に入ると  
自分の未熟さを まざまざと 
観ることになるので
本人的には 自信がさっぱりないのです。
 

比較に意味はありませんが  
比較することで
自分の未熟さを知れますよね。 
 

最近、 
比較対象が宇宙人レベルだから
そうなってしまうんだと 
納得しはじめましたが。
 

確かに、あんな波動の人は  
どこ歩いてもあったことがないのです。
 

本当にずっと変化の連続で  
自身の変化は感じていますけれどね。。。
最近激変したことも解ってます。
でもやっぱり 自信ないなあ。。。(笑)
 

わたしの発するものを
読むだけで 癒されたとか
文章ではなくて投稿自体から
優しいエネルギーを感じたとか
 

会っただけで  
顏が優しくなったとか色々。
そんなメッセージをいただいたりすると
 

みんな エネルギーに本当に 
敏感になってきているんだなあ 
って思うのと  
エネルギーに敏感になってきた 
ってことは
 

スピーカーとしてだけの役割で  
話の内容が素晴らしくても
エネルギー的に怒りとか 
満載だったりすると
 

エネルギーが解ってくる人が 
多くなってきて全部バレるから  
そういう人はそこに
行かない&いられないんだろうな〜って  
そう思います。
 

発してる内容に対して  
恥ずかしくない波動でありたいですね。

=======================

バランス
 

人は矛盾の性質を兼ね備えています
 

☆もっと成長したい 
 広がりたいという気持ちと
☆今の自分そのままで完璧で 
 素晴らしいという 現状肯定
 

このどちらかが強く出過ぎたときに
もう片方の他者のことばを聴いて
バランスをとろうとしたり
ホッとしたりこころがほぐれたりします。
 

多くの人の場合、この数十年。
世の中は<外側に向かっての成長>
だけを突出して見てきました。
 

ところが、この数年は本質、 
内側を観る人が激増しています
 

☆<外側の成長>だけを重視する
ところから
☆<内側の成長>や
☆<外側の現状肯定>
☆<内側の現状肯定>
 

このどれをもバランス良く見ていく
ことができるようになっている人が 
増えています。
 

ただし、 
それまでの過程、プロセスでは
今まで 
<外側の成長>だけを見てきた 
反動があるので、 
 

その真逆の 
<内側の現状肯定>というところを  
どっぷり経験する必要があったかも 
しれませんし 
 

<内側の成長>というところで、 
自分の内側の秘められた能力を
高めることに夢中になった人も 
いたかもしれません。
 

それは、偏っていた分だけ  
反動が大きかったりする人もいれば
<外側の成長>重視の傾向から、 
なかなか抜けられない人もいるかも 
しれません。 
 

それは 人それぞれですし
そのバランスは 誰かと比べて正解、  
不正解はありません。
 

セカイを見ていると、 
一定期間必要だったこの反動も
激しいものは終わった感じがしています。
 

それぞれ、各々が 
自分自身の4つのバランスの波が  
激しくなくなってきた感じです。
 

すなわち、 
成長と現状肯定  
内側と外側の両方 
マクロを観ながら 
今のミクロに取り組む 
同時進行の時代です
 

セカイをもっと広げてみると 
まだまだ<外側の成長>重視で
それしか見ていない人もいるでしょうし
 

全体的に 地球的な流れとしては
もっと内側へ舵取りがされていく 
のでしょう。
 

<外側の成長>重視の人たちに
<内側>の話をする役割の方も 
いらっしゃって
 

<外側>に対しての<内側>の 
バランスをとるためにそれはとても 
重要なことです。
 

また 偏りすぎた 
<内側現状肯定>の人たちに
<外側成長>の要素を強く取り入れて
もう一度働きかける役割の方もいて
わたしが行っていた 
2年前のホワイエはここにあたります。
 

わたしが 今取り組むべきことは  
ある程度 自分自身のバランスを 
とるために、 
外→内側への偏ったアプローチを既にして
(もしくは 外→内→外→)
更なる自身のバランス調整をしようと 
している人に
 

成長と現状肯定  
内側と外側の両方
マクロを観ながら今のミクロに 
取り組む同時進行型の フォローです
 

更には、 
ここには本質と次元と現実の  
3要素のバランスやそのプロセスも 
含んで話をしたいところですし、 
潜在意識と顕在意識のバランスに 
関しても話をしたいところです。 
 

この辺りで 
図を書きたくなってきましたが
ホワイトボードがありません(笑)
ので、ここですると話が 
ややこしくなるのでしません
 

前回、人生の学校に 
来てくださっていた人は 
本質と次元と現実の3要素の
バランスや方向性が様々である話を 
したと思うのですが 
 

あの図に重ねて 
外と内、成長と現状肯定の図を 
みていただけるとよいかと思います。
 

こうして、かなりマクロ的な見方を 
するとですね。
この数年の動き。全体の動き。
みんな これらのバランスをとって 
いっているので
なんて 最善な方向にいってるんだろう♪
と観えていきますね☆
 

わたし個人的には 同時進行しながら
<次元ゾーン>の<内側、成長>に 
フォーカスしていて 
 

それは わたしにとって必要な経験です。
 

自分の内側に秘めた能力や才能が  
開花していくのは 心が躍ります。  
ネガティブさも兼ね備えていたとしても。
とても面白いですし、 
外側に対しても新たなことを
提供していける感じが楽しみです。
 

みなさまが  
最善のバランスへ向かって
いかれますように♪

=======================

どんな生き方をしてもいい
 

世界のことや いのちのこと
知ってもいいし
知りたくなければ知らなくていい
 

何かの役をやってもいいし
何の役も やらない役を
やってもいい
 

どちらにしろ  
生きてるってことは
舞台の上にも乗っかっている
 

外側に向かって成し遂げる 
本気だけで生きるか 
 

それとも内側に向かって 
自分自身を愛し抜く本気か
 

それともその両方か
それも人様々
 

何も知らない幸せもあるし
知らないからこそ出来る 
こともある
 

知ったからこそ感じられる
大いなる愛や感謝もあれば
 

知った故に出来なくなることや
昔感じた幸せと 
同じ幸せを感じようとしても
出来なくなることもある
 

大切なことは
己にとって後悔のない 
人生を生きることと
いま感じられる幸せを 
大切に生きること
 

幸せから次の幸せへと
移り変わっていく景色を眺めて

=======================

あなたが あなたのままで
愛されるのは 当たり前
 

弱虫だったり
怒りんぼうだったり
いじわるだったり
とげとげしかったり
 
 
泣き虫だったり 
臆病だったり
ずる賢かったり 
冷淡だったり
 

そんな一面があったとしても
あなたが あなたのままで
愛されるのは 当たり前
 

そして その一面を
 

これから どう癒していくか
これから どう活かしていくか
それを選んでいくことができる
 

あなたが あなたのままで
愛されるのは 当たり前という
 

当然という名の 確信の元に

=======================

必要なときに
必要なタイミングで
必要な人やものや機会が 
目の前に訪れる
 

それは  
あの時にわたしが望んだもの
現実化して目の前に現れたとき
わたしは再度選択するチャンスがある
 

何が自分にとって 必要か
どれが自分にとって必要か
 

本当にこれは自分にとって
必要かどうか 
選択し続けていたことから
移り変わるときが来たのか
 

感覚という 心の声が
わたしをわたしの路へ誘っていく
 

誘われた先にみえる景色は
わたしのために 与えられ 
用意された景色
 

今の景色を味わいつつ
次の景色の予感を感じつつ
 

景色が流れていく

=======================

目の前の他者というわたし
 

わたしの内側で
ある恐れが消え去って行く時
他者も同時に変化するか
強い恐れを持ち続けていれば
離れていく
 

目の前の他者というわたし
 

わたしに自分のでき得る限りの 
最善を尽くそうと
精一杯の愛を送ろうとする
 

自分の正直、自分の喜びに 
責任をとりながらも 
限界に挑戦して 
一生懸命方法を考えようとする
 

色々なところで そんなひとが
わたしに そんな愛を見せてくれる
 

そして それは 
別のどこかで 誰かに見せる
わたしの姿
 

こんなにも 
ありのままを愛され 愛に囲まれて 
ここから先 悪い方向にいくことが
たった一つ一つの欠片でさえ 
想像つかなくなった

=======================

直感は わたしに進むべき   
路を知らせる
後に その直感の理由を知る
 

本音の本音の叶え合い
 

そうしてお互いに 
<叶っている>ことを
観ることができたなら  
離れることや別れることが  

 
今までと違う景色になるね

=======================

最近、つくづく思うのですが
 

『能力を身につけること』
『外側に表現して実現広げていく力』
『人を惹き付ける力』
『統率力』
『内側に入って自分自身を見つめる力』
 

は すべて連動はしていますが
その一部分の欠如だけをみていると 
 

木を見て、森を見ない状態に 
なりますし 全体的にみるのと
ひとつひとつの力を総合的にみないと  
見失うケースもあるということです。
 

そういうときはこのような 
パラメーターを思い出してください。
 

人によって形は バラバラ。
それぞれが個性を伴って 
それぞれの能力があります。
そして そのプロセスも色々です。
 

バランス良く色々な力を身につけて 
いくもの。 
 

能力を身につけ、適度に外側にも 
表現して また足りないものを補って 
いくもの
 

内側に入って 自分自身を見つめて  
土台をある程度しっかりと築き  
能力をたくさんたくさん身につけて
準備OKとなってから外側に出ていくもの。
 

ガンガン、外に表現して 
様々な実現する力を身につけ
いつでも外には出れるわってな感じだけど
 

いまは、内側に入って 
自分自身を見つめたり 
能力を身につけたりしたいと 
感じているもの
 

同じく外に表現するけど 
1つのものに集中し広げて 
統率力を身につけていくもの
 

1人1人 プロセスは様々だから
何を今 伸ばすか。というのは 
その人による。
 

こうやって 人は日々何かしらの 
能力パロメーターを上げている
 

でも いま、問題と思っている 
事象が起こっているなら
向かうべき方向が定まってくるね。
そして それは連動しているね。
 

少し前までは このパロメーター。
どれかに偏って集中しても 
OKだったように思います。
 

でも、今の時代は。
<すべてのパロメーターを見つつ  
 今どこをやるのか>
という全体との連動を見ていくことが 
大切かと思います。
 

外側に表現して実現するのが得意で 
それを活発に行うのは素晴らしい 
ことだけど
 

『内側に入って自分自身を見つめる力』 
を疎かにすると
表現の<質>が問われることとなり
自分自身でそれに気付くために 
バランスを崩します
 

逆に内側に入って 
自分自身を見つめる力や 
能力アップは素晴らしいけれど
外側に表現して実現していくことと 
向き合わないと 経験が伴わなく 
さらなる能力アップが叶わない 
ということになるかと思います。
 

この <どっちも> というのが 
けっこう課題( ̄▽ ̄;) 
どちらかに偏る人が多いし、 
偏りたくなるように出来てる。
 

外側、表現に自信満々なときは
自分の課題などあまり目にとめなくて
見ないので  
 

けっこう大変な感じのエネルギーを伴って
どんな<質>のものを  
表現しているかは気付かない。
そんな無知な部分があるからこそ出来たり。
 

内側、自分に向き合うことに 
一生懸命なときは 
自分の課題を直視する能力に長けていて 
それにフォーカスするのだから
それがある自分が 
世の中で表現していいのかと悩む
 

これからは、同時進行の時代です。
 

そのほうが、 
自分のパラメーターの全体を見渡せる 
視座と向き合わなくてはならず 
 

課題と素晴らしさ。の両方と向き合い
謙虚さと共に表現することになるからです。

=======================

出来事っていくらでも 
どんな風にでも見れるね
 

悪く思おうと思ったり疑ってみたり
その人に自分が不幸な責任の一部を 
押し付けたければ
どんな行いも どんなことも歪んで 
見るのだろう
 

どんな証拠も どんな言葉も
耳に入らないし 目に入らない
 

その人がそうしたいうちは 
そうすることでしか自分を 
守れないうちは 
 

美しい真実を知ると都合が悪いうちは 
長く閉じ込めてしまったものなら 
尚更そう
 

人って とっても情けないほど 弱くて
ずるくって 恐がりなところもあるよね
 

誰にでもある  
情けなさや弱さやずるさや恐がりなところ
どうにか変えたいんです!と 
変えたがっている場合は別として  
 

そうでない場合は 
そっか 今はそうなんだねって
ただ微笑んで話を聴いていたいなって  
そう 思うよ
 

情けなかったり 
弱かったり ずるかったり
それでもそのまま
丸ごと愛されてるって知ったら
 

閉じ込めておいた思いをほどくことに
勇気が湧くのだろうか
 

ずっと愛されて 見守られていた 
ということを
認めることができるだろうか
 

その答えは わたしの中に

=======================

これだけ力を抜きながら
やることはやってるってのは
前例のないことです
 

わたしはとてもパワフルなのに
更に、男性性的な力を出して
行動することが多かったのですね
 
 

広げるのも一度に広げる感じでしたし
行くときは一気にいく感じが 
好きだったし 得意なのですが 
今は違いますね
 

建物を建てることとしたら
一気に一夜城を建てるようなことも
よくやっていましたが
いまは 自分の状態をみながら 
建築物に関しては少しづつ建築していく 
感じです。 
 

本当に必要なときには  
一気に行ける動力はもっているのを
知っているので  
その自分を信頼しているのでしょうし 
 

以前よりも  
広げるということだけに 
価値の重きを置いていなくて
広げる際の 質というところを 
重視しているように思います
 

外側でいくら広げたとしても 
内側がどうか 土台がどうか  
というところだからです
 

建築物を少しづつ建てながら  
土台を丁寧に見ています
時には 土台が違ったなと思ったら  
土台を新しいのにして
建築物の内容を少しアレンジしてみたり
 

こうやってアレンジできるような容量で
少しづつ 建てていけばいいし
今後 大きく自分自身が成長、 
変容することがわかっているので
その時のわたしの成長に合わせたものへの 
切り替え方向転換ができるくらいの 
規模がいいです。
 

規模はそのくらいのイメージですが 
今の最善を全力で提供する真面目さと 
情熱と本気さは共に在ります。
 

リラックスや力を本当の意味で抜く 
ということがようやく  
自然と出来るようになってきて
 

それは 自分や他者を信頼できて
自分の人生を信頼できるようになって
委ねられる部分が増えてきたのだと  
そう感じています。

=======================

お互いが  
問題という問題が存在しない場合
話すことを話したら解散ってなるね(笑)
 

何かを言われることもないし
何かを言うこともない
万事OK。というか。
順風満帆なことをお互いに確認して
楽しもうねって。
 

お互いの成長を 感じつつ
お互いの違いを 認めつつ
歩んでいくんだな〜
 

依存でもなく 
寂しいのを埋め合うためでもなく
コントロールでもなく  
利用するのでもない 
フラットな立ち位置
 

なんだか こういう関係いいな〜♪

=======================

時間の感覚がよくわからない
一週間前が 大昔に思える
 

過ぎ去っていくもの
訪れるもの
変わりゆくもの
変わらない思い
 

抱きしめて 生きていこう

=======================

大きなステージチェンジを
昨年経験した人も多い
 

わたしも そのひとり。
 

ステージチェンジの際
自分が向かいたい方向のモノ
例えば、 
能力やら何やらを既に色々 
持っている人と自分を 
見比べてしまい
 

「自分は 何もできない人」 
モードに陥ることってあるよね。  
わたしも一時期そうなった。
 

自信喪失という現象は、 
必ずしも悪いことではなくて
自らの傲慢さを打ち砕き  
己の謙虚さを呼び戻すことになるし
自分がこれから何の能力を
学んでいきたいかというのが  
ハッキリわかることでもある
 

あまり長くこれをやっていると 
苦しいステージチェンジの際、 
<自信喪失>のまま<能力アップ>
というところ<だけ>に 
意識がいくとスパイラルに入る。
 

たいしたことできないわたし。
というモードに入る。
そうすると、現実的に金銭面や
時間に困ってくるという現象が起こる
 

スパイラルから脱出するには
<今の現状で  
 既に活かすことができる 
 最高の自分の特性>をしっかり 
見極めて フルに活かしながら
<これから身につけたい能力>を 
育んでいく
 

これを同時に見ていかないと
どこまでも、いつまでも 
金銭面や時間面の制限がついてしまう。
 

一度やりたいところまで自信喪失を 
ガッツリ味わったなら
余計な傲慢さがとれて謙虚さと共に 
歩めるからそのプロセスは、 
<傲慢さを削ぎ落とし謙虚に生きる>
ことを叶えてくれている。
それは自分が望んだことでは 
なかったか。 
 

ただし、傲慢さが削ぎ落とされて 
充分と思うなら 次に進む路は  
自信がない、その状態にて  
今出来る(今しかできない) 
自分のやれることを 見つけて
実行していくこと
 

後から考えると 
後の自分では絶対出来ないことを
やっているものだし  
成長と共に<出来なくなるゾーン>
というのが存在するから
 

ステージチェンジのために、 
自信喪失スパイラルに陥った 
ところからの脱却
(今のその人の特性を見つける 
 お手伝いをして活かして 
 プロデュースしてスピードアップ)
一夜城をつくるのが大得意、 
 

色々な人のライフワークを見てきて 
プロデュースし、 
加速を与えて実現をサポートしてきた 
経験が、傲慢さを削ぎ落として
バージョンアップして役立つ時がきた
のだと 改めて 
<今の自分の仕事の役割の大切さ>を 
感じています。

=======================

自分にとっての長年の謎が 
解けたとき
 

真実が観えたとき
人は どうするのだろうか
 

世の中のあまりに多くの方が
知らない情報の場合
 

例え 真実であっても
情報を発信することは 
非常に勇気のいることだと思う
 

ガリレオのようにね
 

知りたいように思えて
人は 新たな真実を知りたくはないし
変えたくないし
受け入れたくないんだ
 

わたしの長年の謎のひとつは
『精神病とは何か』
というもの
 

この謎を解くにあたり
『その人の思考やマインドが
 何によって 影響されているか』
ということや、 
 

『なぜ、頑張っているのに
 色々な不幸があって 
 上手くいかない人がいるのか』
 

ということも 自ずと 
原因が何なのか総括して 
解ってしまった 
ということなのだけど。
 

それは、わたしが数年前に 
発信していたようなもの
世の中に出回っている 
潜在意識と顕在意識 
マインド的にどうこうというような 
本に書かれているようなレベルの話
ではない。
 

ごく一部の 限られたところに
その情報を観ることができる 
くらいなものであり
 

その情報ですら、わたし自身は 
その情報を正確に読んだり 
観ることができたのは
『原因を解放した 後』になってから。 
 

原因と共にあるうちは  
マインドが影響されているので、 
まともに読めなかった。
という事実がある。
 

原因を解放するための情報が
<原因を解放した 後にしか 
 まともに読めない>
という。。。。なんとも難しい感じ
 

だから、直接 ただ情報をのせる 
ということはしないし
どんな困難と共にあることを山ほど 
観たとしても 何を人に言われようとも
いずれは シャーマンになるのだろうな
 

本気で決めたことって 
絶対に実行するタイプなので
 

相当、統合していないと、 
かなりきつそうなので
安定してくる40歳までには  
自分の癒しや統合を終わらせ 
シャーマンとしても活動を 
していたいなと 
そんな風に感じています。
 

やっぱりこんなに大変そうな路を
選ぶ わたしって 変人だわ。。。(笑)

=======================

他の誰でもない
自分の道を歩んで行く時
 

そこを進む際には、一部の行動が 
周りの人には理解されないことが多い
 

周りの人は 
良かれと思って違う方向を勧める
 

その愛を感じつつも 
道が定まってきたら
その道を進むこと以外 全てが 
霞んでしまう
 

本当の共存って 何だ
本当に違いを愛するって 何だ
 

自分の行いが 
どんなに素晴らしいことだとしても
批判をしはじめたときが 
戦争の始まりだというのに
 

主義と主義の間
正しいことと正しいことの
狭間で争いは生まれる
 

本当の共存、本当に違いを愛する 
ってことを、 
わたしの生き方を通して現して 
いきたい
 

コミュニティやグループに 
属しながらも 浸るわけではない
 

変人だったり、 
八方美人という評価を 
他者にされることがあったとしても
 

わたしは わたしを生き通す
自分を 生き通す

=======================

ある1つのプロセスの例を 
紹介します。 
例えば、ネガティブな発言をすることを
例にしてみますね
 

1、ネガティブな発言を 自分も他者も 
  無意識でしている状態
 

2、嫌われたり、自分がネガティブな 
  発言によって傷ついたりして
  ネガティブな発言をしないように 
  気をつける 
 

3、ネガティブな発言をしないように
  気をつけている同じような人が 
  周りに集まる 
 

4、ネガティブな発言、表現をして 
  いなくても、 
  エネルギー的に溜め込んでいるだけ 
  であること
  エネルギー的には 全然だだ漏れて 
  しまっていることに気付く
   

  エネルギーに敏感になり、
  今までつき合ってきた周りの人も 
  一見ポジティブにみえていただけで  
  前向きな ことばが多く
  ネガティブな発言はしないけれども、
  同じ状態であることに気付く
 

5、包み隠さず ネガティブも含んだ本音で
  (言葉と心の言葉が一致しはじめる)
  話す人と付き合いはじめる
 

6、他者のネガティブな発言の中で、 
  受け入れられない反応に 
  1つ1つ 気付いていき
  他者のネガティブな側面と向きあい、 
  自分が自分自身を愛せていないところと
  向き合っていく
 

7、他者が本音からネガティブな発言を 
  しているときに
  気にならなくなることが増えてくる。 
  気になるところは、
  まだ自分が愛しきれていないだけなんだ 
  と気付く。
   

  他者に関しては 
  ただ、今その状態なんだな。 
  というところで 
  あまり影響されなくなっていく。
   

*2で 
 もの凄くネガティブ発言を押さえ込んで
 本音を言わないと決め込んでしまって 
 いる人は多いと感じる
 

*3の段階で  
 一見ポジティブな発言をする人が周りに 
 多くいると 発する<言葉>という 
 ところだけで判断して  
 自分がネガティブ思考じゃなくなったので、 
 そういう人たちが周りにいるんだし、
 自分も成長したんだ
 という風に思いやすく、
 調子に乗りやすい
 

*3の段階で 
 自分のシャドーをみるのが嫌で、 
 自分のシャドーを切り捨てることを
 都合の良い風に捉えて
 人間関係の断シャリと勘違いして 
 しまう場合あり
 

*3と5のギャップは衝撃的で、
 はじめのうち、理解に苦しむ場合あり
 今までのやり方が全く通用しないので  
 自己否定に陥りがち
 

*6はひとつひとつ 一歩一歩 
 自分を愛していく作業だけれど
 自分が最も嫌っているところと 
 向き合うので 葛藤が激しい
 

*7の段階になってくると、 
 自分はそれを表現しない
 他者が同じことを表現していても 
 気にならない。という感じで
  

 他者と自分の状態が 
 一致していなくても
 それすら 全く気にならない 
 ということが現れてくる
 自分という人間が少しづつ 
 確立していく
 

わたしも、生きているので 
学びの最中(笑)ですし
これをクリアしたと思ったら、 
次はこれか という感じで、 
様々な6と向き合って生きております。
 

まだまだ先のプロセスもあると 
思いますが
ご参考までに♪

=======================

息をして生きているだけで
 

話したいように話しているだけで
 

自分の思いつくままに 
飛び飛びで  
うまく言おうと頑張らなくても
 

そのままで理解されるってことが 
少ない人が多いのかもしれない
 

だからわたしが いる 
わたしの仕事が いる

=======================

サイキックな体験は 
体験したいと憧れを抱く人も
多いですね
 

ワンネス体験もそう。 
オーラとかチャネリングもそう。
リーディングとか、
過去生の記憶とか、テレパシーとか、 
まあ様々。
 

実際に、そんな体験が多くなってきて 
目覚めてくる人が多くなってきている 
ように思います。 
 

マインドの理解が伴って、 
高次元的に開くぞ!と 
能動的に積極的に 
それを覚悟している人は、 
そうでない人よりはある程度、 
覚悟の分 腹が据わっているような 
気がするけれど、
 

実際にその能力が身に付いたり、
体験しはじめると、
その不都合さ、不便さに
もの凄く葛藤してぐったりするのです。 
 

都合のよいものだけでなく 
不都合なものも必ず同居しているから。
 

電車にのって吐きそうになったり
言語が通じなくなったり
 

この世界で生きていることに 
無意味さを感じたり
 

三次元の世界との折り合いが 
つかなくなったり
 

封じ込めていた記憶が戻ってきて 
恐くなったり 
 

過去生の記憶が戻ってくるのが 
多かった期間などは
次に何が出てくるのかと 
生きている心地がしなかった時も 
あります。 
 

だいたい、 
封じている過去生の記憶など、 
ろくなことしてません(笑)
戸惑い、混乱、混沌、絶望、恐怖。
 

そういった状態を、 
スピリチュアル エマージェンシー 
と言います。
  

今の、わたしの段階で 
これほど色々あるわけですから、 
人の声が全部筒抜けに聴こえ始める 
ような感じになってくる  
高次元的にもっと開けている人の
話を伺うと、さらにキツい
スピリチュアル エマージェンシーが
待っているだろうと予測できます。
 

自分がそういう状態である、 
ということを自覚していれば
自分は 
スピリチュアル エマージェンシー状態で
覚醒のプロセス的には  
とっても順調なんだ。ということを
理解できて安心できる部分が
心のどこかに置けるかもしれません。
 

スピリチュアル エマージェンシーを調べて辿り着いたのが
エネルギーワークでお世話になったことのある宗生さんのブログでした。 
とってもわかりやすいので、ご紹介です☆

http://ameblo.jp/einetrie/entry-11713244052.html

=======================

他者に一方的な 
自分の良くない噂を流される経験って
あまり心地良いものではないね
 

でも、自分のところに訪れる人は 
そのおかげで、自動的に 
「自分の眼で見定めて判断する」 
人が自ずと集まってくる
 

そして、その特性は自分そのもの。 
噂や 他者が他の他者をどう思うかは 
心配してくれる想いに 感謝しつつ、
参考程度で 
自分の眼でしか判断しない性質が強い
 

物凄く 悪い噂や 物凄く 良い噂は 
多くの場合、事実の一部を歪めて
極端な主観的な視座から発生する
 

それにいつも惑わされていると、 
大切な人まで失う
自分の心の眼を見開いて 
生きる時だね

=======================

人は変化を怖がる
 

様々なブロックがあるね。
例えば お金がない 時間がない
とかね。
 

そのブロックの外し方を教えます。 
ブロックをブロックと思わなくなります。 
お金が好きになれます 
というような、スタイルを 
わたしは取らないことが多い
 

中にはそれはカモフラージュで、 
その奥に本当の抵抗が隠れている場合が 
あるからです
 

あなたのそのブロックが 
効かない方法で叶えます。提供します。 
というのが 今のわたしのやり方。
 

カレーライス。 
人参が入ってるから食べられない
という人
 

人参が嫌いな人に 
食べれるようにする方法を提供する 
ことに対して
 

じゃあ、人参ナシのカレーを 
つくってあげるよ(((o(*゚▽゚*)o)))♪
ってのが私。
その方が話がはやい笑)
 

人参ナシなら食べられた人。
食べたかったカレーが食べれて、あらラッキー♪
 

でも、中には、出された時に 
あれ?人参なしでも食べたくないかも。 
なんで。。。?って 
人参ナシを素直に喜べない場合がある。
 

その場合、本当のブロックに気づけて、 
それと向き合っていくのには、 
人参が原因じゃなかったんだって 
わかってラッキー♪
 

人参のせいじゃなかったんだね。って、 
ごめんねって、人参を本当に心から 
好きになれることになる。
 

さて、今日も 
誰かの人参無しカレーを 
つくってみようかな(*^^*)

=======================

強さとは   
自らの弱さを認めること 
 

新たな真実を知ったとき
新たな自分の弱点が 
浮かび上がったときに
 

どれほど 真摯に 素直に  
それを受け止めていけるか 
 

受け止めたとき  
それは弱点ではなくなり
他者への優しさが生まれ
 

あなたを活かしていくものとなる

=======================

わからないことは 
わからないからきく 
 

出来ないことは 
出来ないから 
出来るようになりたければ学ぶ
 

そんな私でいい
 

やりたいのと
やれなくもない
というのも、全然違うね
 

自分の気持ちに素直に生きよう

=======================

世界は雪のおかげで
なんだか 静か
 

雪が舞い降りるときって  
どうして こんなに 
静かなんだろう
 

モノトーンのような静けさ
 

そうしていて そんな風でいて
 

静けさの中に
何かが確かに内側で
新たに育まれていく
 

静寂という 音の中で

=======================

少しづつ 少しづつ
一歩一歩 歩む度に 
 

描いたものが
目に観えてくる 歓び

=======================

〜未体験の罠〜
 

生まれもっている特性
それは人によって 様々
 

本人は当たり前のことだけれど
未体験の人からしたら 
話をきいても実際のところは  
わからないことが多い
 
 

例えば、サイキックな能力に 
憧れるひとは多いが
生まれもってサイキックな能力を 
持ってきた人は不自由だったり、 
ネガティブな体験を多々してきて 
いるので なぜ、そこまで他者が 
羨ましいのか全くもって不可解となる
 
 

様々な特性は、 
ポジティブやメリットとして活かせる 
ところもあり
ネガティブやデメリットも 
どちらも兼ね備えているもので
大抵、未体験の際に 
憧れを強くもっているときは
その光の側面しか観ていない
 

わたしも生まれもっている特性として
そこに居るだけで 目立ってしまう
というのがある
 

本人は、もの凄く悩みで  
出来るだけそっとしようと思って 
みたり
今日は、自分から話さないでみよう 
と思ったり 

聴く側に徹しようと思ってみたり
大人しくしようと思ってみたり
地味な色の服を着てみたり
ほとんど、ありとあらゆる手段を 
使って色々やってみた
 

いい感じで目立つと、 
友人と思っていた人が陰口を 
言っているのを知ったり
勝手に競争意識を抱いて 
離れていったり
やっかみや、嫉妬されたりして 
悲しい思いをするし
 

悪い感じでも、もちろん目立つので、 
みんなが悪いことをしたときに
大体怒られるのはわたしだし、 
みんなの的やターゲットとなったり
ネガティブなエネルギーを集中して 
当てられるということになる
 

注目の的って、ネガティブな感じで 
注目されると最悪だよ。。。ホント
 
 

インパクトのある 濃い存在 
ということで いつまでも
人の記憶に残りやすいらしく、 
わたしと関わりがなくなった後でも
ネガティブな噂話をいつまでも 
されるので、 
わたしのいないところで
根も葉もない噂をしているらしい 
というのが耳に入ってきたり
 

結構感覚が鋭いので 現時点で
いっしょに関わっている人でも
悪口を言ってきたのが  
わかってしまうため、 
それに傷ついてみたり。
 

小学校や中学校の卒業の際に、 
一言メッセージなるものをみんなに 
書いてもらった際に
 

『平野のことだけは、 
 一生忘れられません』 
『強烈なキャラクター』とか 
『インパクトがある』とか 
そういった内容のことが多く 
綴られていた
 

影が薄く、興味がない   
という感じには全くならず。
いつも、他者がわたしに抱く感情は  
大好きか大嫌いにハッキリ分かれる 
 

初対面が 大嫌いから入っていれば、 
大嫌いから もっと大嫌いは 
さほどショックは受けずにすむし、 
少しづつ好きになっていってもらえる 
ケースもあるので希望を抱けるが、 
 
 
もっともキツいのは 大好きだと
思ってくれたはいいけれど、 
わたしの一側面をみると幻滅して
一気に翻り、 
大嫌いと去っていかれること。
 

女の子なので、そんな強烈でいる 
なんてことよりも
可愛らしく ほのぼのとやんわり 
柔らかな感じで 生きたかったが
 

でも、どう頑張っても  
わたしが目立たないでいることは 
難しく
それを少しづつ受け入れて、 
特性がポジティブに出るときには
せめて存分に楽しもうと 
思えるようになってきたのだけれど
 

まだまだ、どちらかというと
この特性をネガティブに感じる 
ことは多い。 
 

この特性のすべてを愛しきれては 
いないし 活かしきれていないと、 
そう思う
 

人に備わっている果実は  
美味しそうに見えるもの。
未体験だからこそ 良く見える。
 

特性に限らず  
どんな風に生きていきたいか  
何かを体験したいと選択する際に、 
 

本当に体験したいかどうか
清濁すべてを見定めて  
濁を覚悟した上で選択することが
自己責任の伴う選択なのだと 
感じている
 

そうすれば、実際に現実化した際に 
そんなはずではなかった。。。
ということはなくなるはずだから。

=======================

わたしが わたしを知るために  
あなたがいて 
 

あなたが あなたを知るために   
わたしがいて 
 

わたしが わたしに還るために   
あなたがいて 
 

あなたが あなたに還るために   
わたしがいて
 

わたしが わたしを愛するために  
あなたがいて 
 

あなたが あなたを愛するために  
わたしがいる

=======================

自分がどう在るか
 

しっかりとそれを 
確立していかないと
これからは 厳しいね
 

色々な情報が入る環境に 
なればなるほど
軸が確立していないと 
キツいんだろうな
 

本当の意味での リラックス
力を抜く ということが  
少しだけわかってきた
 

昨年末から激しく 
変化してきたけれど
2日前から更に激変を体感中
 

そうして
わたしは わたしになっていく
わたしは わたしに還っていく

=======================

不完全なる完全
 

世の中のありとあらゆる手法
マインドでなんとかしようと 
したけど  
どうにもならないというところを 
実体験して 
  

それで根本から エネルギー的に
癒していく、変化していくという 
流れのプロセスがあるけれど
 

どうにも 癒されていない自分 
というのが存在しないほうが都合 
がよい場合が多々あるようで
 

認めたくないし、 
やっぱり傷ついていないわぁ〜。って 
なんともなかった。傷もなかった。って
気のせいだって
 
 
その狭間を揺らぎたいときも 
あるのよね〜。。。
 

特に、まだエネルギーを確信的に 
体感できない状態のときは
マインドが巧妙に感覚を言い負かして 
都合よく ぜんぶなかったことにして 
しまうケースもあるように思います。
 

わたしは、その狭間のとき  
エネルギーを感じることができて
実体感の 確信と共に  
その期間を過ごすことができたから  
救われました。 

疑いようのない 感覚だから。
それを疑うことは不可能な 
感じだから。
 

だから 感覚を大切にすることは  
本当に重要だと思います。
 

でも、どうにもならない。という 
体験をしていて 困っていても
エネルギーの体感がなければ、
 

目にみえないエネルギーの存在を
信じ切ることができない。 
疑いが湧く。
色々な人から色々なことをきいて、 
何が本当かわからなくなる。
 

そのプロセスはわたしは、 
経験したことがないけれど
それはとても苦しいだろうな。 
と思います。
それをやりたいから、 
やっているにすぎないんだけどね。
 

朧げであっても、 
自分の感覚を受け止め、 
感じている人は 狭間を超えて 
<まだまだの自分>という
不完全の自分を認めていき 
どんどん変化していきます
 

不完全の自分と 
完全な自分の同居。
 

不完全さ。と 完全さ。の 
どちらをも 感じて
どちらも認めて生きることが 
大切だと思います。
 

そして、それは同時に
不完全の完全さと  
完全の不完全さを知っていく
ということでもあります。
 

ことばにしてみると  
難解な感じなのだけど
いま、そんなことを  
感じています。

=======================

感謝は無理に思い込もうと
するものではない
ただ 自然と湧き起こってくるもの
 

謙虚は無理に抱こうと 
するものではない
ただ 自然と沸き起こってくるもの
 

人を癒す力もまた 同じく  
癒そうとする努力ではなく
ただ 自然と沸き起こるものだと知る
 

感謝がないと感じる あなたに
謙虚がないと感じる あなたに
癒せないと感じる  あなたに
 
 
楽しみにしていて
 

感謝が沸き起こるときと
謙虚が沸き起こるときと
癒しが沸き起こるときが
 

春の訪れのように  
あなたを 待っている

=======================

これからの時代  
必要なのは
 

【共存力】だなあと  
切に思う

=======================

わたしの仕事って
通訳かネゴシエーターに似てる
 

世界の言葉の数々
オランダ語、ロシア語、ドイツ語
スペイン語、フランス語、トルコ語
スウェーデン語、アラビア語
 

色々なことばがある
 

何も、外国に行かなくても  
日本の中でも思いのすれ違い 
言葉のすれ違い価値観の違い
というのは多々起こる
 

憎んでいたり、傷ついていたり
怒ったり、悲しかったりすることは
細胞レベルからのものや、 
カルマや、トラウマ
本当に様々な要因があるけれど
 

実にシンプルに、 
言語、思い、価値観の違いを 
理解することで心が軽くなる事例も
多々あると感じる
 

自分も間違ってなかったし、 
相手も間違ってなかった
<加害者も被害者も 
 存在しない> 
ということは 
どれほど心が楽だろうか
 

共感力。
誰かの気持ちに寄り添うこと 
深く寄り添えることが喜びと 
感じてきたが
色んな経験があるからだけでなく
能力的にエンパシックなところも 
あるようです。だからなのかと納得。
 

カウンセリングなどの仕事には  
この能力はとても役立つが
 

プライベートで、AとB、 
どちらの主張、どちらの気持ちも
理解し、共感してしまうので
対立している中に挟まれると 
とても苦しいし
 

それらを察知してしまうので、 
それを止めようと 間に挟まり、 
それは たいてい誰にも言わず 
ひっそりと自分だけで行われるため 
不可思議な行動としてみなされる 
ケースがほとんど。  
 

稀に報われたとしても 
わたしが どんな思いで
何をしていたかを知られることはない
 

完全に自分が  
自らの悲しみを手放したら 
悲しみに対しての共感力が落ちる  
と思っている節があるようなので、 
それはいい加減 
終わりにしたいところ
 

それにしても、多くの人が  
誰にも本音を話せない 
(話しても通じない)
異国の中のたった1人現象に 
悩まされ、  
その割合が増えてきている
と感じるので  
なんとかしたいと思い始めた

=======================


あまりにも違いすぎる相手
話せば話すほどお互いの距離を 
感じるひと
 


自分にとっての真実を言えば 
言うほど 
痒いところに手が届いたという 
ほどにそこに共感をしてくれるひと
 


大切な共通意識が多々あるが 
自分にとっての真実を
言い続けていると  
時に違いが浮き彫りになって 
誤解や対立を招くときもある人
 

1の人とは関わらないか、 
関わってもある意味お互いの 
共通理解への期待がないので、 
失望もない。
時に違いすぎて  
びっくりすることがあるけど。。。
  

2は一緒にいたいな〜〜って 
幸せな気持ちになる人
わたしは 今までの人生、 
その時の自分にとっての
2の人を選んで過ごすことが 
多かった。
 

2の人の立場として 
仕事をすることも多いから
今も比率は、2が多いかも。
 

2の人とは盛り上がるし、 
一緒に居て心地よいし
何を話しても許されるし  
自分が自分自身のままでいていい 
 

全肯定される自由を体感できる  
そうそう!そうなの!って思うこと
本当にそこ!ってところがわかると 
痒いところに手が届くように 
もの凄く心地よい  
 

言語がどんな言語であっても、 
言い方を変えても通じる
波長が上がる。息子や友人たち。
名付けて「和みの2」
 

3の人と  
どう接してつき合っていくか。
それが わたしの課題
 

お互いが 無理のない 
心地よい距離感であることが大切 
と思っていて
それは わたしだけでは 
達成できないことだけど
 

少なくともわたしは
自分が心地よいと思える距離感で
いることに責任をとろうと思う 
 

理解し合えていないところが 
あっても
大丈夫という思いと 共にいながら
そうして 
お互いの違いを理解していける存在
 

なおかつ
 

☆わからないのに、 
 わかったふりをしてその場を穏便に 
 おさめるための 「はい」
 

☆そうではないことを知っていて
 知らないふりをしている 「無言」
 

☆そうではないと心では思ってるのに
 そうですねと うなずいたり  
 相づちをうつこと
 

2の人だけでなく、3の人とも  
これらのことを行わずとも 
過ごしたいという挑戦。
 

名付けて「成長の3」

=======================

旋律と伴奏
 

伴奏ばかりフォルテで(大きくて)
旋律がピアノで  (小さくて)
 

もうそれを終わらせたい人は
終わらせていくトキなんだよね
 

大切なメロディーの音が 
きこえるように
 

何が旋律か 何が伴奏か 
それがわかりながら
ここの部分の伴奏は 
どうしても大きくしたいのって 
思うなら
それも伴いつつ 音楽が流れる
 

大きくしか弾けないのと(反応)
大きくも小さくも弾けて  
大きく意図して弾くのとでは 
大違い
 

自由に生きるってのは
曲を極めていくのと  
とても似ている
 

自分にとって 
何が旋律で 何が伴奏か
それを知ったなら 
曲の強弱や曲調をどうしたいか
それを決めていける
 

伴奏の一部が 意図せずフォルテに 
なってしまうなら 
どうして そうなるのか 
 

悲しい曲調になってしまうなら
どうして そうなるのか 
 

何度も何度も 
意識して練習していくうちに
どんどん 上達して 
思ったような曲に近づいていける
 

上達できたところ  
全く上達できていないところを  
確認しながら
 

曲を奏でていく
 

************
 

個人的に今年は、 
強弱と引き続き取り組みながら
曲調そのものを変えようと
そう 思っとります☆ 
(あ、言霊宣言 汗)

=======================

ポイントでみれば 
けっこうな難関  
難所の連続のようで
あまり進んでいないように 
思えるときもあるが
 

もっと 視座をひいてみれば
順調そのもの  
電車がちゃんと自分で望んだ 
レールの上を走っている
 

少なくとも 脱線したりとか  
変な方向にいったりとかは 
していない
そこから戻ってくるのが  
一番時間がかかるのだから
 

これから さらに 
加速していく時代において
電車がちゃんと 
自分で望んだレールの上を 
走っているか 
方向があっているかどうか
 

それさえ間違わなければ 
なんとかなるって  
そう知ってる
 
 
目の前のことに  
丁寧に取り組みながら 
自分のレールの上を 
走っているか確認して
 

そして また 進んでいく

=======================

承認欲求  
 

お金が欲しい 名声がほしい  
成功がほしい欲求
このことについて  
今の世間をみて思ったことを  
ちょっと話してみるね
 

これって色んな段階があるから
似たような行動であっても 
それは その人本人じゃないと 
(もしくはエネルギー的な
 理解がある人じゃないと)
真意はわからないってこともある
 


そもそも承認欲求よりも、 
他の優先される欲求の方が強いので、 
承認欲求は 自分はあまりないと 
思っているケース
 

これは、 
承認欲求がないんじゃなくて、 
ただ他の欠乏の方が大きいから
それが霞んで思えるだけ
 

2
承認欲求があることを 
自分の内側にあることを 
認めないで、 
清らかで在ろうとするケース 
 

これは、 
本当は在る自分の感情を 
否定してるので
素直に承認欲求を出して 
お金を稼ぎたい!っていう人に 
嫌悪感を感じる
 


承認欲求を素直に全力で 
外側に向けるケース 
 

これは、もうガンガンに稼ぎたい 
認められたいってのが
全面に出ていて  
どこまでいけば満たされるかは 
わからないモードに突入 
 

きれいごとを言っても  
目が金っていう風になっていて、 
同じような欠乏のある他者を
巻き込み大掛かりな感じになって 
それを正当化していく
傍目には 活躍していると見える
場合あり
 


承認欲求満たしが外側に向き 
すぎても満たされないことを 
わかっているので、
内面と向き合うこと 
(マインド、エネルギーの両方)
外側との両方でその願望を 
満たそうとするタイプ 
 

内面で解決する部分があるので、 
過剰にならずに、
どこまでも承認欲求満たしだけの
人生に逸れることを防げる
ただし、満たされない自分を 
内在して生きることになるので 
葛藤が激しい
 


そもそも 承認欲求自体が自己完結
しているので承認欲求が存在しなく  
完全な奉仕として動いている中で  
お金や名声がついてくるケース
 

********
 

例えば、3と5は 成功したり
活躍しているかもしれないんだけど
全然中身が違う
 

それに2と4は  
どこかセーブしているような  
感じだけれど これも全然 
意図が違う
 

3のケースに 
どっぷりハマっている場合は  
4の人や2の人から
「お金や名声の欲に走ってませんか?」 
と言われても 
都合よく全部2の人なんだと思う
 

5の人に言われれば、 
『解る』と思うけれど そもそも
3全力の人が 5の人に会う機会が 
あるとは思えない
 

3全力の人は  
更なるステータスをもっている人の 
話でないと耳を傾けない傾向あり
 

4の人は 3にはなりたくないと 
思いながら 同じものを
自分が抱えているので  
3が羨ましいという葛藤があり
5に進みたいが  
そこにはもの凄く乖離があるように 
思える
 

5の人の気持ちは  
お会いさせていただいているの 
ですが、なったことがないから 
わかりません(笑)
 

ってか、エネルギー感じてみれば  
3と5の違いや2と4の違いってのは  
明白だから
文体や現象じゃなくて  
エネルギー通してみるってのは 
大切だよね
 

だから  
真実を観るにはエネルギーに 
敏感になっていくのは大切。
 

こうやってみると、 
自分がどこの立ち位置にいて  
どこを揺れ動いているのかが 
わかるはず。
 

4ならば、3と5の 
どちら寄りのメンターについて 
いくかで人生が変わる
 

4の初期の時に 3の世界を見たが  
他者をみているだけで嫌になって  
3をすっ飛ばした人も多いはず
 

4の人が 心地よく生きるには
4を共感できる仲間と
5の(もしくは5寄りの)メンター
内側への内観と 外側へのシェア
その バランスが大切だね

=======================

自分自身を 愛する
他者を 愛する
 

どちらも結局は同じことだけれど
どっちの方からなら出来やすいか 
というのは
人によって異なる気がしている
  

カウンセリングを行ってきた中でも
けっこう どちらかに偏りやすい
パターンをもっている人は 
多いように思う
 

自分のことでも他者のことでも
どちらも許せるし愛せること
 

自分のことは許せて愛せるが 
他者に対してだと
同じことでも 難しく感じること
 

逆に
他者のことは許せて愛せるが 
自分に対してだと
同じことでも 難しく感じること
 
  
自分のことでも 他者のことでも
どちらも許せないし愛せないこと
 

わたしは どちらかというと
他者のことは 許せて愛せるが 
自分に対してだと
同じことでも 難しく感じるもの 
の傾向の方が強い
 

だから まず 
他者を愛するところからはじまる
そうして 他者を愛していくことで
次第に 同じことをしている自分を 
愛することができるから
 

他者がいて 自分がいて
だからこそ わたしは 
わたしを愛することができる
 

これからも わたしはわたしを知り 
わたしはわたしを 愛していく

=======================

期待がないというのは
こんなにも楽なのかな
期待しないように意識しよう
というのとは全然違う
 

他者への失望は 
いつも自分が勝手に抱いて
砕けるもの
 

理想と事実の狭間で生まれる 
幻想
事実を受け入れ 違いを知る
 

ありのままの誰かを 
受け止めていく 
 

ありのままの自分を 
受け止めていく

=======================

あるとき 自らの傲慢さに 
辟易したことがあって
こころに誓ったことがある 
 

とにかくわたしの大敵は 
傲慢さであって 
謙虚であればなんとかなると 
思った
 

謙虚さを完全に見失わなければ 
傲慢に取り込まれて 
しまわない限りは 
そんなに路を踏み外さない 
だろうとそう知っていた
 

路を踏み外して方角を間違って 
進まなければいい
スピードに関しては  
なんとかなる自信があった
 

それで わたしは 
自らの人生に謙虚さが常に 
あるようにと願い  
そしてそれは叶えられて 
謙虚を完全に失わない程度に 
なったし 
 

どうすれば謙虚さを失わないで 
いられるかを知っているので
それさえ失わなければ  
守られる
 

傲慢さは  
今でも強いと感じるので
最善の対応策だ
 

だけど  
謙虚さを取り戻したと同時に  
偽りの自信も失った
 

自分の今できることがどれほど
ちっぽけで些細なことか
それを本当に知ることが 
謙虚さを生むから
 

自信がない場合  
セルフイメージの低さを気にする 
ことが多いように思うけれど  
わたしにとっては偽りの自信と 
共に傲慢さを得るよりは 
よっぽどいい
 

本当の奉仕というのは  
謙虚の元にしか生まれない 
 

謙虚さと自信のなさは同居 
している
だから 自信がない中から
どうするか? なのだと
 

すべてを創ることが可能である  
という確信と
自分ができることのちっぽけさを 
感じることの 融合
 

そして
いつだって いつだって  
ずっと与えられていた 
と知ること
 

*****************************
 

以下
マザーテレサの詩 
 

「自分自身から解放されますように」
 

主よ、私は思いこんでいました。
私の心が愛に漲っていると。
 

でも心に手を当ててみて、
本音に気づかされました。
 

私が愛していたのは、他人ではなく、
他人の中の自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から 
解放されますように。
 

主よ、私は思いこんでいました。
私は与えるべきことは 何でも
与えていたと。 
 

でも、胸に手を当ててみて、
真実がわかったのです。 
 

私の方こそ与えられていたのだと。
主よ、私が自分自身から 
解放されますように。
 

主よ、私は信じ切っていました。
自分が貧しい者であることを。
 

でも、胸に手を当ててみて、
本音に気づかされました。
 

実は思い上がりと妬みとの心に、
私がふくれあがっていたことを。
 

主よ、私が自分自身から 
解放されますように。

=======================

どんな姿を美しいと思うかは
見方によって 一瞬で変わるもの
 

痣を治そうとして  
旅立ったアシタカは
良くなるどころか  
消えるどころか
痣が 身体のいたるところに 
広がっていく
 

それは まるで
まだ観えていなかった
こころの傷が観えてくるかのようだ
認知していなかったものが 
認知されたときのように
 

それは まるで
自らの闇を知っていくかのようだ
闇は深く広がり 
どこまでも己の醜さと愚かさと 
弱さを知っていく
 

痣が体中にありながら  
自らの路をひたむきに進む 
アシタカをみて どう思ったか
 

わたしは 美しいと思った
 

傷は  
いま癒すことができるところまで
癒していこうとすることは 
大切だと思う
癒して越えたところは 
他者に伝えることができるから
 

それと共に これからは益々
傷や闇が露になっていく時代になる
 
 
心の声を無視する場合は 
身体の病気としてそれは現れる
新たな傷を 自らが自覚していく 
しざろえなくなる時代になるだろう
 

眼が見えるようになればなるほど
自分の傷や闇も見えるようになる
 

自らが正直に生きれば生きるほど  
眼が見えるようになっていく
 

傷が露になっていくスピードに  
癒しがいつも追いつくか
果たしてそれはどうだろうか 
追いつかないケースは、これから 
益々多くなっていくのでは
ないだろうか
 

全力で取り組んできた 
ひとたちですら 
癒しが追いついてこない感じがある
 

だからといって 
癒すことを諦めるのとは違う
 

だからといって傷をこれ以上は
なかったことにしようと
観ることを途中でやめることとも
違う
 

いかに<共存できるか>
という 共存力が問われていく
ようになっていくだろう
 

すなわち  
ありのままの傷を受け入れ  
認め みつめて
癒すことへ全力で取り組みつつ  
 

自力で癒す力を養い
今できる癒しを他者へ届けながら
自らの向かう先へ進んでいく
生きる力
 

********************
 

自分が先々行っていくであろうことが
少し観えたような気がする
 

絶望のなかで生き抜いた
不屈の精神力が問われるときが 
そのうち来るのだ
 

先日、言われたことば 
「いまは、色々なことが 
 起こってくるときに 
 動じないこころを養うための  
 視座をつくっているときです」
ということばの意味が わかってきた
 

シシ神は腹の傷は治しても
腕の呪いは解かなかった
つまり そういうことだ
 

もう一回 もののけ姫観ようっと♪

=======================

ロッククライミング
 

人生を山登りに例えるのって 
多いよね
  

移動すらしていないで 
ずっとここにいるとか
山登りってよりは 
川下りってほうがあってるとか 
 

まあ、 
そんなこともまた真実だけど  
まあ ちょっと
山登りの例えにつき合って♪(笑)
 

山登りって  
色々な登り方があるよね
なだらかに進むのや、 
ちょっと勾配があるのや
本当に色々
 

事のはじまりは そもそも、 
わたしが自分で 
ロッククライミングを熱望 
したんだよね。
階段でいったら、何段飛ばし 
だろう という感じ
 

『魂の先生になる』 
という あのときの
その声を歩んできたら  
こうして気がついたら 
最も適切な場所にいる
 

マインドで どうこうする 
っていう 
レベルの話じゃないから
今までのことが 一切全く 
通用しない
 

全く違うスタイルで登らなきゃ 
いけないロッククライミング
 

先導するにはわたしが先に 
進んでいなければいけないので
当然といえば当然
 

でも この数ヶ月  
ロッククライミングの仲間と 
共にいて 
これから自分がそれを行ったら 
起こりうるであろうことを観たり 
 

自分の行く末の大変さを垣間みて  
ストイックなわたしも 
さすがに怖じ気づいた 
ロッククライミングなものだから
楽しくスキップする暇って 
ほとんどない
 

ようやく超えたと思ったら 
次の岩が目の前に迫る
 

そのストイックさって  
何億 何十億レベルで成功 
している人もみてきたけども  
そういったのとは
はっきりいって次元が違う 
ストイックさ
 

別に他にもルートは沢山ある 
ことを解っているし
使命がそうだとしても、 
それを選ばずに違う路を進むことも 
自由意志だと知っているだけに  
 

自分の喜びに沿うことなのか 
どうなのか 見極めたかった
自分の選択に責任をもって 
進みたかった
 

ようやく踏ん切りがついたので  
そちらに流れが進むかと思います。
 

自分がどこかで 決めかねてるから 
世の中の流れってのは 動かない。
決めた途端、世の中が動いてくる。 
 

今回はよく観てから見極めてから 
決断するっていうのが魂さんが 
どうしてもやりたかったようです。
 

それにしても、
まったくもって、わたしって
どうしてダースベーダー気質
なのだろうか(笑)
若い頃のダースベーダーの
気持ちがめっちゃわかるわ〜 
 

すぐに暗黒面に墜ちるし、 
クソ生意気で、 
良くも悪くも恐ろしくパワフルで。
環境も環境ならば、
もはや言われる台詞まで似てきたな〜。。。。
 

まだ 若いってさ。。。

=======================

不必要な罪悪感を手放すトキ
 

誰が誰を許していないのか
 

許さないのはいつも自分自身

=======================

この最近
自分がどんな人であるかが
わかってきたように思います
 

マザーテレサのことばが 
よぎることが多かったのですが 
 

そんな中 とてもステキな翻訳を 
見つけましたので
シェアさせていただきます。
 

本当の意味で 体験として
この マザーテレサのことばが
解りかけてきました
 

相手の反応や評価に捕らわれずに
自分がどう在るか 
 

それをこれから 
益々確立していくのだと
 

そう 感じています
 

*************************
 

リーブスインスティチュート 
仲裕美子さんのマザーテレサの訳

マザー・テレサの癒しの言葉

=======================

欠乏は 
現実という夢をつくる 
動力となる
 

完全なる充足の元には
この現実という世界すら 
存在しない
 

こうなりたい
こういう世界がいい
こんな自分を体験したい
 

そんな夢を 
こころのどこかで 
抱き続けるからこそ
この世界という大いなる夢が 
消えずに終わらずにあるのだから
 

現状肯定は とても大切だ
でも 欠乏感を 
どこかで抱えている自分を 
嫌うのとは違う
 

欠乏感は  
そのままでは欠乏感だが
充足をしっかり見つめて
<自分はそれを創りだせる>  
という創造力を
伴ったときには 動機になる
 

嫉妬 
<あんな風になりたい+絶対できない>
 

羨望   
<あんな風になりたい+
 できるかどうかわからない>
 

憧れ  
<あんな風になりたい+ 
 自分もそうなれたらいいな>
 

決意  
<あんな風になりたい+自分もなる>
 

なりたい自分の方向性に 
どれほどのYesかNoの波動をつけて 
出しているのは いつも 自分
 

どんな願いも叶ってきたことを 
体感的に取得したとき
嫉妬を抱くことって 
難しくなるんじゃないかな。
 

あまりにも、たくさんの現実創造への 
実感があると 否定感がそこまで 
湧かなくなるから
 

欠乏と向き合い、 
必要のない欠乏を癒しつつ
今現時点である欠乏を嫌わずに  
活かす方向へ

=======================

同じように見える行動でも
そこへの想いは 様々
 

思いやりからか
保守からか
隠したいからか
同情か
慈愛からか
 

受け取る側も
同じ行動に対しての
受け取り方は 様々
 

自分がどんな想いで行動したか
 

自分だけは いつも見ている

=======================

プロセスっていうのは
人によって 先と後が変わる
 
 
何かの次の何かを求めるときに
他の誰かはあなたと反対方向に 
いくかもしれない
 

誰かよりも 進んでいる  
ということも
誰かよりも 進んでいない  
ということも
すべて 幻想に過ぎない
 

みんなそれぞれ自分のプロセスを 
歩んでいるにしか過ぎない
 

精神的に 進んでいて  
みんなよりも優れて高くなったと  
思っている人が本当に高いのか
 

それは ビジネスと同じように
結局は 精神の世界の中の  
競争にしか過ぎない
 

競争は内側にしか起こらなく  
どこにいても 
自分が惑わされなければ  
それでいい
 

次元は 叡智の宝庫だが  
それだけを観て生きると 偏る
 

同じように  
現実だけ観て生きると  
それも偏る 
 

すべて というところだけを 
観て生きても それも偏る
 

でも それぞれの偏りさえ  
その人にとっての真実であり
その人にとっては偏りではないんだ 
 

他者はすべて 
自分がどこの立ち位置なのかを
教えてくれているにすぎない
 

バランスというのは人によって 
異なる 
人によって居心地のよい場所が  
違うから
 

わたしは 今 プロセス的に  
すごくおおまかにいうと
現実のみ→すべて→次元  
という感じで
次元を特に学んでいる。 
 

それは次元を学ぶことで 
エネルギーを学ぶことが  
いまのわたしの成長となるからだ
 

でも 
いつか息子が言ってくれた 
言葉を忘れずにいようと思う
 

『油断しないで。前のとき  
 最初は良い人たちだった人が
 途中で自分の方が優れているように 
 思いはじめてしまって
 良いひとたちが悪い人に 
 なっちゃったんだよ。
  

 今回は もうその時の過ちを
 繰り返してはいけないよ』
 

これは、アトランティスのときの 
ことなのかもしれないなって
そんな風に思っている
 

差や違いを感じても  
そこには上下ではなくて
ただ 開きがあるだけ
 

開きがあれば  
進みたい方向を知ることと
自らの役割がそこに生まれる
 

****************************
 

アミ 小さな宇宙人より〜 
 

精神的 高慢さは 
誰かに対して 軽蔑を感じる時 
 

その人のことを 
”精神的にあまり進歩していない”
とさげすむ気持ちを抱く度に 
見つけることが出来るんだよ。 
 

精神的エゴは ともすると 
自分を進歩しているかのように
錯覚させるんだよ。 
 

でも真実の愛は誰も軽蔑しない。
ただ奉仕することを望むのみ。

=======================

狭間にいるあなた
 

どちらかに行きたければ 
選んでもいいし
どちらにも行かなくてもいいし
どちらにも居てもいい
 

どれが 楽か  
ということだけで 選ばないで
  

どれを選んでも
苦しい部分は必ずある
 

あなたが どうしたいか
あなたが どう在りたいか
その思いを 大切に 
 

あなたを 選んで
あなたを 生きて

=======================

【本気】
 

大丈夫
あなたは ずっとずっと
何かに 本気だったよ
 

あなたの本気は  
他の人との本気と
ちょっと違っただけ
 

本気ってね
<何に対しての本気か> 
ってことで
本気じゃないように 
他の人からは見えたりする 
だけなんだ
 

例えば 社会において 
成功するための 本気
 

身体を壊してまで  
無理をしてでも 
お正月休みを返上してでも
ストイックに働く 働く 
 

表面的には  
社会のためだったり  
社員のためだったり
よくよくみると  
お金のためだったり  
 

自分が誰かに認められたい 
っていう  
承認欲求だったり 
 

自分の価値が 
成功にしか見いだせなかったり  
そんなものが混ざってるのかも 
しれない
 

例えば  
本当の自分が誰だかを忘れ去る 
ってことへの 本気
 

これは 多くの人が経験したね
本気で忘れることで  
分離の体験をしたんだ
 

傷ついて 悲しくて 苦しくて
それでも本気で分離の体験をしたよね 
 

眼が開いているようで 
起きているようで寝ていることを 
本気でやったわたしたち
 

でも だからこそ  
思い出したり 目覚めたり
そんなことを 本気で感じとれる
 

例えば自分に正直で在る という 
ことへの本気 
 

どんなに他者から 
よく思われなかったとしても
あいつは 本気じゃなく  
怠け者だ とか
どんなレッテルがはられたとしても
どんなに何かを失うように 
感じたとしても 
 

自分の正直さに  
本気で ひたむきに 生きてきた
 

例えば  
自分から何かから逃避するという 
ことへの本気 
 

逃げて逃げて 逃げまくって
どこにも 逃げる場所はないと  
心のどこかで感じとりながら  
 

それでも 逃げて逃げて
逃げきれないと知りながら  
逃げ続けることへの 本気
 

例えば  
すべての自分を愛するという 
ことへの本気 
 

愛して愛して 愛そうと努力して
こころを開いては 裏切られ 
 

思いやりの行動をしては  
勘違いされ 
 

どんなに傷ついても 傷ついても
どこかの誰かを愛してしまう  
 

愛そうとしてしまう
愛したいと願ってしまう 
 

そんな 愛するという 
ことへの本気
 

今の現状の世界の美しさを 
味わって 喜びを生きようとする 
ことへの本気
 

調和に満ちた世界をつくろうとする 
ことへの本気
 

色々 色々な 本気があるね
 

これからも 何かに対して 
本気を抱いていくんだろう
 

その時の自分にとっての真実の
本気を生きるんだろう
 

あなたは いま 何に本気ですか?

=======================

【自分に優しく生きる】
 

ここのところ 
ずっとこのテーマで。
ようやく 昨日抜けて 
超えたところがありました。
 

生きていて、 
ああ、気が回らなかったな。 
ということって
誰にでもあると思います。 
 

後から言われてみたら、 
確かにもうちょっと気遣いが 
あればよかったよねって。
 

次は、気をつけようっていう 
前向きな感じならいいのだけど
反省って度が過ぎると  
罪悪感になりがち
 

罪悪感までいかずに  
健康的な反省ならば  
次に活かせる糧となるけれど、 
罪悪感に陥るとどうにもこうにも  
自責になって自分に厳しくなって 
しまう傾向があったのですが
 

どうやら、反省というところで 
とどめることが
誰にどんな評価をされたとしても
以前よりも断然に上手くできる 
ようになってきました。
 

それは 常に自分のことを 
良く観てあげていることが
とても大切なんだと思います。
 

自分がどんな気持ちで  
どんな思いでその行動をしたかを
ちゃんと観てあげておくことが 
大事なんだと思います。
 

例えば、今回の場合は  
自分の潜在意識の声に従う 
というところが自信がなくて  
決断する勇気が出なかったためで
 

だからそれで精一杯だったんだな  
わたしってと 観れると 
反省→次に活かす  
というところにスムーズに流れます。
  

こうやって  
自分にやさしくなれることで
ひとつひとつ 他者にも 
やさしくなれていくんだね

=======================

自分の喜びに 
責任をとること

=======================

昨日行った一斉ワークの感想と
その追記
 

***********************
 

誰にでもある孤独感 
 

その孤独感や 痛みを抱えている  
弱い自分
でも その自分がいるからこそ
人に優しくなれたり  
寄り添えたり 触れ合えたり 
誰かの笑顔を大切にできたりすると 
知ったならば
 

孤独を抱いている自分をもっと 
大切にできるのかもしれません
 

どんな痛みや罪悪感を抱えていた 
としても 痛みを抱えているまま 
ただ 寄り添い
そのままを 丸ごと抱きしめると 
いうことの大切さを学ばせて 
いただきました 
 

***********************
 

孤独があるからこその つながり
 

でも そのつながりすら 
目の前に映り行く景色の 人の形は
永遠ではなく変わりゆくもの
はかなく だからこそかけがえのない 
 

今 孤独を感じたり  
つながりあうという体験そのものが 
かけがえのないもの
 

孤独感もつながり感も
この世界だからこそ体験できる 
ものだから
 

わたしが わたしだ! 
ということを感じるには
あなたとわたしが必要で
同じと違いが必要で
違いだらけのとき  
とっても悲しくなるね
 

ひとりぼっち
 

でも 違いって 
わたしは わたし 
あなたは あなたってことを
 

わたしは何者かってことを 
教えてくれるものだから
 

世界がわたしに教えてくれる 
ものだから
 

人に優しくなれたり  
寄り添えたり 触れ合えたり 
誰かの笑顔を大切にできたりする  
 

そんな孤独感は
なんだかとても透明で 澄んでいて 
 

。。。美しい

=======================

昼 太陽が輝く時
夕日の訪れを怖がるひとは  
いないだろう
 

夜 星々が瞬く時
朝日の訪れを怖がるひとは  
いないだろう
 

朝が訪れ 夜が訪れる 
自然なこと
 

でも 自分のこととなると  
ひとは 恐いのだ
 

太陽のように 自らが輝き  
他の誰かに愛を与える
温かな日差しで 溶かしてほぐす
 

自分の存在を表現できる喜びに 
満ちていると
どこかで自らの闇をみることを 
やめてしまいたくなる
 

昼のままでいたいと願い  
夜の訪れを怖がる
 

夜 漆黒の闇としての自分を 
観ることで 
他の誰かの星明かりを浴びて 
愛を浴びて
優しさといたわりを知り 
慈愛が育つ夜 
 

自分の闇と向き合い続けていると
どこかで自らが光として表現 
することが恐れ多くなってしまう
 

自信を失い 夜のままでいたいと 
願い 朝の訪れを怖がる
 

朝と夜の訪れ 
 

与えることで 広い自分を知り
与えられることで 深い自分を知る
 

夕闇を怖がる 太陽
朝日を怖がる 夜
 

日々の中で  朝と夜があり
人生の中での 朝と夜がある
 

あなたは いま 
どこに差し掛かっているだろう
 

変わらぬことは
どちらのあなたも  
とても愛されているということ

=======================

理科の実験で 
ビーカーにお水を入れて
そこに溶ける物質を入れていくの
きっとみんなやったことあるよね
 

例えば  
お水に食塩を入れると 
食塩水が出来上がる
 

見た目はお水と変わらないけど
なめるとしょっぱい味がする
食塩水の出来上がり
 

その透明な水を  
『〜の美味しい水』
って書いてある 
ペットボトルに入れる
 

そうすると一見 
何も混ざっていない
透明の水にみえる。 
飲んでみなければ誰も 
わからない。
 

中に入ってるのは 
実際は食塩水 
外側のラベルは美味しいお水
 

誰もがみんな ずっと 
こうやってごまかしてきた
 

食塩水であることを認めたら
美味しい水じゃないことを  
認めたら みんなが  
去っていくような気がして  
嫌われる気がして
 

一生懸命 美味しい水です! 
っていうラベルを貼りつづけた
 

みんな食塩水が入っているから  
世界はしょっぱくて
涙の味がしていたのに  
美味しい水を飲んでいるかの 
ような笑顔をしていた。
 

もっと酷くなると、 
しょっぱい味を隠そうとして
砂糖を大量にいれて食塩の 
味すら消した
 

化学調味料のように
 

今もなお、美味しい水です! 
っていう ニセモノのラベルを 
はっている人はいっぱいいる 
 

美味しい水のラベルにつられて  
そこに群がるひともたくさんいる
 

影響力がつよい人にも  
ニセモノのラベルの人はいるし
成功している、していないに 
関係なくこのラベルは存在する
 

ニセモノのラベルをはる人間には 
大きくわけて2つのタイプがあって 
 

自分自身にウソをついて 
本人すらニセモノのラベルを 
つけていることに気付かないから  
こちらが防ぐしかどうしようも 
ない人と
 

ニセモノとわかっていてつける 
確信犯がいる
 

でも エネルギーのことが 
少しでも感覚を取り戻してきた 
人がみると 
 

『ラベルではなくて 
 中身がなにかが わかる』ので
ラベルをみないので、ラベルに 
何をつけているかは 無意味だ
 

そして 今後はラベルは 
『正直さ』が求められ  
ニセモノのラベルの人には 
興味がなくなっていく時代に 
なっていく
 

なぜなら ラベルからして 
嘘つきな人は 嘘つきだから
 

必要のない食塩を  
成分を 取り除くためには
大前提として
『自分は食塩の成分が入っている』
ということを『認める』 
ということが 必要。
 

そうして ラベルを一度 
食塩水にしている間だけは
 

食塩の濃度を分析したり、 
温度によって水があたたまり
食塩の結晶が浮かんできて  
それを取り除くことができる
 

よく、ヒーリングを行うと  
感情が浮かび上がってきたり
浮上してくるのは  
こんな風に捉えるとわかりやすい。 
 

『元々あったものを 
 わかりやすく結晶にしている』んだ
 

ヒーリングを行ってもらう際には  
『自分よりも 食塩濃度が低く
 水としての純度が高いひと』
に行ってもらう必要がある。 
そうじゃないと逆効果の場合もある
 

食塩水の食塩の部分ばかりみて  
食塩を取り除くことに熱中していると
自分が解放した部分の 食塩を  
どうやって解放したか
それを もっと濃度が高い食塩水に 
つたえることを忘れないように 
という現象が起こる
 

それは 浸透圧のように  
海の水の一滴の自分を思い出さ
せることで  
 

浸透圧は差がありすぎると 
キツいので 
水としての純度が高い人が 
すべてを行うは不可能と知ること  
 

そうすると 
自分の立ち位置がみえてくる
 

常に『食塩水』のラベルに 
するのって  
勇気がいるんだろうけど
それが ホントだったら  
そうしてみればいいのにな
 

ラベルをとっかえひっかえせずに、 
自分に正直に生きてきた人ほど
食塩水ではあるけれど、 
この数年で劇的に食塩の濃度は 
薄まってきたって人は多いのだから
 

『食塩水』というラベルを
みんなが びくびくしないで  
はれるようになっていけるといいな
 

ラベルをなんとかすれば  
どうにかなる時代から
ラベルだけ(マインドだけ)では 
どうしようもない世界に突入して 
いっている。
 

わたしは いま  
ラベルが通用しない世界にいるけど
多くのひとが そんな世界に 
変わっていくのだろう
 

すなわち 等身大の自分の世界

=======================

知りたくなかったことを 
知ってしまったときって
本当に きついね
 

それはきっと、 
うすうすとこころのどこかで 
感じていたり 
目にしてきていたこと
 

認めたくなかったことを 
認めるときと同じくらい  
きつい
 

同じことを知っても  
嬉しいと感じる人もいるので
本人が 知りたくなかったり
認めたくなかったりする 
場合に限る
 

全部自分で起こしているん 
だから 結局のところ  
知ったときっていうのが 
ベストタイミングだとも 
知っている
 

そんな中で  
いま わたしに出来ること
いま わたしが何を伝えていくか
 

「曇りなき眼」で 
何を見定めてきたか
 

自分にとっての真実
それすらも  
曇りなき眼の透明度によって
変わりゆくものだけれど
 

わたしの眼でみたこと
わたしが体験したこと
それを いま 目の前にいる人に
伝えていくことしかできないのだと
 

わたしが観てきた せかいは
わたしにしか 伝えられない
 

この眼が 開いている限り
こうして 伝えていくんだ
 


http://www.youtube.com/watch?v=8v9DzfEUt9A

=======================

自分の選択に
自分の人生に
後悔を抱かないために
 

<自分の選択であること>
 

<自分の人生は 
 自分が創っていること>
 

<自分のエネルギーに 
 どんなものが潜んでいるか 
 しっかりと自分で認識すること>
 

<他者の思いや他者の選択は  
 他者が決めること>
 

<いつも 今できる最高の愛 
 によって選択すること>
 

これさえ しっかりとしていれば
後悔ってしないんじゃないかな
 

愛をもっての行動であっても、 
そこに混ざってしまう
自分のエネルギーがどんなものか 
知っていたら
 

そこだけをクローズアップして   
評価する人がいたとしても
仕方ないなって思うし
 

でも どんな思いでやったか 
というところは
愛によっての選択であると 
自分が知っていたら
揺るぎない自分でいられる
 

他者の思いは、 
どんな自分であっても 
どんなに頑張っても  
変えられないものだし 
変えようとする必要もない 
 

どちらに転んでも  
嫌いで居続けたければ
嫌いでいることは 容易だから
 

誠意をもって  
自分の真実を伝える以外は  
他にない
 

そして どんなときも 
目の前の相手は  
目の前の出来事は
自分を成長させてくれる 
ものであり
 

わたしが何者か教えてくれていて 
わたし そのもの

=======================

あけまして おめでとうございます
今年も どうぞ 
よろしくお願いします\(^▽^)/
 

みなさま 2014年  
お正月いかがお過ごしですか?
元旦の抱負 決めましたか?
 

わたしは
『わたしらしく 生きる』
『共存』がテーマです
 

わたしらしく ということは
わたしは 何者かということを  
より自分が理解し明確になって 
いるということ
 

誰もが愛に満ちあふれた 
存在であり
わたしの そのひとりで 
あることを思い出し  
愛としてのわたしを生きる 
ことです
 

わたしが わたしらしく 
誰かのためを思い 
愛をもって何かを行うとき
時には 他の誰かにとっては  
不利益に感じたり
それが理解されないことも 
あります
 

例え そうだとしても 
少なくともわたしは 
自分のことをしっかりと理解し
愛と思いやりをもって 
次の扉を開き 自分の真実  
自分の信念に沿って 生きます
 

いつだって いつだって
どんな時も 目の前のひとは 
わたしが何者か教えてくれ
わたしを成長させてくれて 
いるのです
 

自らの闇や まだ癒されない 
細胞の疼きを感じつつ 
幾度もバラバラになりながら  
その度に統合に向けて 
進んでいることを感じつつ
 

だからこそ  
目の前に起こっている 
現象が起こり
 

だからこそ  
理解されなかったり
嫌われたりする自分を 
抱きしめながら
 

自分のすべてと 
共存していきます
 

『恐れることは ありません』と 
他者に対して伝えていく 
役でもあるわたしは 
自らがありとあらゆる恐れを 
莫大に取り込み体験し  
 

それを解放していく度に  
そのことばに説得力が生まれます 
 

これから更に 
それを伝えていくのでしょう
 

そのためには  
もっとも恐れている
『他者から嫌われ 
 孤独になることからの恐れ』を 
今以上にもっと解き放たなってゆき
恐れずわたしはわたしの道を進みます
 

いまのわたしにできる 
最大限の癒しを
自分にも他者にも行いながら
 

わたしは わたしらしく 
自分の真実 自分の信念と共に
みんなの幸せを願い  
わたしの幸せを願い
 

愛をもって
目の前の人 目の前のことに
ひたすら 一生懸命生きていきます
 

2014 元旦 Aya

=======================

貴重なこと

失ったからこそ 大切にしたい
たった ひとつの 何か

失うことはなく すべてはわたしの中に
あるのだと知りながら

いまある中で どれほど 注げるか
限られた中で できること

制限などなく すべては無限であると
知りながら

真っ暗闇の中の 閃光
暗闇だからこそ 一際輝く 眩く

どちらも わたしにあり 
闇や光と区別する必要すらないと
知りながら

砂漠の中に  現れるオアシス
絶望の中の  希望
静けさの中に 鳴り響く音
恐怖の中の  勇気

どれも どれも どれも
愛から成り立つ
コントラストの魔法

あなたにとっての 貴重なことって
何だろう?

=======================

たくさんの人の思いを 
理解してきました
 

他者の思いを  
理解してきました

いま わたしは わたしという人を  
もっと理解してあげようと思っています
 
 
自分を もっともっと 
理解してあげようと思っています

理解するたびに 光が溢れ出し 
こんなにも自分が  
努力してきたのだとわかります 
 

こんなにも自分が 
頑張ってきたことがわかります
 

こんなにも自分が 
愛で満ちあふれていたのだとわかります

愛を与えることで循環するということ 
先に与えるというのは有効な手段
ですが 
 

ある意味 与えないと受け取れない  
という部分がどこかにあるのです

無条件では受け取れない 何かが

今年は 目まぐるしい変化の中
受け取って受け取って 
受け取りまくった一年でした
 

そうすることで より  
循環の筒のスペースが広くなり
 

たっぷりと愛されているから  
ただそれを与えるという 
感覚の方になっています

そうして わたしが  
より世界に与えることができるように
なっていくと感じています 
 

変化の中 あなたの存在に感謝を。。。☆

http://www.youtube.com/watch?v=m1CcixG4g8M&feature=share

=======================

他者の思いたいような
わたしの思いではなくて

ホントのわたしの思いを
ちゃんと知ってもらう努力って
けっこう 難しいな

わかってもらえるかどうかは
他者に委ねられていて
 

伝えてみても 伝わらない場合もあるし
言い訳ととるか どうかすら 
他者の自由だけども

違うときに 違うよって主張することは
大切なことだよね

誤解されたっぽいことを 
わかっているのに
それを黙って観ていては
誤解されることを 
 

ある意味わたしが承認したってことだし

言い訳がましいのって  
自分の美学に反するのに
のんびりしているので、もたもたしていると

全然違う方向に話が流れちゃってるから
それは 違いますって 言えるのって
だいぶ後になってからだし。

途中で 違うのよ!って 
誰かの話を制して言うほど 
自己主張が強いわけでもなく

 
誤解に気付く頭の回転のスピード感もないし。

それでも
ひとつひとつ

自分ができる スピードで 
出来ることを やっていこうと

自分の 思いを大切にしようと
そう 思います

=======================

真実を表現していくということ
 

それは自分にとっての真実を
選択していくこと

常に新たな真実に出逢ったときに 
自分自身でその真実を
塗り替えられながら 
書き換えながら 
道をつくっていくこと

真実は 人によって異なるけれど
あなたにとっての真実は
あなただけが 知っている

あなたにとっての真実を
大切に 生きるとき
ハートを生きるとき

=======================

ひとつ またひとつと
超えていくごとに
 

優しく強くなっていく

一歩  また一歩と
歩みを進めていくごとに 
 

思慮深く 思いやり深くなっていく

頭では クリアになっている
戦いの仕組み 
こころでは どこかで戦いや競争の
癖が残る 
 

この体 この細胞

長い長い間の
孤独と哀しみによって深く刻まれた傷を
こころのどこかで抱えながら

それでも 最後には 
思いの強さが
願いの強さが
わたしの 意志が

世界を変えてゆくのだと

=======================

わたしが わたしの思いを
解ってあげること

わたしが わたしの真実を
解ってあげること

他者が描きたいような
わたしに わたしという人間を
合わせる必要は全くなくて

加害者の果ての
被害者にならないためにも

他者がわたしをどう思うかは
千差万別自由でありつつ
 

わたしがわたしをどう思うかは 
わたしの自由

いつだって
どんなときも
わたしは わたしを観てきた

あなたはあなたを観てきた

あなたを 
1番理解してあげることができるのは

あなたしかいない

=======================

愛を受け取れない
ということは 人によって
様々な形を変えておこり
 

受け取れないパターンがある

愛を愛と見れないもの
愛に疑いを抱くもの

愛を受け取り続けることに
申し訳なさを感じるもの

愛をいくら受け取っても
1番じゃないと
受け取っていないことと
同じに感じるもの

こころを開くことが怖いもの

愛とみて、愛と信じて
愛を受け取っていくことで

愛が広がり循環していく

わたしが循環していく

=======================

どんなに 色々と尊敬できる能力や
尊敬できる役目をされていたとしても

目の前の人に対して 
ちゃんと目を向けなかったり
目の前の人を大切にしない人は
さっぱり尊敬できないし
信頼できない

わたしが尊敬するひとは

地球やせかいへの愛はもちろん
どんな 場面においても
目の前の 人 1人に対しても

一生懸命にこころを尽くすひと

ひとかけらの 自分の欠片を
大切に 愛するひと

=======================

色々な方法があって
どの方法も 様々な想いから
生まれている


だから 方法は本当に
何だっていいんじゃないかって
心から思う

でも そこでの自分の役割だったり
自分が観てる景色から 
できる最大限のことはしていくし 
想いを言っていくんだろうな

形に捕らわれる必要はないけれど 
 

だからと言って 
絶対的に今の方向性的に有効な
形を知ってるのに 
黙ってるだけっていうのは
自分の役割を全うできないと思う

形ってのは捕らわれる必要がないだけで
有効に使えるときは使ってこそ 
真の意味で捕らわれてないってことだと
思ってる

想いがツーカーで伝わるって
本当にすごく楽。
 

真意が伝わってるから、
どうしてその方法でやろうとしているのか
ということがわかるので 説明しなくても 
すらすらお互いに進んでいく

そういうところにいると 
水を得た魚のような気分になるし

逆にそうじゃないと 
水を得られない魚のような気分になる

まるで独りだけ外国人で 
日本語が話せなくなったかのように

しかも 外国人への差別が
そこにほんの少しでもあるとしたら
尚更気分はあまり良くない

でも どちらの気分になるかだけでなく 
そこでの自分の役割を考えていったら 

どちらでも 
わたしに出来る最大限をやっていくことが
 

ただ 大切なのだろう

理解されないとあきらめてしまわずに 
理解されたという結果はわからずとも
思ったことを言っていくことが
 

大切なのだろう

=======================

君の願いは ちゃんと叶うよ

それが 君にとって
とても大切なことで
君があきらめさえしなければ

願いを叶える力を 
君は既にもっていて
いままで たくさんたくさん
努力してきたよね

誰にも言ってない 君の努力を
ちゃんと観てるひとがいる

だから 楽しみにしていて
願いが叶った今が 訪れるのを

そうして いつか君が
願った今というときを ひとつひとつ
生きていこう

近くにいても
離れていても
側にいても

いつもいっしょにいる
そんな時を
生きていこう

http://www.youtube.com/watch?v=MVVQynaCOYg

=======================

高次元的な方々と共にいるとわかるけど
まだ 波動が死ぬほど高くない状態
ってのはある意味 武器だ


あまりにも
高次元すぎる波動の人の前には
もはや 一般の人が目の前に来ることは
難しくなってるからだ

でも 本人は 
本来の自分がどんな感じかみえてるので
そことの乖離が激しいので苦しい

でも 違う角度から観たら 
そこまで波動が行ってない
ってのはある意味 武器なんだ 
 

もうそろそろ わたし自身が 
行かなきゃマズいぞ
ってときはサッと行けるように 
わたしには、いつでも行ける 
スピードがあるのだろう

わたしって
先陣を切るものであり
そして しんがりも努めるものなんだ
ああ、欲張りすぎの傾向が ここにも出た~。。。

なんて やり甲斐のある役 
 

確かにやりきれれば かっこいいなと思う
最高に やりたい役 そして 
なんて 絶妙な加減が難しい狭間の役 
 

しかも自分の課題を乗り越えなきゃ
できない 役どころ
そして マインドは 
ガクブルのバンビ状態( ̄Д ̄;)なのに
ホントのわたしは できるよ!(≧ω≦)bって
自信満々

そうね。。。今まで本気のことで 
出来なかったことって
ひとつもないものね

すべての 願いは叶ってきた
 

無理難解な謎 その謎も解いてきた
 

そして 今もまた あの時願った 
願いの中にいる

この人の元で学びたいと 強く強く願った
その願いの中に生きている

この人といっしょに  
新しいせかいを創るという
その願いを叶えてもらってる

等身大のわたしは 
きょうは何を体験するのだろう
新たな 体験が わたしを待っている

わたしが あの時に願った未来の 今で

=======================

自分のやっていることが
最高!と思えてるときの方が
自信も持ちやすいし
何にも恐さも感じずに
行けちゃうのだ
 

すべてを知ったと思えた
2年前くらいのわたしのように
 

知らないってのは
ある意味 超最強なのだ
 

高次元的なもの  エネルギー的なもの
マインドの理解だけでは 
どうにもならないってこと 
 

そういったものを  
もはや言い訳ができないくらいに
理解しちゃってるところがあるので
 

自分が提供しようとしていることに関して
やりにくいし 
一歩進めないところがあるのだ
 

でも 自分の役割って
めっちゃ大切なゾーンであって
貴重で めっちゃやり甲斐がある  
役どころであるけども 
 

貴重すぎちゃって 仲間がいない。。。 

 
もう~~ わたしったら~~ 
わたしにしか出来ない役突き詰めたら
独りじゃないか
オリジナリティ極めすぎだっつ~の。。。(^_^;)
そして 
 

独り
 

そこが わたしの課題であった
 

ぜんぜん孤独じゃないと知っているのに
どこかで まだ怯えている自分がいる
 

本当の自分との乖離を感じながら 
 

それでも 向かっていく
それでも 還っていく

=======================

いま どんな 気分のわたしでいるかは
 

わたしが決められる

わたしがわたしでいられるように

わたしがわたしで在るように

=======================

個としての際立ちを最も感じるのは
集団でいるとき。

そうして自ずと
己をより深く知っていく

=======================

海を観たことのない人に
海を説明するのって 難しい

違うんだよって説明してみても
相手は自分の知っているものからしか
想像できない

今のわたしにしてみたら 海って
ごく普通のこと

相手からしてみたら
海の波の満ち引きの感じが
ありえないと思うんだろう

大きな箱みたいに動いてない以外
考えつかないんだろう

海。 なんだけどな〜。。。

呼吸 とか 鼓動 とか。

相手が知りたいと思ってくれているなら
誠実にわたしの出来る限りで
伝えていく以外ないし

知りたくないと思ってくれているなら
 

何も伝える術はないし
何も伝える必要がない

見守り 寄り添う
近くから 遠くから

わたしは わたしを必要とし 
わたしのところに来てくれる
目の前の方に 全力を注ぐだけ

=======================

能力に対する自信 
肩書きに対する自信

それとは異なる自信を
わたしはわたしに見つける

存在としての
愛としての

=======================

ちっちゃな光は 誇らしげにこう言った
 

「わたし 光なの!」

ちっちゃな光は 暗い闇の中
闇を照らすことで 自分を知れた

闇を照らしながら その闇の隅々まで
光が行き渡るようにしたいと思った
ちっちゃな光は 

 
あるとき まばゆい光のお部屋に飛び込んだ
まるで 雲の上のような光が差し込む

ちっちゃな光は  
右手で自分の暗いところを押さえた 
 

目が眩むような
まばゆい光の中に飛び込むと
途端に自分の暗いところが照らされるので
 

自らのどこが 暗いか 
簡単に見つかってしまうのだ

ちっちゃな光は
逃げ出したくなった

でも 
あの暗い大きな闇の隅々を照らすには
 

自分がもっと輝き 
自らの闇を愛して 
闇を超える必要があった

ちっちゃな光の冒険は
つづいていく。。。

*****

自らが光であることを完全に忘れてしまう 
絶望がある
 

それを終えたとしても  
光が光の中に飛び込む環境に身を置き
自らの未熟さを知るということは 
自身に最高の成長を促すが時に 
あまりにも恥ずかしく苦しくもある

それを自らに望む 
そんなチャレンジャーたち

未熟さを知ることで 成長につながり
そしてそのことが 
傲慢さという罠から遠ざけることでもあると
 

「わたし」は よく知っているのだ

=======================

いろいろなものが解ってきたら
解ったという責任がある

解らないときは 
逃げでもなんでもなかったことが 
 

解ったら 真実から目を背けることになる

いま 解らないからこそ
わたしがとれる行動
 

解るからこそ
わたしがとれる行動

そうして わたしはわたしの
立ち位置に立って
 

そして できることをやっていく

いまだから できることに
全力を注ぎたい

=======================

人の顔をよく観ること

自分のも他者のも
顔は その人を現す

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癒しは古くて 悟りこそ新しい
という流れがあるように見受けられます

癒しの時代は終わり 悟りの時代だと
これは あなたにとって ホントのこと?
 

これは あなたにとっての 真実でしょうか?

少なくとも わたしにとっては
癒しも悟りもどっちも大切なこと
悟った後は癒しなんて必要ないと思ったら
ぜんぜんそんなことなかったです

なんで思うようにいかないか 
なんで思うようにできないのか

それは 癒しが必要だからです

マインドではどんなに頑張っても
マインドではどんなに理解してみても
書き換えられないものがあるからです

傷がある自分を恥ずかしいと思う必要はなくて
それと共に生きている自分を愛する時代
そして前に進みながら
その時々に浮かび上がる癒しをしていく時代

そんな時代だと感じています

=======================

軸がぶれない人ってのは
ほんとにぶれない

ちょっとぶれて戻ってくるとか
切り返しがはやいとか
そういう次元じゃなくて
ほんとにぶれない

ぶれない人の中にも
何を軸にしているのか?
というのもあったりするので

ときにそれは成功であったり
自らの正しさであったりするので
そうではなくて

ほんとにわたしの望む軸であって
その軸がぶれない人ってのは
けっこう というか かなり希少だ

様々な自分にとっての学びや
揺らぎがあっても
いつも 本来の目的を忘れずにいられるくらいの
強さを身につけ
共に在れるように 
 

そんな風になりたいと心から願う

常に愛で在れるように

=======================

他の人のほうが 進んでいるように見えるのって
置いてきぼりにされているように見えるのって
ホントにホントかな?


自分の辿り着きたいゴールを知っているのは

自分だけ

いつだって 
わたしはわたしの最先端にしかいない

いつだって
あなたはあなたの最先端にしかいない

=======================

ただ寄り添うということ 
それを学んでいくとき

=======================

エネルギーの世界って
毎日がエンマ大王の前にたっているようなもの

本音を言えるだけでは済まされない 
 

これはどうなのと思いながらも 
言わない一言が 
幾つか積み重なっていくことで
口を塞いだら 違うところからそれが漏れる

察してほしいなどという
小細工は通用しなくて
自分が言いたいことを 言うしかなくて

究極的には 思ったことを 本人に
言うしかなくて

それが一番シンプル

それができないでみんな悩む
もちろん 言わなかったとしても  
矢印を自分に持ち帰って
それで解決してスッキリすることも多々ある
 

でも 自分に持ち帰ってみても 解決しないと
思ったことを言えないで 黙っていると
 
 
エネルギー的に漏れるか
陰口でエネルギー発散するか
 

そんな選択になってしまう

黙っていて
どこまで自分がそれを引き受けられるか
どこまで自分の許容範囲なのか
見極めていくことも 大切だし

自分が一体何をしたかったのかを
常に心において見極めることって
すごく大切だと思った

色々観えてしまうし 
解ってしまうなら 尚更
それを どう使うのか

それは
すべて委ねられていた

=======================

自分のことを愛していくって
壮大だから 
難しく感じるときもある


だけど一歩一歩 
歩んでいくこと以外
どうすることもできない

どちらにしろ 
自分から逃げることはできない

間違っていたら 
間違ったことを認めて
 

また進んでいく

その一歩一歩は
一歩にもみえるし
大ジャンプにも思えるし

きっと その両方なのだろう

=======================

ことばのなかに
ヒントが隠れているのが好き

在り方のなかに
ヒントが隠れているのが好き

行動のなかに
ヒントが隠れているのが好き

ヒントどころか 
そのまま 言っちゃっているように
感じるくらいでも
気づかない人は 気づかない
気づかない時は 気づかない

それに気付いたときに
どれほど 深い愛なのか
それを また知っていく

ことばとは 行動と在り方が
伴ったときのみ ことばに力が乗る

深い愛の人と共にいることで
愛が引き出されていく

それは 自分自身を取り戻すことで
ずっとそこにあったものを 見つけること

=======================

な〜〜んだ 
あなたもそうだったのね

そうそう 
わたしもそうだったんだよ

違ってるようにみえたけど
どっちも 
同じだったんだね

そうやって ただ みんなと笑い合いたいな

泣き虫だから 
きっと泣き笑いになっちゃうだろうな

=======================

みんなの幸せと 自分の幸せ
どちらも 大切にしたいと 
ずっと願ってきた


両方って 簡単じゃないときがあって
簡単じゃないからこそ 
愛おしくて大切なもの

逃げるスペースは もう何処にも
用意がなくて そして それは
誰かの 一生懸命な愛の計らいのおかげ

和らぎと柔ぎ

きっとそれが 
自らが開けたことのない扉を開ける鍵で
 

その鍵は 次々に連鎖していくものなのだと

小さくて大きな一歩
それを 踏み出す勇気という名の

=======================

闇を見尽くしていけばいくほど  
光は溢れ出さずにはいられない

=======================

目の前の いまを
一生懸命生きること

それが容易にできるというか
そうするしかない感じ

目の前に現れたことを
次々楽しんでいこうと
そして終わったことは
次々手放していこうと

一生懸命というのは
リラックスということで

力が入っているときは
浮いている分
そのエネルギーは分散してしまうけれど

リラックスをすればするほど
密着して使える分
エネルギーは集中して効率よく働く

そんな感じを体感してゆける今

=======================

自分が 今出来ることって

世界を知れば知るほど ちっぽけなことで
わからないことも たくさんあって

目の前に来た人に
自分の最高を提供したいと思ったら
誰かに 託すことも ひとつの方法だけど

それだけじゃなくて
協力していただきながら 
学びながら 提供していく方法もあって

そうして
学び教えて
生かし生かされていくんだと

本当に世界を知っていくとき
人は 謙虚にならざろえない
自らが知らないということを知るから

世界のすべてを知ったような気になる体験や 
すべての目覚めとも思えるような出来事は

人生の その段階段階においての
一部分の気付きでしかなくて

そのフィールドの気づきも
とても大切なものではあるけれど

果てしない旅路は続いていくもので
その気付き後にどうしていくのか
どう生きていくかの選択は委ねられている 
自由の元に 
 

学び教えて
生かし生かされていく
その日々を いまを 大切に過ごしていきたい

******

後ろ姿って いいですよね♪

いつも どうやって画と文章合わせているのですか?と
きかれることが多いのですが
文章が先の場合と 画像が先の場合と両方あります
 

後ろ姿って 語ってるな〜と思うものが多々あるので
大好きですね 後ろ姿。
比率としては 多くのせているかもしれません

=======================

等身大の自分が
ただ 愛されていくのを眺めていくのは

どんな心地がするのだろう

それは
ずっとずっと前から 望んでいたこと

幾度も
叶わぬ夢とくじけそうになってきたこと

それでも 涙をふいては立ち上がって
あきらめなかったから 観えてきた方の夢

手にしようと 手をのばしてきたときは
あんなにも 離れていってしまうものであるのに

溢れるほどあるときは 際限なく溢れていくものなのだと

夢の中で 愛の歌が流れていく

=======================

個として確立したものたちが
手を結び合う

One for All , All for One

そんな 時の中

=======================

1111

はじまりは 何かの終わりなんだから
何を終わりにするのかって
そう 問いかける

何事も 簡単だと思い込みたいけど
簡単じゃ割り切れない何かがあって

幾度も幾度も重ねてきた この思いを
一体 どうしたら いいの?

それでも 新たな路を一歩一歩進んでいく
その後ろ姿が愛おしい

永遠の木漏れ日の中で奏でるメロディーの
調律が 少しづつ 本来のHzに戻っていって

いつしか空色の音が奏でられるね

=======================

ただ 無条件に愛されて
ただ 無条件に許される

そんなことを感じる日々

形は変わりゆくだろうけれど
受け取れるままのわたしでいたいな

それが 謙虚を保つことにもなり
それが 真の強さを生み出すものだから

そうして 受け取れることで
より純度の高い愛が
与えることができるようになっていく

泥沼をたくさんみればみるほど
もれなく 咲いている蓮の花の大群が
観えてきている

 =======================

あのとき あの頃の
君はもう いなくて

季節は巡り いつの間にか
あれから 何度目かの秋

幸せなこと 同じ形ではいられなくて
季節が移り変わっていくように

幸せは時に残酷で 
移り変わっていったときの喪失感を与える

君が壊れそうになるくらいに
最初から出逢わなければなかったと
全てのはじまりが間違っていたとさえ思えるくらいに

いつまでも 変わらないものが
いつも ここにあって

それは 永遠という文字を奏でると
君が教えてくれた

その文字を置き換えると
何になるのか
その答えを見つけると 
大切なものや人が 
どこにいったのか それがわかるんだって

ずっとどこにもいっていなくて
いつもいつも ずっと側にいるんだと

はじまりとおわりがないときの中で
今という何かのおわりと
今という何かのはじまりのひとつひとつを
眼に焼き付けていくよ

永遠と共に

=======================

~個としての確立と調べ~

お互いがリーダーの気質を備えていれば
細胞分裂のように 離れ別れる

それは いのちとして 自然な動き

離れがたい 胸が引き裂かれるほど 
愛しているその人やその人の特徴は

必ず 自らの内にもあり 
離れるほど時が成熟しているならば
自分で響かせることができる

そして 個としての確立をしていけばいくほど
個として 確立したものたちと共に
必要なときに アンサンブルを
奏でていくことができるのだろう

曲が終われば また個
ソロであり アンサンブルに時に混ざり

そして 奏でる 休むに関わらず
生きているそのことが 既に
オーケストラの調べの一部であり

そして それは 
いのち そのもの

***

こういう 国という個の特色が
活かされつつ ひとつってなってる 歌と踊り好き♪

http://www.youtube.com/watch?v=Pwe-pA6TaZk

=======================

どんな 映画が好き?
どんな 役者をやってみたい?

たくさんの 役があって
いろんな 役に没頭してきた
さまざまな役 いろんな役を演じてきた

時には 悪役
裏切ってみたり 意地悪してみたり 
パワーで支配し 呪ってみたり

そうして
裏切られ 意地悪されて
支配され 呪われて

そう 
役は 二つでワンセット
するほうと されるほう
実は 両方やって一役

そうして 
そこまでして それがどんなものか 
体験したかった

その反面
優しくて たくましくて 
慈しみといたわりと慈愛に溢れ 
傷つきながらも

愛することを あきらめずに 
人が 地球が 大好きで 愛していて
だから いま 生きていた

すべてなる自由のもと 役を決められて
自分もすべての役をやってきたのだから
誰かのことを 悪役を わるもの と言う資格など
決して誰にもないけれど

自分が 
いまここから 何の役をやるのか 
どんな役をやるのか
それは 自分で 選べる

それは いつだって 自由だ

ダースベーダーのように
ジャン バルジャンのように
悪役から 逆転するのか?

映画の のびたのように
弱虫から 脱却して 勇気をみせられるか? 

あしたのジョーのように
自らの情熱を向けられる本当の場所に辿り着き
やりたいことをやり切れるのか?

それを阻む様々な ものがあったとしても
本気ならば必ず その役をやりきることができるだろう

自分が拳を下ろさなければ

そして 今 数々の役を終えて
いつしか 物語は最終章

あなたは 最終章 誰と どんな役をやるのだろう?

=======================

先日 いただいた ステキなことば

<空席がなければ 新しいものは 入ってこない>

本当にその通りで だから安心して 信頼して
過ごしていたらいい

自らが大きく変化したときは
尚更 空席が目立ちたくさんあるように思えるけれど 

その隙間に 新たな風が入ってきて
その風は 今までと比べ物にならないほど
心地がよい風だから

寒い冬が終わった後 訪れるのは春

今のわたしを現す風の一部が
舞い込んでくる
桜の花びらのように

今のわたしが 最高のわたし
今のあなたが 最高のあなた

そして 
誰かの新しい風そのものとしての
わたしとあなたがいる

誰かが あなたを待っている

=======================

君がいたから いっしょに笑えた

君がいたから 手をつなぎ触れ合えた

君がいたから 冗談を言いあえた

君がいたから 喧嘩できた

君がいたから シーソーで遊べた

君がいたから 比較ができた

君がいたから 協力できた

君がいたから 涙を流せた

ぜんぶ ぜんぶ
君がいたから できたこと

 
本当のひとり 
世界にたったひとりのままでは
決してできなかった  
君とのせかい

君がいたから 愛し合えた

=======================

激しい 情熱をもって
生きてきた

すべてを 燃え尽くしてしまうほどの
炎と共に

様々な刺激を求めて 泣いて笑った

これからのわたしの みらいの姿が
どうしても 穏やかで静かで     
微笑むようなことにしかならないような  
予感がしていて

それは  
情熱を失ってしまったわけでなく
静かなる 情熱
それは とても美しくて 神々しい

わたしの

あなたの

=======================

〜波紋〜

先日、とある方のコンサルテーションで
「嫉妬されますよ♪」って 
言われて(とっても明るく 笑)
そこと 向き合っているわたし

これから新たにはじめていくこと
拡大していくこと
能力を発揮しいていくこと
世界に出ていくにあたって
<嫉妬>ということと
向き合う必要がありました

才能を出す→嫉妬される→孤独

という 置き去りにされた図式が
心のどこかにありました

あるので しっかり向き合っていくと 
色々と面白いことに気づきました

他者の思いをとても繊細に感じとる
わたしは 本来のわたしが
自分を出せる人たちだったり 
場所(つまり、その人たちは
ある一定以上の自分の自信と
個としての才能も持ち合わせている
ことを自覚し 

他者のことを素晴らしいとは 
思うけれど 妬んだりとか 
嫉妬には至らない人たちの前〜では 
本来のわたし〜歓びの状態である 
わたしがとても自然に出ていて

嫉妬や妬みだったり 
わたしの一部だけを切り取って
歪んで観ている人たちの前では  
その攻撃を受けないように 
少し大人しくしているのです

これは とても有効な手段です  
エネルギー的な攻撃をうけない術を
知っているのですね

これも とても段階をふまえて  
どこまでなら出していい
ここからは 攻撃をうける  
ということを 感知し
当たり前にやっているのです

だから わたしは自分が 
<出せない> のではなく 
自らを大切にしているので 
<出さない>のが解ったのです

ところがです。 

<わたしの心の中で 
 本来の存在としての自信が
 呼び戻されることによって  
 他者に対する嫉妬がいよいよ
 消えてきた> 
のです

そうするとどうなるかって 
周りも変わります

今まで  
わたしを偏って観ていたひとは  
本来のわたしを観ることになって

わたしの良さを受け止めて 
受け入れていくような流れが起こります
(または 受け止めたくない人は  
わたしの観る世界から消えていく
ということが起こります)

わたしという人間を  
そのまま観るひとが激増しているのです

のんびり屋さんでおっちょこちょいだけど 
びっくりするくらいしっかりもしていて
臆病だけど すごく勇気もあって
涙もろくって情にあつく 

決めたことに達成するためには 
情をさっぱり挟まなく非情で 
リーダーで 自分をしっかり持ってもいる
けど その場の空気を読んで  
調和をすごく大切にして他者を尊重する
生きる能力に優れてもいて

  
だからこそ生きることに貪欲でもあるわたし

どれも どれも どれも。。。わたしで。

そして。わたしがわたしでいることで 
どんな側面も全面的に ただ幸せで 
喜びでいて 愛されちゃう
っていう感じになってきていることに
なっていっています
これは 場所 時を選びません

以前もこんなことがありました

<自分=他者> ということと 
全く向き合わない人との別離です 

自らを中心として 広がるその波紋は
とめられないし とまらない

そんな 時の中に いま います

=======================

ひとつひとつの
選択の積み重ね

それが わたしを変えていく

見過ごしていたものが
何だったのか 解っていく

大切で愛するとき
わたしたちは 何を選んでいくのだろう

どんな幸せを受け取ることを
自分に許可していくのだろう

こころが歓ぶことを 
どこまで許していけるのだろう

自らの幸せを 
躊躇なく受け入れていけるのだろう

=======================

面白いことになってきました☆
いや〜 とにかく 面白い
シンクロニシティのアメアラレ☆


新たな出逢いだったり
今まで出逢ってたけど 
そんなに深くない関わりだったり

そういう人と 関わっていって
連鎖していって 影響を与え合って

そして はじまっていく感じが
わたしの感覚では 
いま 関わっている人たちの共通項

〜「覚悟」の質が同じ人たち 〜
っていうことが 
はっきりわかってきました

覚悟ということば
本気ということばを使っていたとしても

<何に対しての本気 覚悟なのか>ってのは
人それぞれ 微妙に違うから
覚悟してることが同じって
すごい ベースだよねって思う

成功すること 
それだけに本気な人だったり

拡大すること 
それだけに本気な人だったり

現状維持   
それだけに本気な人だったり

そういう役割の人 
それはそれでステキだけれど 
わたしの役割はそこではないんだ

*わたしの歓び幸せと みんなの歓び幸せ 
どちらも決してあきらめない

*愛することを 決してあきらめない

*光と闇 表と裏 清濁それらのすべてを 
立体的 温度的 生命の営みの動きを含めて捉え 
 

共同創造であることを理解したうえでの 
光としての表現 顕現

この3つを 本当に覚悟してるんだな
ってことが目の前に現れる他者を通しても 
深く感じる日々

そして 新たなる きょうが またはじまる

=======================

KY

KYの人が嫌いな人って
けっこう多いんじゃないかな
みんなの 意識感じれないと 
何でわかんないんだ?と 思うよね

なんだか 思うに
KYの状態になってる人って

<それほどまでに 余裕がなくて 
 自分のことで精一杯>
だったり

<それほどまでに 自分の中で
 確固たる達成したいものがある>
ことだったり

で 人のこと考える余裕すらなくて 
視野が極端に狭くなってるのかなって

KYの状態になってるときって
KYだという自覚はないだろうから

そういった 原因というか理由さえわかれば 
そんな他者と〜そして自分自身の一部と
歩み寄りができるのかもしれないね

人からしてみたら たいしたことないことや 
ちっぽけなことや どうでもいいことや 
くだらないと思えることでも

その人にとっては 
とても大切なことだったり
どうしても達成したいことだったり
どうしてもやりたいことだったりすると思うと

きっとそれは 誰の中にもあるもので
そういった自分さえ 愛おしく感じて

大切なものだったら 
応援して叶えてあげたいなって
そう 思うんだ

もちろん 自分が無理だったり
我慢にならない範囲で
それを行うという大切さを学びながらね♪

そして わたしも
人から くだらないと言われようと  
何と言われようと 何度考え直しても 
どうしても大切なもの

それは きっと わたしにとっては本当に
大切なものだって
いまは そう信じ切れるんだ

夢の中で観る 大志の中に折混ざる 
自らの夢も 大切に☆

=======================

〜こころが広い 狭い〜

こころが狭い自分という  
自分が自分につける評価

でも 実はそこには
自分を大切にしていることが
混在しているかもしれない

こころが広いという  
自分が自分につける評価

でも 実はそこには 
そういう自分にならなくちゃって 
どこかで無理しているかもしれない

どこまでなら 自分にとって 
楽しく歓びで
どこからが  無理で我慢で
苦痛になってるのか

そのラインは その時々に変化し
その基準も  その時々に変化する

元気がある度合いだったり
タイミングだったり
価値観だったり

それは あなただけが知っている
あなたの 器

大きいとか小さいとか 
そういうことではなくて

自分の器の大きさを その時々に適切に
見極めることができることが大切なんだ

それは 自分を知っているということ
それは 自分を大切にしているということ

自分が全部やらなくてもいいという
すべてへの信頼があること

そして 信頼の元 新たな扉がひらき 
偽りの広さではなく
本当の広さが生まれる

=======================

〜自転車〜

自転車って さいしょに
漕ぐときが 一番力が入るよね

回転して どんどん回っていけば
スピードははやくても 
楽に漕げるようになってくる

一番最初は 重いし
とてつもなく ゆっくりだし
力を入れないでいると 倒れてしまう

だから スピードのはやさだけでは
比べられない<パワー>を感じる力が 
そこに必要になってくる

あまり進んでいないと思える
その距離を 距離だけでなく 
パワーも含めて観ることができたなら

どれほど 自分が頑張り屋さんで
どれほど 自分が努力家で
どれほど 自分が成長したのか

それを観ることができるんだ

慌てず 焦らず 力を込めて

そうして いつしか 足が軽くなり
軽くなっていくにつれて
スピードがのってくる

何事も はじめというのは  
そういうもの

 
ゼロから イチを生み出すときは 
そういうもの

でも だからこそ 
漕ぎはじめで 力を入れて頑張っている
わたしが尊くて 愛おしい

そして その先には
自分の敷いた ロードを走る 歓び 
 

自らが 創り 
たくさんの人の助けによって 敷かれた
ロードを

=======================

難しい学問書や 頭が良くなりそうな
効きそうな本もいいけれど

本質って 
色々なところに散りばめられていて

大切なことって 子どもがみるような
絵本や童話やアニメや映画 
そういったものの中にも
たくさん散りばめられています

わたしは そういったものを
使っていくのが得意で セッションにも 

<この映画をみてみてください>とか 
<この絵本を読んでみてください>とか 
<この動画をみてみてください>

ということが よくあります。

昨日は その流れで 
スナフキンの名言集をみていて
そのなかに こんな一節があります

「なんか いい考えないかな?」

「どこにもなかったら 
 自分でつくったらどうだい」

「自分で?そんなこと 
 できるわけ ないじゃないの」

「できるかどうか やってみないと  
 わからないんじゃないかな」

この一節は 観る人によって 
感じ方や 学びは千差万別で 
この一節から息子が感じとった感想は

<世界を 切り開いたひとが いるから  
 この世界があるんだなと思った>

という感想でした。 
ゼロからイチをつくるのは勇気のいること
だから それを創り上げてきてくれた
先人への感謝を感じたようです

それに対して、わたしは 
そうだよねと言う以外何もなくて
本来 学びってそういうものなのだと
思うのです。

わたしが思うに 
メンターであればあるほど  答えを直接的に
言うことって シチュレーションによっては
全くなくて 
わかりにくいけど その人の力量を見極め 
答えにたどり着けるヒントを 
差し出せるか というセンスを磨くのは 
必須のような気がしています。

そういったグル 長老が 
以前は 集団を先導していたのだろうけれど
いまは そういった体制になってないしね

他に有名どころでいえば 
ハリーポッターでいえば ダンブルドアだし
スターウォーズでいえば ヨーダで 
ロードオブザリングでいえば 
ガンダルフのような

そういった グル的存在になっていくには 
感覚を鋭くしていき 多角的な視座と
ミクロとマクロの動きの切り替えと 
慈愛によって 磨かれていくものだと思います 

まだまだ学ぶことはたくさんあって
成長していく自分を体験していくのが 
楽しみです☆

http://www.youtube.com/watch?v=lT8YATFfEi8

=======================

今 この時代を生きる世の中の
大人の女性って凄いなって思います

たくましくて
強くて
優しくて
あたたかい

でも
そうして たくましく生きるうちに
世の中で 活躍するうちに
守るものが 増えていくうちに
愛するものが 増えていくうちに

<自分だけの 大切な 時間>

っていうものが いつしか減ってきて
誰かを <喜ばせるほう>としての
歓びに専念するのに
一生懸命になってきて

いつしか<少女のこころ>
を一部 封印してきた

封印を解く 鍵は

それは 誰に気にすることもなく 
誰かのためではなくて

<自分>が

ただ、奇麗だなって感じたり
嬉しいなって感じたり
可愛いなって感じたり
美しいなって感じたり
楽しいなって感じたり

そんな 時間をもつことなのかもしれない

そんな 遊び心の中に 
自らの少女のこころの中に
歓びを彩るヒントが隠れているのかも
しれない

大人になってからの 少女さというのは 
若い頃の幼さとは違って
大人と少女が融合していること

不思議と魅力のある女性は 
<少女>の部分を大人になっても
大切にしている女性だと
<少女の部分に 自信が隠れていると>

そう 思うのです

********

久しぶりに エンヤを聞いてみた 
天使の画像つき

http://www.youtube.com/watch?v=JMBCXdPmZko

=======================

気がつけば 
わたしはいつも 狭間にいた

人と人の間

宗教と宗教の間

争いと争いの間

主張と主張の間

点と点の間

そうして そのどちらもの 
美しさや素晴らしさや愛があるのに
そこに理解が生まれないことに 
哀しみを抱いていた

どちらか一方につききることができたら
どんなに楽だろう
どちらか一方に混ざることも試してみた
けれど 違和感があった 

そうして どちらにもつききることの
できないわたしは どちら側からも 
完全なる味方ではないとされ
そうして 時に独りになった

絵本に出てきた こうもりのように
八方美人という言葉があるなら 
私を現していた

みんなから好かれたい
嫌われたくないという 
恐れも混ざっていただろう
でも それだけじゃなくて
他の大切な思いが そこにあった

そして 時を経て
一生懸命 表現を学んだわたしは
狭間の間にいる わたしは

わたし そのものが 
世界の狭間を埋めるもの
架け橋なのだと気づく

あの人とこの人 そっちの人とあっちの人 
どれもそのプロセスにおいては大切で
どれもその角度や立ち位置からしてみたら
大切で
どれもその人からみたら大切な学びで

違いを認めて愛するために 
という目的のために立ち上がったはずが 
真剣なあまりに
どこかで すれ違ってしまって
ジャッジや否定となった 
思いの欠片たちをつなげるために
わたしが いるのだ

理解できない 
ということを含めて理解しながら

小さな1つの橋〜Rainbowとして
世界に 在ろう

*****

Somewhere Over the Rainbowのアレンジ
すっごく爽やかで喜びが伝わってくる感じ♪
音楽って こうだよね〜と思う

http://www.youtube.com/watch?v=jzF_y039slk

=======================

見ないふりをしたものは 拡大し
しっかりと観つめたものは  
 
 
逆に消え去る

****** 
 

なぜ 見ないふりをしたものが 
外側の現象 目の前に 拡大するか?

それは 自分自身にそれがある 
ということを見つけて観てほしいから。

しっかりと観たら 弱まりついには
消え去るのはなぜか? 
 

内側にあると 認められれば 
それは内側(こころ)で融合されていく
ので 消え去るようにみえるのです

要するに
外側の現象(世の中) と 
内側の自分(こころ)
これは 常に<反転している> 
ということをしっかりと 観ることが 
大切なのです
仕組みを知ることです

後ろを向いて逃げたら <拡大>
前を向いて向かえば  <縮小>

これは 外側と向き合うということ
のみならず 自分自身と 
内側と向き合うということです

もしかしたら 
弱さと向き合うのが得意なあなたは
自らの強さと向き合うのが 
不得意かもしれない

もしかしたら 
強さと向き合うのが得意なあなたは
自らの弱さと向き合うのが 
不得意かもしれない

でも。。。そのすべてが あなたです

これ 
には 反転していることへの
しっかりとした理解と
<勇気>
が 必要です。

勇気って 自分でも頑張る部分もあるけど
多くの人から 愛されて愛されて
愛されていると感じたとき
湧き出てくるもの

それは 何かができる あなたじゃなくて
存在 そのものの あなたへの愛

無条件の愛に囲まれたときに 
湧き出てくるもの

=======================

はじめは 

何に対しての 本気だったろう?
何に対しての 覚悟だったのだろうか?

もっと成功すること?  
名声をたくさん得ること?
賞賛されること?  
それとも 認められることだろうか?

何に対して本気で 何に対しての覚悟か

それさえ見失わなければ
どんなに 路を外れていきそうなときも

あなたが宿した本気と覚悟が
あなたを 本来の路へと誘っていく

だからね

何に対して本気で覚悟をするのか
それは しっかりと心に刻んでいてね

本気と覚悟は
あなたを 必ず助けてくれる

必ず

=======================

素晴らしい
本やメソッドやワーク

それは 
あなたが幸せになるように☆
と作者がこころを込めてつくられたもの

役立つ情報や 
自分の力では超えられなかった
視座から物事をみられるようになり
現実創造を実感して 
自分として生きることを思い出していく
そんなメソッドをわたしも友人と共につくった

でも どんなに素晴らしいものであっても
それが  今のあなたを幸せにしないのなら
いつでも 捨ててしまってください

メソッドをはじめとしたツールは
あなたが幸せになる <方法>のひとつであって
それを制覇することが<目的>じゃない 

できてない自分を責め続けてしまったり
あなたに合わないものを頑張り続けたり
前はしっくりきたけど
なんか、最近の自分には違うなと感じるなら

今の自分を信じてあげて☆

本やメソッドやワークに限らず
あなたを幸せにしない 
すべての<方法>を捨てて
無理に頑張ることを やめてみる

なぜ 成功が欲しかったんだろうか
なぜ お金が欲しかったんだろうか
なぜ。。。なぜ それがしたかったのだろう? 

そうして <目的> を思い出すことで

観えてくるものがある
生まれてくるものがある

何度でも 何度でも 
あなたが あなたに 還っていくんだ

*****

RPG(sekai no owari)
http://www.youtube.com/watch?v=Mi9uNu35Gmk
歌詞
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-130501-105

=======================

表と裏
光と影

そういう 相対的な表現は 
多くの人に理解しやすいのかもしれないし
馴染みやすい

数年前は そういう感じで伝えてきたし
そういったワークを提供してきた
でも これからの わたしの役目は

点が線となりて 面となり
相対的な話から 立体的な話への変換

さらにはそこに 角度とか 回転とか
動きが備わっている感じで
伝えていくのだと思うし

ミクロとマクロの視座の融合によって
伝えていくのだと思うし

そこには音や色や香りといったものが
結びついてくるし
重力 引力としての完璧性ということにもなる

立体的な感じが理解できないと 
ジャッジが生まれる

プロセスや動きが理解できないと 
<先>とか<後>とか
<上>とか<下>とか 
そういった概念から解放されにくい

ミクロとマクロのどちらかだけを
優先させすぎて
どこかの 次元や密度に無関心だと 
そこには歪みが生まれるし

左脳 右脳 どちらも毛嫌いせずに
そのふたつを 自分の立ち位置で 
融合していくことが
自分を 活かしていく ということだ

ことばでは 言い表せない それを
わたしは 変換の特性を駆使して 
重ね合わせて 自らの限界に挑戦して
伝えていくのだろう

これからは
そういったことが理解できる
多角的な視座をもつリーダーを育成し
導いていくのだと思う

更には エネルギーのみならず
精神世界と実社会とがしっかりと
結びついている 地に足のついたものが
やりたい
これはスタイルが変わらないね(笑)

わたし自身が超えることで
提供できることが 進化していき
内側と 外側とが 連動して超えていく

そんなことが 昨日
こころ許せる 仲間と話して 
ハッキリしたこと

水面下にあった
わたしの線路の先が 少しづつ
顏を出していく

新たなる 予定が入っていき
そして 進んでいく

***

いまのところ 
わたしが やりたいのは 
こういったことです 
というのが 近い

http://www.youtube.com/watch?v=C4V-ooITrws

=======================

散々自らが 願ったことなのです
すべての自由の中から なんでもいい中から
それでも これがやりたいと望んだ路なのです


余計な路や 自らの望まない方向に行かないように
事前に 望まない方向への路は破壊したようなので
このまま進んでいけばいいだけなのは わかっています

しかも、ちゃーーーんと 須く最高のトキに
準備万端♪ みたいなことに ちゃっかりなっています。

ところが あまりにも ど真ん中というか
どストレートすぎるところに
レールが敷かれて いるのをみると
こんなにも 
怖じ気づいてしてしまうものなんだな〜と思います

こんなときは 自らの臆病さを
感じながら 抱きしめながら 一歩一歩
進んでいくしかないのだと思います

それは 自分のネガティブな経験の部分の
すべての側面の逆転が 
レールになってるということだからでもあり

ネガティブの反転が何十層にも折り重なる結晶に
同時に向き合いながら
自らの路を間違いなく歩んでいる 
確かさということでもあります

ちょっとでもずれてれば ぜんぜん簡単に進めるし
楽なんだと思う。なぜなら 角度がずれてるから。

なんで ここまで 切り込み隊長役なのだろうか? 
とぼやいてみる
(心の中で そりゃ あんたが望んだからだよ 
という つっこみがすぐ入るけれども。。。笑)

レールが完全に準備万端で敷かれているのをみたときに 
ジタバタする感じの 意味が わかりました。。。
 

人の話できいたときは、そんなものかとか むしろ
レールが敷かれてるなんていいな〜と思ったけど

ホントですね(笑)
この感覚は初体験だわ。。。

=======================

〜 砂山 〜

君は どんな砂山をつくってる?

大きいのとか
トンネルがあるのとか
川が流れてるのとか

どんな砂山をつくっても
海の呼吸によって
波が訪れたら あっという間に
壊れちゃう

それでも 何度も 何度も つくってきたね

随分 前に話したときは
どれだけ 高く大きな 山をつくれたかが
重要だったね

高くて大きいのもすてきだけど
それが 目的じゃなくて
いまは 大小に関わらず
どれほど 美しい砂山をつくれたかが
重要になってる

砂山をつくる場所は どこも 潮が満ちて
満潮になってきているから
砂山は 壊れやすいし 新しく築きやすい

だから いま つくってるこの 砂山も
どのくらいの大きさになるかはわからないし
波がきて すぐに壊れちゃうのかもしれないけど

それでも その時点での
一番美しい砂山をつくれたら
それが とても幸せなんだ

美しい砂山をつくる 秘訣は

そこに どれほどの 喜びを感じるか ってこと

それには もちろん 
相手がこころから喜んでくれてるってことと
向きあうことも大切だし
自分がものすごく喜びを感じることも大切だし

何より 正直さっていう  
今の自分のこころと常に向き合い
成長と共に 更に美しい山をつくれると
わかったときには
波に委ねられる 覚悟が必要なんだよ

最高に幸せな状態とは

今 砂遊びができる感謝と 
今 美しい山を創っている喜びが
体中から 沸き起こってることなのかもしれない

=======================

人生って ホント何が起こるかわからない☆

予測ついてる(意図的な創造)も 
もちろん楽しいけど
(引き寄せの法則的な創造の仕方)

予測つかない部分があるからこそ楽しいんだなあ
(流れに身を任せる的な創造の仕方)

なぜなら それこそが<lucky>なわけだから
luckyって 楽しいよね☆

意図的な創造は  
自分が何者であるかを自覚させてくれるし

<lucky>は どれほど 自分が世界に愛されているか
愛されまくってるか それを知ること
<愛を無条件で受け取る> こと

そして 自己創造であると自覚したあと
<lucky>をたっぷり味わうには 
愛を受け取る強さと 身を委ねる世界への信頼
が必要なんだなと思う

今年の誕生日に決めたテーマ
luckyの醍醐味を 味わっている 今日この頃

このまま ひとつひとつ大切に
味わい尽くしていきたいな☆

luckyというギフトは 
マインドの想像を超えたところにある

=======================

ことばに出さなくても 
伝わることあるし

ことばに出しても   
伝わらないこともある

それでも 伝えようと努力して 
ことばを発している

自分の発した言葉を
相手が同じように受け取るとは
限らなくて

誤解っていうのが生まれる
誤解が絡まるとさらに こじれる 

糸をほどいてみたら なんのことはない
いつだって 至ってシンプル

複雑に見えるのは 糸を絡めてしまっただけ
糸が何本にも観えているうちは ほどけない

糸は 常に一本なのだと
そうしてみると するりとほどけて見える

どんなに こんがらがっているように思えても
糸は いつも 

一本

=======================

いつも 
わたしたちは
一方通行の路を 歩んでいく


後戻りはできない
流れは常に 一方通行だから

何も知らなかったときの苦しみ
無知はわたしに絶望をプレゼントした

そうして 一方通行の路を進むうち
いろいろなことが 
少しだけわかるようになってきて
わかることは

大いなる喜びと共に
知っているからこその苦しみ
観えているからこそのもどかしさ

既に知っていることを 
知らないふりをして
生きることは できない

例えば 311のような出来事が
起こると知り 
ほとんどの人がそれを予測できなかった
ということを知ったときは 
どれほどの思いだっただろう

知っていたとしても 
黙するしかない時期が
あることも 時にはある
真実が混乱や恐怖を
促進させてしまうと思えるときには
水面下で回避できるように懸命に
努力しながら

そうして それぞれが
自分にとっての真実を
できる限り
いまという最高の方法 
伝え方で 伝えていく

どのように伝わるか 
伝わってそれからどう行動し
どのように生きていくのか
すべてを信頼の元に委ねながら

真実を伝え
生きていく

=======================

あなたの目の前には

24色入りの 空っぽのクレヨンの箱

あなたは あなたが手にもっている
24色がどんな色をしているか
ちゃんとみたことはあるだろうか

どの色を 使っていて
どの色を 使っていないのだろうか

知らず知らずのうちに
使ってしまっている 色はないだろうか

ひとつだけ 解っていることは

<手にしているという自覚がある色は 
使うか使わないか選べる>
のに対して

<手にしていると自覚していない色は 
勝手に使われているかもしれない>
ってことだ

<手にしているか どうか> 
が問題ではないんだ

どの色を持っていたからといって 
あなた以外の誰もが、あなたのことを
責めたりはしない

みんな 24色入りの空っぽのクレヨン箱を 
持っていて
どんな色のクレヨンを持っていても 
使うか使わないかは 選べるのだから

実のところ問題は
<手にしているかどうかを観ようとしない>
ってことだ

どの色を手にしているか 
それは
あなたの 描いた 
現実という名の絵の痕跡をみればわかる

=======================

どんどん
意味不明な 展開
意味不明な 行動になってくる


意味不明ってことは 
マインドでは理解しえない
ってことなだけで
感性という わたしは 
ちゃんと知ってるってことだ

そして いつもそうなように
そういった源からの行動は
後に 理解をちゃんと得ることになる

わからない 知らない ってのは
もどかしくもあるけれど
同時に 最高のギフトである場合も多い

全部知っていたら 
恐くて踏み出せないから
だから ある程度知らないほうが
行動にうつせる場合もある

だから 知ってる 知らないってのは
いまの 自分が向き合える恐怖の分量と
相応する

自らの恐怖が溶かれた時に 
理解は訪れてくる

=======================

方向転換して ゼロになり

まっさらな 更地に佇みながら 
一歩 歩き出したわたしの心に
溢れんばかりの 愛が注ぎ込んできました

こうして 生かされていることを
どれほどまでに 愛されているのかを
知ってゆくんだ  

責任、真実、仕事、愛、幸せ

=======================

昨日 取り急ぎホームページを
ご紹介させていただいたのですが

まだ 未完成な部分も多い上に
媒体もフェイスブックで 
ちらっとつぶやいただけで
早速お申し込みをいただいておりまして
そのご縁にこころから感謝すると共に

三次元的なテクニックを一切使わずとも
本当に 必要な方に必要なときに
届いていくのだなというのを
体験しております

*******

夢というのは 心理学者として 
大変有名なユングが  
無意識の領域を知る為に 
研究していたことでも知られています。

わたしも夢で啓示夢や象徴夢などを
観ることが多いのですが
昨夜は どうやら
夢の中で学習しているようで
いろいろなことを 教えてもらいました

きちんとは覚えていないのですが  
何となく覚えているのは

11回のプログラムの  
第1回目に参加していて
自分自身の魂のカラーの傾向を
詳しく観て 勉強しているというもの

昨日から 
レムリアンアセンションのイベント
がはじまったので ご興味がある方は 
ぜひ観てみてください☆

http://leaves-blog.com/…/%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%82…/

=======================

〜宝〜

能力、才能、知識 をもっている人が 
イコール 素晴らしい人ではない 
 

能力や才能をどう活かすかは 
その人次第だから

能力や才能や知識をもっていても 
引き出しに入ったままの人もいる

能力や才能や知識をたくさん集めても  
もっと集めなくちゃと
収集ばかりする人もいる

能力や才能や知識を
ひけらかすために使う人もいる    

能力や才能や知識を
人のあら探しのために使う人もいる

誰もが
引き出しにいれていたことも 
集めていたことも
ひけらかすために使ったことも  
あら探しのために使ったこともある

生きる人である以上 
これらが混ざることは
これからもあるかもしれない

それでも 

愛するために 
慈しむために 
いたわるために
寄り添うために 
喜びのために

その宝を 使うのか どうなのか
それは あなた次第

=======================

~怒りと自己否定~ その2

怒りを表現されている人が多いこの頃
対処法などをのせております

前回の記事はこちらから
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=367753476689638&set=a.136973859767602.26733.100003649666295&type=1&theater

☆ ポイント 
怒りを観るときは 
自己否定 自責も
いっしょに みてみよう♪

ということでした 

わたしの場合 最近以下の思いが湧いてきました

☆自分が言いにくいことを 
都合よく人に代弁して言わせるのがいや(他者) 
 

☆自分だけ注目されていないと  
気が済まないのがいや(他者) 
 

☆無駄なことをしている わたしがいや(自分)

☆急な変更をする わたしがいや(自分)

他者マークのは 他者に対してイラっとしたことで
自分マークのは 自分に対してイラっとしたことです

☆自分が言いにくいことを 
都合よく人に代弁して言わせるのがいや
を例に出してみます

1、まず 他者に対して思っている以上 
内観できないので
他者=自分の鏡 として切り替えます

そうすると 例えば
 

2、<自分が言いにくいことを 
都合よく人に代弁して言わせる>
ことの何が嫌なのかをみていくと 
 

自分が自分自身の一部を
否定していることに気づきます 

わたしの場合 今回 
以下のような答えが湧いてきました

人の反応を気にする自分、 
誰かに任せて責任をとらないようにする自分 
嫌われたくないと思ってる自分、 
自分の意見に自信がない自分 
 

3、次に 
これらの自分を 丸ごと思いっきり抱きしめて 
そうだよね  そういう思いが自分にあったり 
湧いてくるのは 当たり前だよねって
完全肯定し 許します 
 

(その原因まで探り 原因そのものに向かい
 対応する場合も多々ありますが今回は省略します)
 

4、最後に 自分が向かっていきたい先を確認します
 

わたしの場合 今回向かいたい先は
 

人の反応が気になり嫌われたくない自分がいたとしても
それがあると知りながら、今まで以上に
思ったことをハッキリと他者を介さず伝えよう♪
 

5、このアクションを実際に起こしていきます
 

これで終わりです 

 
これだけだとシンプルなので
内観にほとんど時間とられませんし  
怒りがすぐに 自分が向かいたい先への
原動力と感謝に生まれ変わります
 

同じように対応していくと
 

☆自分だけ注目されていないと
気が済まないのがいや(他者)
→リーダー気質の自分を認め 
もっと目立ってもっとやりたいこと
バンバンやっちゃえ〜♪^^ 
 

☆無駄なことをしている わたしがいや(自分)
☆急な変更をする わたしがいや(自分)
 

<この二つは相反するようにみえて
 実は課題としてはセット>
 

→ 今はエネルギーをひとつのことに注ぎ 
注力して事を成したいんだね
でも その行為もすっごく楽しいのなら 
無駄ってことはないのかもしれないよ
 

不必要なことにエネルギーを使わないと
決めているから 変更が起こるのであって
不必要なら波のように去っていくから 
そこに罪悪感を抱かなくても大丈夫 
 

こんな風に  
自分の中でオリジナルの理解がありますから
そうすると 何を望んでいるのかがみえて 
スッキリ解決です 
 

自分のメッセージを読み取らずに
怒りを感じなくしようとか 
感じてないふりとか 我慢をすると
 

どんどん 目の前に もっと <わかりやすく> 
怒りを感じる出来事が 起こってきます 
 

ボリュームアップ 
これをわたしは目の前に出てくる料理が
デカ盛りになっていくとよんでいます
(親切ですね。。。笑)
 

ですから 感じたときに  
怒りを自分が望むことへのメッセージに
素敵に変えちゃってください
 

怒りは シンプルなメッセージなのです
 

ポイント
1、他者に対しての怒りは 自分のこととして切り替える
2、そのことに対しての 何が嫌なのか 観てみる
3、そんな自分も確かにいることを認めて 許し 全面肯定
4、自分がこれから向かっていきたい先を確認する
5、アクションにうつしていく
 

鏡は 鏡としてつかってください
鏡に八つ当たりするのではなくて
自らが にっこり 笑顔になるための 鏡です☆

=======================

〜怒りと自己否定〜 その1
 

怒りを表現されている人が多いこの頃
 

わたし自身も 怒りを感じる頻度が多く
それについて内省していますが
 

エネルギー的に変化しているため
以前に比べて怒りの質が 
カラっと晴れ渡っている分 
そこに囚われにくく  
より内省し対応しやすくなって
いるように感じます
 

そもそも 怒りってなんで起こるのって
本来は <わたしは これじゃない>
っていうことを教えてくれる
シンプルな指針です
 

それを <他者に感じたとき>に 
怒りという形で発生することが多く
 

逆に  <自分に感じたとき> 
自己否定 自責 となります
 

ですから、
怒りについて内省しようとする場合
同時に
自己否定や自己嫌悪もセットで
観ていくと 
いま自分が何を望んでいるのかが 
全体的に 整理されてきます 
 

<わたしは これじゃない>
ということは
 

<わたしが いま 
 望んでいる方向はこれです>
ということを教えてくれていて
 

また、弱い自分を同時に
許して 慈しみ愛してあげるということです
 

一度そのテーマが原因から解放されてしまうと
そこには 怒りを感じなくなりますし
整理し 自分の進んでいく方向を
ハッキリさせてあげ 慈しみ 許して
愛することは
 

怒りを他者に対して表現したり 
発散することでの解消法や
自分の感情を押し込めて溜めて
我慢しまうという選択をせずとも
 

自分の中で スッキリと解決していきます
 

そうすると なんだか 
ムスっとしたり 
プンスかプンプンっていう 
怒りそのものが 
愛おしく 可愛らしく感じてくるのですね
 

そして 自分が何を望んでいるのかの 
指針として感謝の思いが湧いてきます
 

長くなりましたので  
次で具体的に例を出してどうするのかを
書いていきますね 
 

☆ ポイント 
怒りを観るときは 自己否定 自責も
いっしょに みてみるとわかりやすい♪

=======================

無限という体験は
 

自らの微力さを知り
幼さを認めていく強さを知ること
 

自分の伸びしろと 向き合いながら
微力さに秘める
いまにおける
不完全という完全性を体験するとき
 

顏を変えて現れた自分のすべてと和解して
世界のすべての自分と抱きしめあって
 

多くの加護と世界中の応援を受け
すべてが味方となりて
 

一歩を踏み出すとき
あと残るは 自分自身
 

自分自身の 勇気
 

世界中が 胴上げしている いまを感じて
 

*** 
 

日々、サポートがハンパない感じです
感動とテンション↑↑出来事の連鎖☆で
エネルギー充満☆準備万端!


http://www.youtube.com/watch?v=K1u_MwT6zV8

=======================

謙虚さがない 
傲慢だと感じるあなたに
 

謙虚さって 頑張ってなんとか
なるものじゃなくて
自ずと沸き上がってくるもの
 

だから 謙虚じゃない
傲慢な自分がいるのは
 

自ずと謙虚にならざろえないほどの
信じられないほどの 
たくさんのサポートを受けていることに
まだ 気づいていない
 

もしくは そのサポートを充分に
受け取ることができて
いないだけ
 

愛を受け取れていないだけ
 

だから 大丈夫
これから たくさんたくさん
 

愛される ってことを 体験するよ
 

愛されてたって わかることを 
体験するよ
 

受け取り上手になり 
サポートに気づけていける出来事があって
宇宙が愛してくれているとわかる
出来事があって
 

誰かが プレゼントをあげようと
待ち構えていて
 

頑張らなくても 
自ずと謙虚になってゆく路が
先に続いていると
 

そう 世界は 教えてくれる

=======================

〜頭の良い 自分を受け入れる〜

 
どうでしょう? 
今日のタイトルって
ちょっと抵抗ある方多いんじゃないかな
 

本日もまた 濃い時を過ごしました
その中で ひとつハッキリとしたことが
あります
 

今日、 <才女> とか 言われたときに
どちらかというと 嬉しいよりも
その自分を毛嫌いしているような
感情があったのですね
 

それに加えて 頭が良いとか 
そういった言葉を
最近きいていたのですが 
今日はっきりしました。
 

わたしは、幼少の頃 
莫大な劣等感を補おうとするための
優越感を得るために 
小〜中と 学校の成績がとても
良かったため 
 

頭がいい
→優越感に浸り人を見下す傲慢な自分
を思い出させる
 

その上、頭が良いという裏には 
ずる賢さだったり
狡猾ささったり、人を騙し欺くといった
側面があるために どちらかというと  
頭が良くない自分のほうが
都合が良かったのでした
 

わたし わかんな〜〜い 
って言っていた方が楽だったのでした
 

日本人は 謙遜して 
頭がいいですよね と言われると
大抵のひとは、
 

そんなことないですよ
 

という反応になることが
多いような気がしますが
その言葉が 謙遜だけではない
意味を含んでいて
 

頭が良くないことのほうが 都合がよい
 

と思ってる場合って 
けっこうあるんじゃないかと思いました
 

それをカモフラージュするために 
ずっと感覚派なのだ!
として そちらにウエイトを傾け
生きてきましたが、
 
 
頭脳派のわたしも 感覚派のわたしも
確かにわたしなのです
 

頭脳を
知恵を
豊かさのために 賢く使い 
 

ひとつひとつを
丁寧に 生きていきたいと思う
今日このごろ
 

闇と共に、聡明さを受け入れることで 
聡明さが 発揮できるのだと思います

=======================

今日は まだ終わっていないのだけど
ここまででも いろんなことがありすぎて
とても 濃い一日となっています☆
 

その中のひとつをシェアします。 
 

今日、思ったのは
<わたしの役は、もののけ姫のアシタカ役でいいんだな>
 

っていう安堵です
 

どういうことかっていうと、アシタカは
村を襲おうとするタタリ神に矢を放ち
命を奪う事と引き換えに死の呪いをかけられて
その呪いをとくために 旅に出るのです
 

ポイントは 
<守ろうとしたためであり 
それもまた 守る愛であった>
ということ 
 

わたしは、アシタカのように
その呪いの解く方法をずっと探して 
必死で実践してきました 
 

自らにかかっている  
思い込みや観念や深い深いネガティブな
セルフイメージを 覆すために  
どんどん解放してどんどん
幸せになっていきました 
 

愛して 愛して 愛することで  
呪いはとけていきました
 

けれども、 
世間一般の幸せをっていうものの最高潮を
しばらく味わった後ときに
 

わたしは その幸せは  
わたしの望む最高ではないと
そう 感じたのです
 

東京の一等地に住み 健康で
愛する人と結婚し、笑い合って
ステキな子どもと一緒にいて
 

楽しく仕事をして  
こころ許せる友人と共に笑い合い 喜びあう 
 

楽しいこと たくさん海外旅行にいって  
美味しいものたくさん食べて
本当に たくさんたくさん遊びました
 

母の病状も良くなり 
時々遊びにいく適度な親子の関係性も 
もてていた
 

そんな わたしの世界
 

そんなわたしの小さな世界の中にいて
すべてが充足したかのように思えていました
 

でも 幸せって 拡大していくもの
わたしは 世界に目を向け始めました
 

<わたしは、死ななかったけれど  
自ら命を落とそうとしている人の助けになりたい 
誰でも幸せを創ることはできるのだから>
 

小学生、中学生の頃  
毎日命を断とうとしていたからこそ
 

同じような方に寄り添いたい
 

そう思って 心や真理の世界に入ったのです
 

そうして ストイックなまでに追求し探求し  
どんどん自らの傷が癒え
それを提供し 他者の傷が癒えていったときに  
観えたもの 
 

それは 新たなる 自らの傷でした
 

こんなに頑張ったのに 
パーフェクトは無理だとしても
まだそんなに傷があるのか
それを認めたくない自分がいました
 

そしてそれは
もはやそれは、話をきいただけ 
本を読んだだけ
マインドで理解するとか 
メソッドをやってどうとか
思考の書き換えがどうとか
そういうレベルのものではなく
もっともっと深い  
 

細胞レベルの呪いのようなものでした
 

アシタカの呪いのように 
 

そんなものは ない 
あると思うから思うんだ という抵抗の気持ちが
自分の中で沸き起こり 深い葛藤を生みました
 

<あると思うからある ないと思えばない>
 

というのは 全くもって真理であり 
真実なのですが
そんな傷なんて思い込みなんだから 
ないと思おうという思考
感じていることと思考とのギャップが 
深い葛藤を生み出しました
 

感情は 正直です
 

だいたい、すべてのことには意味がないんだ
まったくもって <ゼロ>だってのを
体験したんだから とも思おうとしました
 

当時 わたしの周りにいた仲間も 
いつまでも 傷にとらわれていないで
行動し 新しく創造し 
生み出すことこそ 価値があるという
スタイルであり 
 

癒してもらう側だけに留まることは 
停滞を生むだけだから
行動にうつしていこう 循環していこう 
という思いはいっしょでした 
 

(それは 今もまだ わたしが
 大切にしていることです
 完璧主義の傾向があるので 
 最初の一歩が踏み出せない傾向がありますが )
 

最終的に
わたしが 最も信頼しているのは 
自らの感覚であり 正直さでした
 

そうして わたしは 更なる自らの恐れと
闇と向き合うことにしたのです
 

そして 今わかることは
傷が癒えたと思ったら 新たな傷が見つかる  
 

深い 深い部分での 人類全体としての傷 
 

そんな 新たなる傷と向き合う方法を 
新たに見つけ みんなの傷を癒す方法を
先に自らが向き合い
癒し導いていくことだったのだ ということです
 

この先 アシタカのように 
自らが傷があると知りながら
それを 我が手に感じながら
曇らない目で 世の中をみつめていった先は
更なる 恐れと向かい合うことでしょう
 

首を返す という役目であれば
浴びるように 新たな傷が 浮き上がるのを
見ることになるのだと思います
 

闇と向き合うことになるのだと思います
 

そういった 新たなる覚悟ができてきている
このごろです
 
 

もののけ姫 動画

http://www.youtube.com/watch?v=jaqEmuSgSWU

http://www.youtube.com/watch?v=8v9DzfEUt9A

=======================

発言力や影響力や権力が
目の前に広がれば広がるほど
 

<失いたくないもの>  が生まれる
 

引っ込みがつかなくなる
 

謙虚さを失わないままで
どこまで 偽らなく飾らない
自分を出し切れるのだろう
 
 
その時その時の
等身大でいられるだろうか
 

弱さも脆さも 抱きしめながら
不完全の完璧性を 
しっかりと
こころの目で観ることができるだろうか
 

リーダーとは何か
学んできたことを 活かせるだろうか
 

今のわたしの時点の理解を 
どこまで 丁寧に 
多くの人に通じやすい配慮を
含めた表現にて 届けることができるだろうか
 

今まで 世界で体験してきた 
すべての知恵と方法を使い
 

ゆっくりと しかし確実に
新たな 一歩を踏み出そうとしている いま
 

雨は 完全に上がり 日が降り注いでいる
 

世界のすべてが 応援してくれていることを
肌でひしひしと感じながら
 

*** 
 

こんな記事を書いていたら
母から 電話があった
 

北海道から こちらに出てきたわたしに対して
困ったことはないか 
無理はしないように
母ができるすべてのサポートをするよ
という提案だった
 

重度の 精神疾患の診断を受けている
あの 母が
 

包丁を振りかざし
裸で外を飛び出し
行方不明になり
会話をすることすら 困難で
娘であるわたしが 誰だかわからなくなった
 

あの母が
   

心の深い傷や怒りや悲しみを抱えながらも
 

これほどまでに 変わり
これほどまでに 愛の人となったこと
 

それは わたしからしてみたら 奇跡 
 

絶望を体験したからこそ 伝えられるものがある
 

だからこそ わたしは
歩んでいくんだ

=======================

同じ曲において
 

第一楽章と 第二楽章って
曲風から 何から 同じ曲なのかってくらい
違ったりする 
 

その 間 に何があったのだろう 
 

その 静寂という 調べの中に 
何を生み出したのだろう
 

世界はいつも移り変わっていくし
同じ楽章の中の 小さなフレーズとしても
変化していくけれど 
 

まったく新しい調べを生み出すための 
狭間の中の破壊と
葛藤と混沌と創造といったら
 

その時代に
人として地球で生きることを選んだ 
わたしたちといったら
 

どの人も なんとまあ 
チャレンジャーなことか
本当にそれだけで 勇敢な魂だと敬服する
 

勇敢である故に 
抱えている臆病さと向かい合いながら
 

自分にとっての正直さと
向き合い続けることだったり
愛するってこととと
向き合い続けることは
決して楽な道のりではなくて
 

ましてや新しい時代を切り開いていき
他者に対して 導く役目だと
それは 尚更そうなる
 

人に提供すればするほど 
多くの叡智が降り注ぎ 

自分の無知を知り 
自分の愚かさや闇を知る
 

だから、途中下車したり 
ある程度のラインで適当に抜けて 
楽しくやってればいいのだけれど
 

幸か不幸か
わたしは 真面目で 
加えてど根性の持ち主であった(笑)
 

そうして 
自分の弱さを知る強さを持つ わたしは
露出する自分の弱さや闇にうちひしがれながら
 

強さ そのものであることを 体験するんだ
 

いま、周りにいる仲間は
そんな 人
 

愛するってことを 決してあきらめない
そんな 人
 

今の気分は こんな感じ 
 

ドヴォルザーク 新世界 第四楽章

http://www.youtube.com/watch?v=w43c0Xmh33Q

=======================

走って 急ブレーキ! 
 

違うところに また 走っては  
急ブレーキ!
 

そういったことに 慣れていたので 
歩くって何だろう?って思っていたら
 

気負わず 背負わず
怠けず 逃げず
 

どうやら適温のお風呂みたいなものだった
(しかも 長時間入っていられる ぬるめのお湯)
 

こうしてみると
自分のテンポで 心地よく歩いてるって 
自覚している人って 
そんなに多くいないのかもしれない
 

走って 急ブレーキで  
方向転換したりするか
 

じっと黙って      動かないか
 

ゴールに着いたと    自慢してるか
 

走ってるつもりなだけで 足踏みしてるか
 

ぜいぜい言いながら   走り続けてるか
 

andante♪ でいこう☆
 

走りたくなったら そのとき 走ればいい

=======================

どんな あなたでもいい
 

そのままの あなたが大好きなの
 

怒りっぽいところも 
自分勝手なところも
弱さも 脆さも 傲慢さも 
 

あなたが もし 
自分のどこかが許せないときは
 

思い出して
 

あなたの代わりに 
どこかで 既に許して 

ずっと 
ずっと愛している人が必ずいること 
 

かつての わたしが既に許され 
ずっと愛されていたように
 

あなたには そのままで 
愛される価値がある
 

青に抱かれ 
青に包まれていると知りながら
青の夢を観る
 

それが 生きるということ
 

*********** 

最近、<青> という色が気になります
青い石だったり 青い花だったり
 

そして 
青って 空だったり 海だったり 
〜地球〜 だったりするのかなって
そう 思うのです
 

さいごに 青い太陽という楽曲を紹介します
青い太陽

http://www.youtube.com/watch?v=1Zc8l0O1SiQ
 
 
<青い太陽 歌詞 一部抜粋>
 
 
私達の太陽は全ての星から
独立した存在であり
ただ1つ「夜」に存在出来ない星である。
 
 
その理由は太陽から発せられる
「光」にあった。
その「光」とは太陽の「存在条件」であり
それは永遠の孤独を意味した
 

今日も太陽は「孤独の象徴」として
世界を照らす
 

私達の太陽はいずれ終わっていくのだろう。
 
 
私達の太陽はいずれ死んでいくのだろう。
 

その時、私達の地球は
太陽の色に輝いていたんだと解るのだろう。

=======================

いつも 突然に沸き起こる
 

これは 一体なんだろう?
 

こころの奥底からやってきて
こころを揺り動かす
 

その名は
 

『情熱』
 

情熱って
何か特定のことに対して 
押し付けられて
生まれるものじゃない 
 

持ち続けなきゃって
一生懸命歯くいしばって頑張ったって
所有できるものじゃない
 

消そうとか無くそうって
水かけてみたって
消えるものでもない
 

理由を見つけてみようと
そこら中を探して歩いても
すべての理由なんて
探し当てられるものじゃない
 

次に何が 自分の情熱の対象になるのか
予測してみようとしたって
そんなに当たるものでもない
 

1つに対して 情熱が宿るのもいい
 

花から花へ飛び回るように 
情熱の対象が移り変わるのもいい
 

その どちらにしても
 

情熱のあるほうへ 歩むことは
自らの道標を辿ること
 

何者かを知る旅の途中で

=======================

どれほどの たくさんの証拠が
目の前に並べてあっても
信じたくないときは 
信じられないのも  人
 

たった1つでも 目にしただけで
自分にとっての真実は 
自分の進む道はこれだ 
と信じることができるのも  人
 

そして
まだ 起こってない 
自分の心の中にしかない
まだ 体験していない 
目にしていないことを
自分の創造力を信じることができるのも  人
 

どれもが 人の心に 混在していて
混在しているからこそ
 

たった1つのその選択に
自らの選択の変化に
オリジナルの創造に
価値がある
 

混沌の中の真実という自分を

=======================

幼子のように 無邪気に 
 

いまを感じて 生きる喜びを感じて
 

そうした いまが 
 

未来を紡いでゆく 
 

*** 
 

心を入れ替えて 幼子のようでなければ
天国に入ることはできないだろう
(アンデルセン 雪の女王より 聖書の一節)
 

氷を溶かし 
永遠 という文字を紡げるのは 
 

温度〜ハートだけ
 

溶かされたとき
氷の重りが外れ 飛べるようになる

=======================

夢を 叶え合っている 
 

その真実を知ったときに感じた
とてつもない悦び
 

少し後から訪れた 自分の使命への恐れ
 

なぜなら 光となることは 
同時に闇を創りだすということだから
 

闇を極限までに体験した 
わたしがまた 光となれば
どこかで闇を生み出しているのだと
 

その事実に対しての
凄まじい恐怖感と 創造の責任への重圧
 

けれど 
こころの奥で沸き上がる声は消えず
使命への想いを消すことはできない
 

何をしにきたのか 知っているのに
知らないふりはできない
 

いま わかること それは 
 

共同創造の意味を知りながらも  
光として世界を歩む人は 
 

深い闇を体験しながらも 
闇を体験することができたことが  
心の奥底から良かったと 
ギャップこそが悦びだと  
一切の躊躇なく 言い切れる人なのだと 
 

自らの闇の体験すべてを 受け入れ愛し
愛されていたとわかり
光として覚悟して生きている人なのだと
 

*** 
 

今年 自らに関わるエネルギーの存在が
自らの思考に多大な影響を与えるということ
 

つまり マインドでいくら納得していても
思考の癖が治らない部分があるのは 
エネルギーによるものなのだということが
はっきりとわかる ある体験をしました 
 

マインドで 学ぶこと
マインドで 変えようとすることでの
限界を知ったことでもあります
(もちろん マインドでの理解も
 とても大切なものです)
 

いくら自力で頑張ったとしても 
波動、エネルギーが変わらなければ  
変わらないのです 
 

ある シャーマンの方との出逢いを通して
エネルギーを学んできたわたしは 
その体験を通してようやく 
自らの状態がどのようなものであったかを
知ることになり 
 

同時に 
母の精神疾患がどうして起こったのか
ということも 理解したのでした
 

シャーマンとは
 

恐れることなく
自分の一部でもある世界のすべてと対面し
大地とひとつとなって 
土の一粒一粒までに光を与えることを望む存在
(リーブス抜粋 http://jp.leavesinstitute.com /)
であると知り 
 

スピリチュアルティーチャーと同時に 
自らの体験から
シャーマンとしても歩みたい
という想いが強くなっています
 

最後に リーブスでは 
以下のイベントが主催されていますので
必要な方に目に入るように シェアさせていただきます

http://jp.leavesinstitute.com/workshop/event2013.html

=======================

終わらせたかったのは
夢そのものではなくて

 
悪夢
 

悪夢を終わらせるために
夢を観ていることを思い出し

 
夢に抱かれ
 

そうして 抱かれるとき
与えていて

 
与えるとき 抱かれている

=======================

破壊ということは 
新しい創造を生み出すために 
必要なことと知っていても
 

ときに 自らのパワーが恐れを抱く
 

台風が通った後のように
人々を巻き込んでは 
すべてのものをなぎ倒していく
 

その 力に
星をも 破壊し 創造していく 

 
その力に
すべては 本音が叶っていく
 

いつだって いつだって そうだった
 

本音が 叶うってこと

 
そして 自らの 破壊の威力を知り
自らの 本音や 
こころからの望みが何かを知って
どうなっていくかが 予測できたなら

 
こころを よくみて
何を 選んでいったらよいか
それが わかり
いままでの行いの 真実を知り

 
そのとき 罪悪感は 自由に変わる
 

破壊という パワーは
自らのためだけに 使うものではなく
 

真っ暗な 洞窟の中  
先人たちの 残した 温かな灯火を頼りに
松明をかかげて 先陣を切るために
 

新たな社会を切り開いていくための
暗闇と思える そこに 希望という星を宿し
新しい 銀河をつくるための

=======================

ちょっぴり 怖がってる
自分自身にも
 

OKの花を 届けることができたなら
恐いものって 他にあるのかな
 

未知の世界に 踏み出す一歩
 

小さな 一歩と 思える それが
世界を変える 起点となるってこと
 

どこかの世界で 
つながってるって 
いつかのあの日 きいたんだ

 
真面目な わたしが 
自らの闇の大きさに震えて
     

<信> という 灯火が か細く 
今にも消えそうだったとき
 

ある人が わたしに こう言った

 
『 あなたのことを  あなたを 
  信じてあげられなかったら
  他の 誰が あなたを信じるんですか?
  自分のことを 信じてあげてください 』
 

それは わたしが 元気なときに
震える あの人に 伝えたことば
 

すべては すべては つながっていて
困ったときに わたしを助けてくれる わたし
 

灯火が 消えかかっても 
それが 完全に消えなかったのは
 

灯火が 消えかかっている人に 
わたしが与えた愛が 
 

わたしの 心にも 残っていたから 

=======================

ときの鼓動と 静寂の香りの中
 

彼は 柵に入っている馬の中から
わたしに馬を選ぶように言った
『どの 馬にしますか?』
 

そこには 様々な種類の 
様々な色の馬がいた
 

セルフランセ、シャイヤー、ハフリンガー、
サラブレッド、アンダルシアン、フリージアン
 

鹿毛、黒鹿毛、青鹿毛、青毛、栗毛、栃栗毛
芦毛、佐目毛、河原毛、月毛、白毛
 

どれも ステキな馬だったけれど 
決めかねていたら その時 
一頭の美しい白い馬が 猛スピードで
森の奥に走っていくのが遠くに見えた
 

『わたし。。。あの馬がいいわ』
 

彼は 首を横にふりながら言った。
 

『あの馬は。。。
あれだけはやめておいておいた方がいいです。
確かに 桁外れのスピードの持ち主ですが 
何しろ 野生で言うことをききやしない。
 
 
そもそもつかまえて 乗ることは困難でしょう。
引きずられるのがおちです。
万が一乗れたとしても 
走り出したら止まらないから
変な方向に行って途方にくれるかもしれないし
 

それに いつ振り落とされ
落馬するかわかりません。
 

そうしたら あなただって命を落としかねない。
悪いことは言わないから やめておきなさい 』
 

『でも。。どうしてもあの馬がいいわ
わたしなら できるの 
わたしなら きっとあの馬を
乗りこなすことができる 』 
 

わたしの目は 輝きに満ちていた
 

わたしの心が 固く決まっていることを確認し
彼は ため息をついた
 

彼は わたしが 一度言い出したら 
絶対にきかないという
性質であることを よく知っていた  
 

『仕方ない。。。 それでは 例外だけれど 
 君の馬はあの馬にすることにしよう。
 いいかね 充分に注意すること 
 そのスピードは 強さでもあり 脆さともなる 
 諸刃の剣であることを ようく心に刻むんだよ
 それでは 行ってらっしゃい』
 

そうして わたしは 旅に出た
 

***
 

わたしは 人生の 初期
ずっと 馬に引きずられながら 旅をした
 

そのうち 少しづつ 
馬の好きなところに行きながら
仲良くなっていって 気分の良いときには
のせてもらえながら旅をした
 

変な方向に行って 迷って死にかけたり
振り落とされて落馬もした
 

最近 ようやく 彼の好みがわかってきた
彼は 手綱をつけられるのが嫌い 
 

夜空の星の中 
わたしと一体となって走るのが好き
風の歌を聴きながら 休むのが好き
とても強がりで寂しがりやだから  
抱きしめられるのが とっても好き 
 

大変な想いもたくさんしたけれど
わたしは わたしの愛馬を愛している
 
 

野生の馬って曲 きいたことあります?

http://www.youtube.com/watch?v=PQWipL20AN8

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〜 風の谷の ナウシカに想う〜
 

とても 身近にあるのに
切り離すことなどできないのに
 

いつも いつも
嫌われたり 鬱陶しく思われたり  
憎まれたり 誤解されてきた 
腐海や 腐海に住む虫たちに
 

こころあたりは ありませんか?
 

ナウシカは 次のように 言っています 
 

『 綺麗な水と土では、
  腐海の木々も毒を出さないと分かった。
  

  汚れているのは土なんです。 
  この谷の土ですら、汚れているんです。』 
 

『 腐海の木々は
  人間が汚してきたこの世界を綺麗にするために
  生まれてきたの。 
 

  大地の毒を体に取り込んで、綺麗な結晶にしてから、 
  死んで砂になっていくんだわ。』
 

わたしは 腐海やそれを守る虫たちは
マインド、思考、自我 こういったものと 
とても似ていると思うのです
 

様々な対処法 様々な対応法の  
情報が あると思います
 

その中で わたしが思うのは
マインドの理解と エネルギーからの対応方法
 

自分で行えるもの 他者からの愛と癒し
 

その どれもが その時々に出逢う人々に
大切な役割をしているのだと思います
 

ただし 腐海やそれを守る虫たちがいることに
嫌気がさし <消そう> と嫌った場合

 
どのようなことになるかは 映画のとおりです
 

腐海の毒の真実に立ち向かうときに
腐海の 毒におかされることもあります 
 

死ぬかもしれない 
と思うくらいの痛みを伴うこともあります
 

しかし 
毒は腐海に原因があるのではなく
水と土が汚れていること 
に原因があると知ったなら
 

どこかが 傷ついているだけ 
どこかが汚れているだけと 
 

自分を守ろうとしているだけ と 
信じきることができたなら
 

原因が 必ず 観えます
 

腐海の毒は 教えてくれているのです
 

水が汚れていることを  
土が汚れていることを
 

そして 真実に立ち向かい 

自らの 腐海の真実を知り
虫をも 愛し 土と水を奇麗にしたとき
もはや 瘴気を 腐海は出さなくなる
そう 思うのです
 

戦いではなく 共存
 

外側も 内側も 
ただ そのすべてを 愛していくだけ 
ただ 抱きしめていくだけ
 

外側に みえるものは  
すべて内側にもあるもの
 

奇麗な 土と水からの 美しい世界は
 

あなたの 中にある 

http://www.youtube.com/watch?v=W7CiNg3XRdE

=======================

人生に
新たな角度から観る
しなやかさを添えたなら
あなたの日常は一変する。
 

同じ 時間
同じ 一日
同じ 一ヶ月
同じ 一年
を例え過ごしたとしても
  
 
多角的な角度から 
物事を捉えることができたとき 

重厚感と絶妙な次元の重なりの奇跡を感じて
一日の深みを感じずにはいられない。
  

現象という波という表面だけを観るのか。
海の中に潜るのか。
  

花びらの一枚だけを眺めるのか。
折り重なる花のすべてを味わいつくすのか。
  

すべては、あなた次第

=======================

一筆書きを知っていますか?
あの、一筆書きです。
  

先日、一筆書きで絵を描いている夢を観ました。
わたしは夢の中で、まず下の部分を描いていて
その絵をみながら、
上の絵を上下対照に描こうとしていました。
  

本日のせた画像は、
その一筆書きのイメージに近いものを 
オリジナルでつくってみたものです。
  

人生って、 
一筆書きで描いた絵に似ているなと思います。
それぞれのタッチがあって、
それぞれのカラーがあって
いつだって、いま自由に描けるところも。
  

人生のラインを、 
一筆書きの絵のようであると観たとしたら
  

進んでいると思っていることや 
後退してしまったと思えるところさえ
   
 
実は、絵の装飾に過ぎなかった
ということに気づいてくると
過度な一喜一憂のボリュームがおさえられ 
今までつけてきたギザギザが
なんだか可愛く愛おしく思えてくるかもしれません
  

いま、私たちは
創造という力を <何に 使うか> 
ということを、今一度問われている時のような
気がいたします。
  

絵は、何時だって
いまここから描くところは白紙で自由ですが
今まで描いてきた絵を見ないで
関係ないことにして
描きたい絵は、描けないような気がします。
  

もちろん、全然関係ない絵を描くことだって
自由ですしそれを止めることは誰にもできません。
何でもありで、すべてはゼロというところから 
どうするのか ということです。
  

わたしのケースですと、
散々今まで描いてきた絵を観て
更に細かく、最も観たくない部分に
重要なヒントがありました。
  

最も観たくない部分というのは 
これから最も描きたい部分というところと
連動しています。
  

最も不幸せのなかに
最も幸せの方向性が含まれていて
あなたが何に対して最も幸せを感じるかを
不幸せは知っています
  

湖面に映った、幻想の部分の絵をよく観ながら
これから描く本来の己としての絵を描いてこそ
人生という絵のすべてを観たときに 
描きたかった絵が描けることもあるかもしれません。
  

別の言い方をすると
絵は先に決まっていると仮定するなら 
今から描きたい(最も体験したい)ことを描くには 
描きたいところの上下逆の絵の部分を
先に描く必要があったのかもしれません。

=======================

『どうして、あの星はあんなに奇麗なの?』
と君は尋ねた。
  

空を見上げる星の中に、
ひとつの星があって
自分の目には、一際目立っているように
感じられたからだ。
  

その輝き方が
明るさだけでなく、透明感や気品や優しさが
備わっていたことを、君は見逃さなかった
  

『どうしてだろうね』
と、わたしは微笑む
  

いつか、君も知るだろう。
  

星が美しく輝くということは
漆黒の闇を知り尽くし、 
体験することでもあるのだと。
  

深い哀しみや怒りや憎しみといった
ありとあらゆるものを深く深く体験して
その輝きは生まれる。
  

夕焼けの空には、
まだ、星があまり見えないように
漆黒の闇とのコントラストこそが、
星を美しくしている。
  

わたしを知り
わたしを体験するための。

=======================

自らの役割を行うためには
必ず、自分という役を演じることが
できるような相手役が必要になってくる。
  

完全なる、共同創造。
  

そのことを、真に理解したとき
すべてへの感謝と共に
その責任の重さに、
恐れが生まれてくることがある
  

例えば 
医者を演じるには、病人が必要であり
癒し手であるには、
癒される人と癒す要因が必要だから
  

自分が選んだ役を
与えられた、この役を演じきりたい。
  

自分が何者かを知り
自分の役割を知り
  

恐れを解き放ち
 

鎖を断ち切り自由になり
 

愛して愛されて
 

自分の能力を活かして
歓びに満ちた人生を歩む
その、お手伝いをしたい
 

この半年間、リーダーや組織
表現といったことを沢山学びました。
  

わたしが、わたしの役割を全うするために
今、わたしにとって必要なことは
少しの休養と、
美しいものに心を委ねること
 

そんなアップグレード中な感じのわたしが
自分を癒したいなと思うときに聴く 
とても大好きな曲 アメージンググレース。
  

曲だけでなく、白鳥英美子さんの澄んだ声が
こころの奥に響きます

=======================

気づかないふりなんて
いつまでもできない。
  

何が自分にとっての真実なのか
みんな、心の奥で知っている。
  

感じるんだ。
知ってるんだ。
何を体験したがっているのかという自分を。
  

素晴らしすぎて
完璧すぎて
眩しすぎることでさえ
望んだっていいんだ。
  

すべては、
ゼロの元で繰り広げられるストーリー

=======================

体験するために ここにいる
どんな体験も プラスもマイナスも 
本当はなく
 

すべては ゼロだから 
 

他者の行く先 
その向こうの景色が何か知っていても
止めることはできない
 

すべては 自由だから
 

100% 
すべてが自らの 思い通りだと 
受け止められる勇気を
責任という名に変えて 
 

ある人が言った
責任を負えば負うほど 自由になると
 

ステキな言葉だなと思った
 

どれもが自分が創りだしたということ
望んだ現実であるということ
 

弱さを認めたときにこそ
本当の強さが現れる
 

原因を知ることで すべては変わる
 

いま 自分にとって必要か
必要じゃないか 選び直せるから
 

あなたの望む道に祝福を

=======================

時を超えた約束
それは 何だろう
 

夢を見続けるために
夢を叶え合うために
 

あなたとした 約束
 

約束の代償として すべてを忘れ
忘却の中から   導かれる真実
 

あなたの 外側にも あなたがあって
あなたが 世界に散りばめられていること
 

あなたの 観ている景色を愛することが
あなたを 愛することなのだと
 

忘れないで
 

目の前の景色は   あなたそのもの
あなたにないものは あなたは観ない
 

出逢いは 奇跡
出逢った人の すべてを愛して
物語の すべてを愛する
 

すなわち あなたを

=======================

自分が何者か 
 

無知 ということから
生まれるものは 何だろう
 

知っている ということから
生まれるものは 何だろう
 

何も 何も 知らなかった頃
自分を守るために 行きのびるために 
生きていた あの頃
 

わたしは
知らずにたくさんの鎖を纏っていて 
同じ苦しみのループから抜け出せずにいた 
 

そうして 人生を 命を 心を 
そのすべての仕組みを知るために
傷ついては 探求し 傷ついては探求し
 

他者のこともまた傷つけて
 

無知の 苦しみは 底がない
大安心という 底の存在を 知らないから
いのち ということが 何かを知らないから
 

それは 死を知らないということ
つまり 生を知らないということ
 

探求していくうちに 
少しづつ仕組みがわかってくる
自分が何者か知っている という感覚
そうして 知った途端 
それを伝える難しさに気づく
 

究極のところ 
とことんまで 自分が体験しないと 
気が済まないことって けっこう ある 
 

痛い目に合わないとわからないのである
 

それが例え、本人にとっては きつい体験
きつい真実を知ることになるとしても
体験したいのだ
 

ほんの 少しだけ 
世界の仕組みを知った後に訪れるのは
知らない人にそれを伝える難しさと 
 

わかってもらうことの 必要のなさと
助けることの 必要のなさ
 

そういった 自らの微力さを感じながらも
その一方で 無力ではなく
大安心のなか 生きることを 
いのちであることを
自覚して 創造に責任をもって 
生きている
 

わたしの目の前にきて
知りたいという人に
伝えたり 引き出してきた 真実
 

わたしは わたしの目の前の人が
誰にも話せなかったことを 
Ayaさんだから 話せた と楽になったり
 

なんで こんな話をしているんだろう 
不思議と気づきがある と 
気付きを自分の力で得たり
 

やりたいことへどんどん加速していく!
楽しい!とスピードを得たり
 

人に優しくなれるようになった! とか
自分が好きになれるようになった!
と 誰かを愛せるようになったり
 

あのことは決して 
哀しみだけではなかった
あの人のことを 許すことができた
と 自らのこころの囚われから
脱出することができたり
 

長いこと続いていた 
ループを終わらせることができたり
 

自分の好きなことをやりはじめて
活き活きとしてきた! とか

自分の夢が見つかった!
って 夢を人生を創造できるようになったり
 

そうして 
人が幸せになっていくのを眺めるのが
最高の歓びなのです
 

そして いま すべてのピースが揃い
共に夢を叶え合える仲間をつくるとき
それは 浅い表面的なつきあいの距離でなく
深いレベルでのつきあいによって 
色々なものが見えても なお
愛し合える関係性の そんな仲間
 

今度の3/11 あの日に
いのち とは何か 生きるとは何か 
夢とは何か
 

わたしとは 違った世界で 生きてきた 
皆を照らす 太陽のような人
 
 
凍った 心を溶かす 絶対的な 温度の持ち主
中武謙信氏の講演が開かれます。
 

彼からは 
温度 と 本気 と 満ち足りたいのちという
躍動感を感じることができます。
温度って 連動して 自らの温度が上がると 
人って 高く飛べる
 

講演の前に 17時〜18時半頃 食事会を開いて
(各自の食事代金のみ)
色々皆で語りあって 
彼の講演をみんなで 観ようと思います。
 

お申し込みいただいた方のみ 食事会の場所はお知らせ
させていただきます
 

お会いできること 楽しみにしています
 

講演の詳細は こちらから

https://www.facebook.com/events/487608661301609/

Aya 

=======================

大好きなことをしているとき
大好きな人と過ごしているときって
 

本当に どんどん元気になって
活力が溢れてくる
 

まさに 源
  

人によって 何をしているときが 
一番の歓びであり幸せかは 違うし
 

それぞれ 描きたいストーリーも 違う
 

わたしのように 
キラキラとした歓びや楽しいこと 
それと共に 調和的でゆったりとした癒しを
好む人もいれば
 

困難、チャレンジ という 
苦労の末の達成を好む人もいれば
 

静かでミステリアス ということを好む人もいて
 

まさに 何が幸せかは 人それぞれ
 

まるで 観たい映画を選ぶかのように
それぞれの 好みの映画が 奏でられていく
 

あなたは どんな 映画が好みですか?
 

アクション
サスペンス
ヒューマン
ロマンス
SF
コメディ
恋愛
etc…
 

わたしの好みは
 

ヒューマン(感動モノ)&恋愛(ロマンス)
がメイン。
 

それに加えて、アドベンチャー&SF(笑) 
あたりも混じっているかな。
 

オリジナルの映画をつくってプレーしてみよう!
あなたの オリジナルの幸せな映画を。
 

舞台は あなたのためにある

=======================

決意
 

ことばに現れているように 
決意って 決めるってことだけれど
決意したら わたし という人を含めて
世の中のすべてが動き出す。
 

決意って
絶対にそれを体験すると 知っていること
 

自分の力でもいい。
自分以外の力(ラッキー)でもいい。
 

ところが 決めたことが いくつかある場合
決めたことが 相反しないでいるときは 
どちらも 決意したことをスムーズに
叶っていく感じがあるけれど
 

決意した 両者 例えば AとB この両方が
それが 絶妙に相反することであった場合
もの凄い葛藤が生まれる。
 

どちらもとても大切だから 
だから 決意をしたのだから。
 

でも よく観ると AとB 
どちらかを失わなくてはいけないように
例え見えたとしても
どちらも 絶対に達成したいことならば
 

必ず 道はある
 

どちらも もの凄く大切なわけだから 
Aだけを選んだ場合
Bに対しての欠乏が生まれて 
どこかのいま 心残りのBを
やりきろうとする思いが残ってしまう。
 

諦めなければ AとBの両方
兼ね備えているものが 目の前に現れる
 

矛盾 の中にこそ 
新しいアイディアが生まれる
 

それは 
本当に奥底にある想いが叶っていくので
形を変えてやってくる
それは、ときに人やモノという器、形を変えて
 

人を変えて 器が変わって 形を変えて 
自分のところに届いている 
という視座をもっていないと
 

自分の心残りは何で どうしたかったか 
どう望んでいたかを 見誤る
 

届いていないように 見えて
届いたものを 大切にできないからだ
 

あんなに 望んだものだったのに 
そこに感謝がなくなってしまう
当たり前に思えてしまう 
当たり前のことなど何一つないのに
 

本当は  いま すべてを 手にしている
いつかの いま 自分が描いた夢を
 

すべてが愛だと信じた確信か 
自分の不安からの確信か
どちらにしても 強く確信していたほうの夢を
 

だから 必ず届く 
自分が今描いた夢も
届いたときに 困惑しないで 
受け取れるか
はやく届きすぎたといって 躊躇しないで 
表現できるか
 

いつだって 
あなたが表現したかったあなたを
たった今 
表現できる チャンスなのだから
 

***
 

きょうも あなたが ここにいてくれることに
本当にありがとう!
あなたに 心からの祝福を☆
 

Aya

=======================

遠い昔 
わたしは とても大切な人を失いました。
 

とても とても 愛した人。
正確には とても とても 一生懸命 
愛そうとした人
 

そのときわたしは
自分の物差しでしか 物事を観られなくて
 

<この人は 自分よりも 遅れている 
 自分のほうが 進んでいる>
と錯覚し 
 

<自分が先を行っている> 
<この人はまだまだだ>
という 眼鏡をかけて 
物事を観て 判断していたのです。
 

成長って 人それぞれのペースがあって
それぞれが 自分の精一杯をやっていくことが大切。
 

彼は とても一生懸命わたしに  
向き合ってくれていたし
彼の 精一杯を 見せてくれていました。
 

でも、真実が観えたのは  
彼を失ってから。 
 

その時は 口ばっかりで 
真剣に取り組んでくれていない
そう 思っていました。
 

先にいっていると思っていたわたしは  
彼の理解よりも遅れていて
様々なプロセスが 交錯していて 
本当の意味で上も下もない ということが 
腑に落ちたのです。
 

彼の可能性が素晴らしくて 
素晴らしい才能を持っていることが 観えたから

だからこそなのだけれど  
応援を一生懸命するうちに
彼のペースがもどかしくなって
わたしは 応援に拍車をかけすぎたのです。
 

<この人は 自分よりも 遅れている 
 自分のほうが 進んでいる>
 

という狂った眼鏡をかけていることに
気づかないのは 本当にとても恐ろしい
 

彼の言葉の ほとんどが  
出来ないことへの言い訳にしか聴こえなくなって
 

社会への貢献 世界へのためにという
名目の正義の刃をかざし 自分は 彼のために  
心から良かれと思ってしていた応援の中に
 

実は 自分の思い通り 
つまり 
支配やコントロールのエネルギーが
混ざっていたことに  
わたしは気づくことができませんでした。
 

そして、多くの場合それは  

 
注1)コントロールドラマや
注2)家庭内ストックホルムシンドローム
と 名付けられた
エネルギーの奪い合いの傷によるものから発生します。
 

わたしは、この両者ともに どちらも体験しました。
これらの仕組みを知り、インナーチャイルドを癒して 
絶対的な自己の存在の肯定をしていかない限り 
 

真の心の平和は得られません。
 

その支配やコントロールの鎖は
実は自分自身を縛り付けている鎖であると知ったとき
それでも まだ縛りたいのかということに
気づかされるような出来事が
どんどんエスカレートして起こります。
 

雁字搦めになって  
もう終わりにしたい と本気で思うまで
 

自分の傲慢さを認めて 価値観の転換を行うまで
 

聴こえる声、ボリュームが大きくなってきます。 
とても親切ですね。。。(笑)
 

彼に不足をみればみるほど 
自分が不足になってゆき
 
 
彼の不甲斐なさをみればみるほど 
自分が他者から同じことを思われていました。
 

一人称だから 誰かに対して 
放った思いや言葉や行動は 例外なく 
どこかの いま の自分に還ってゆくのです。
 

それを理解したとき、
もはや他者を変えようとする必要はありません。
 

他者が選択できるように  
自分が観えている景色を伝え
選択肢を提供したならば そこからは 自由。
 

どちらにせよ 他者が自分で良いと思ったことを
選択するからです。
例え、他者が自分で良いと思っていることが 
セルフマインド コントロールであったとしても。
 

謙虚さって とっても大切だなと思います。
後輩や部下から たくさん意欲的に学ぶ
リーダーになりたいです。
 

そのためには、風通しをよくして 
思いを伝えてくれていることに感謝しながら 
お互いに尊敬しあえる関係性を 
つくっていくことが大切だと思います。
 

***
 

注1)コントロールドラマ
 

私達人間は、心理的な高揚感を感じるために
互いにエネルギーを奪い合ってしまいます。
 

その手段として、人はそれぞれ自分の役割を演じ
そのドラマの中でコントロールされてしまうのです。
 

例えば、
短気な人間は、他の人達を恐怖で追い詰めます。
このような恐怖と、「次に一体、何が起こるのか」
という緊張感を伴った注目を
自分に向けさせることで
この人は、周囲の人達からのエネルギーを強引に
奪い取ることになるのです。
 

この人は、「脅迫者」として 
コントロールドラマにはまってしまいます。
 

注2)家庭内ストックホルムシンドローム 
 

「ストックホルム症候群」とは、
人質として監禁された人が、
恐怖と生存本能に基づく自己欺瞞的心理操作
(自己防衛本能、セルフ・マインドコントロール)
から、犯人に対して好意を抱くようになることをいいます。 

1973年8月に発生した
ストックホルムでの銀行強盗
人質立てこもり事件において
人質解放後の捜査で犯人が寝ている間に
 

人質が警察に銃を向けるなど、
人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取って
いたことが判明。
 

また、解放後も人質が犯人をかばい 
警察に非協力的な証言を行ったほか、 
1人の人質が犯人に愛の告白をし 
結婚する事態になったことなどから 
名付けられました。
 

『家庭内ストックホルムシンドローム』は
「家庭」というある意味、閉鎖された環境の中で、 
虐待やDVや子供に対する否定、支配など  
様々な問題が起きた場合
 

子供が自分の生命の全権を握っている親に対して、 
自分の安全を守るために、
セルフ・マインドコントロールを行い、 
親に対して過度の依存感情を抱くことで、
恐怖や憎しみや怒りなどの感情を包み隠してしまい、
 

やがて成人してパートナーを選択する時に、
幼い時に作り上げた依存感情を愛情と勘違いして、
親が持っていた弱さの部分
(たとえば、すぐ暴力をふるう、
 言葉の暴力を使う、威圧的、支配
 浮気性、嘘をつくなど)
を隠し持つ人をちゃんと嗅ぎ分けて
 

あえて そんな異性を好きになり
(もしくは異性、同性に関わらず側にいて
助けてあげたいと思い)、
共依存の関係を作り上げて、
悪循環の中に はまりこむことを言います。
 

そういった人は、
自分自身も暴力をふるう、言葉の暴力を使う、
威圧的、支配、浮気性、
嘘をつくなどの行動を行って 
それを正当化することも行います。
 

虐待やDVという過度なものでなかったとしても、
例えば 男の子が 幼いときに 悲しかったり
苦しかったりして母親に助けを求めた際に、
その感情に共感せず
男の子なんだから、泣くんじゃない!
と自分の感情を否定され 
 

自分の存在そのものを肯定されず、
母親からの受容と共感を得られなかった子供は
 

<強くない自分は愛されない>
<努力しない自分は無価値である> 
 

という セルフイメージが創られ 
強迫観念的な焦燥感と否定感が混ざった
人生に取り組むことになります。 
 

<強くない自分は愛されない> 
<努力しない自分は無価値である>
というのは そっくりそのまま他者に対して 
 

<強くないあなたを愛さない>
<努力しないあなたは無価値である>
という思いとなり、それを表現し、
 

またそれは自分自身への否定となるため
この仕組みを知らないとずっと 
自分が自分の一部分をずっと

 
愛することはできないままです。

=======================

山の高さを知る君に、お願いがある
 

君の登ったその山を、 
わたしもいつか観てみたい
 

だから、登り方をわたしに教えて
その山からの景色は、 
どんな景色なのだろう
  

その景色を観るために 
どれほどの努力と、どれほどの困難を乗り切り、 
どんな仲間とたくさんの涙と、
たくさんの笑顔の中、登ったのだろうか。
  

人は、それぞれの山をのぼる。
わたしが登ってきた山は
海の底の海溝という山。
  

暗い暗い海の底から 
光さえ届かぬ暗闇から 地上へ登ってきた。 
 

だから、海の底の景色なら、よく知っている。
 

そして、そこからどうやって光を見つけ
どうやって、地上へ登ってゆくかということも。
  

明るさを知る君へ  
太陽となって皆をあたため育んで
 

暗さを知る君へ   
暗闇に光を見いだし 星となって皆を導いて

今、太陽と星が手を取り合う時
その架け橋という虹にわたしはなろう

=======================

固体が液体になるのが、融点
液体が気体になるのが、沸点
水であれば、融点は0度で沸点は100度
  

物質によって、融点と沸点は温度が違う。
エタノールの融点は、
マイナス115度で沸点は78度
窒素であれば、
融点はマイナス210度で、沸点はマイナス196度
  

このように、沸点もマイナスのものもあるし
逆に食塩などは、
融点が801度で、沸点は1413度だったりするので
これらは、比べようもないしそもそも
 

比べることに意味がないというのがわかります。
  

これと全くもって、同じことが人にも言えるのです。
融点も沸点も人によって違います。
  

例えば、
融点という点を 自分がやりたいことをやろうと
思えるくらいの原動力。
沸点が 自己実現達成だとすると 
  

人によっては、さっさと融点にたどり着いて 
沸点に向かう人もいれば
融点にたどり着くまでに、時間がかかる人もいる
  

そしてそれは、その人が誰かと比較して 
弱いとか、強いとか、そういうことではなく
 

誰かと比べられるものでもなく
経験から生まれる、融点と沸点の
違いによるものなのだと 
 

そう、観ることもできたときに
  

融点と沸点の、温度がどこであるかということよりも
今の温度が、何度であるかということよりも
  

<どれくらいの 温度差を体験したか>
  

というところに、目を向けることで 
その人の、本当の努力であったり経験そのものを 
理解する大きな要因になるのです。
  

そして、その温度差という差は 
誰かと比べられるものではなく
自分自身の中で繰り広げられる、温度の違い。
  

プラスの温度だけで、     繰り広げられるもの
マイナスの温度だけで、    繰り広げられるもの
プラスとマイナス両方の温度で、繰り広げられるもの
    
 
それぞれに、美があります。 
  
 
私は、海溝スタートでした。
だから、辿り着くのに時間が人一倍かかりました。
    
  
走っても、走っても
それでも、まだ、道のりは遠く。
  
 
それでも、一歩一歩、進んでいくことで
人生は創られます。
  
  
温度の差を体験した者は
愛の器を広げられる者です。
  
  
己の絶望を超えよ。
己だけの絶望を超えよ。
   
  
そこに、光がある。

=======================

わたしは、以前
自分は飽きっぽくて怠け者で 
すぐに諦めてしまう、
とんでもないヤツだと思っていました。
  

だから、自分には努力や
継続性が必要だと思っていました。
 

そうやって必要以上に
自分自身を戒めていたのです。
  

ある時
  

何事も挑戦したがるが 
すぐに飽きてしまうという、その特性は
別の角度から観ると、視野を広げ、
物事を即見極める力がある。
  

ということに気付き、 
自分の中で繰り広げられていた戦いが
終わったのです。
  

そして、それと同時に、
わたしは信じられないほど
努力家で継続性がある人だとわかり、 
ひとしきり泣きました。
  

何に対して、努力するかは人それぞれ。 
 

わたしは、愛することを、
そして幸せになることを
 

ひたすら、
血のにじむような体験を重ねに重ねて 
時には死にそうになりながら
 

ずっとずっと、努力してきたのでした。
  
 
内なる戦いを終わらせる。 
 

それが、統合と呼ばれるものです。

=======================

どれほどまでに 自分が、
ワガママで自分勝手で
傲慢だったことに気づいたとき
 

人は、また一段と優しくなれるんだ。
  

正義という名の元に、 
刃をかざしていたことに
 

自らの弱さを知る。
  

ワガママで自分勝手で 傲慢な自分を
愛する他者に観たときに 
逃げ出したくなったり、
苦手だなって思ったり
それでも、 決して
 

愛することを諦めなければ
  

その他者の特性を理解し、 丸ごと愛することで 
自分を知り、理解し、愛することができるんだ
 

誰もが、他者を  愛したがっていて
誰もが、自分を  愛したがっている。
  
  
違っても、違っても、
愛したがっているのは、同じ。

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物語って、いつも突然はじまる。
  

それと同じように
パズルのピースが揃ったら 
突然はじまってしまうのかもしれない。
  

一瞬で、今までいた舞台から降りて 
新しい舞台にあがり
新たな物語の 主人公になっている。
  

そうして、
新たな仲間と一緒の物語を観るとき
この世界の白と黒の両方の美しさを
知ることになる。
  

自分の役割を知っていて、
自分が何が大好きかを知っていて
自分らしさが、何かを知っている人の瞳は
 

輝いている。

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ありのままのあなたで、いいんですよ
その言葉を、 
わたしは幾度人に伝えたことだろう
  

自分を否定し、
自分を愛せない人たちに
自分を嫌っている人たちに
自分のことを許せない人たちに
 

愛と共に、その言葉を伝えてきた。
    

先ずは、
現状の自分を全面的に肯定し続けることで
今ということを完全に認めることで、
癒されていくから
  
 
しかし、
ありのままのあなたでいいという言葉は
一部の人たちには、そのままでいいという
ニュアンスの都合のよい言葉に置き換えられ
  

変化することへの、成長することへの
逃げとして 
惰性の創造の人生への
言い逃れとして 
使われてしまうこともあって
  

それも含めて、完璧だとは知りつつも 
今日もまた
 

言葉で誰かに想いを伝えることの 
脆さを知り
だからこそ、想いを伝えることの 
大切さを知るんだ
  

ありのままとは、人間であるとは
変化すること受け止めていること。 
 

わたしたちは、 成長し拡大し変化していく存在。

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また、あの人に会いたいな。
そう思わせる人
どうして、そう思うのだろう。 
  

忘れられないような、一言。
どうにも、惹かれてしまう、仕草や態度。
そして、その想いに。
    

決して、所謂良い人ってわけじゃない。
でも、どんなときにも、その人らしさがあるような
 

つくりものではなくて、 
内側から溢れ出るような、
何かが。
    

その人らしく、正直に生きている人に
自分らしさを輝かしている人に、 
人は惹かれる。
    

みんなから、好かれている人の秘密は
いかに、自分の本質を生きているかによる。
  

つまり、
自分が何者であるかを
知っている人ということ。

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これがないから
これができない。
  

そうやって、
出来ない理由探しをしているうちは
例えそれを得たとしても、
次のできない理由が生まれるだけ。
 

形を変えて、出来ない理由が現れる。
  

物事を実現させていくためには
条件や環境を言い訳にするのを辞めてみる。
  

いま、この状況のなか
確実に行動できることはなにか?
チャレンジできることはなにか?
新しくはじめられることはなにか?
  
  
行動と行動という点と点がつながっていく。
その行動の先に、チャンスが訪れてくる。
  

小さいころ、砂浜に行って砂浜が目の前にあり
砂を掘って砂の山をつくりたかった時に
『スコップセット一式がないので 砂をほれません』 
などとは言わなかったはず。
  

自らの手で、できるところまで
砂をほって、砂を集めているうちに
砂まみれになっている、その姿をみて
スコップを差し出してくれる人が、
目の前に現れるんだ。
  

そのうち、一緒に山をつくってくれる人が
目の前に現れるんだ。 
 

世の中ってね そんな風にできているんだよ
  

あなたが望む未来に
今できることは何ですか?

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本当は、とてもとてもシンプル。
与えたものだけが 還ってくる
  

見下しなら、見下しが
ジャッジなら、ジャッジが
競争なら、競争が
 

励ましなら、励ましが
本気なら、本気が
学びなら、学びが
  

愛なら、愛が。
  
  
どんな世界を選びたい?
どんな世界を体験したい?
  

すべては、こころの赴くままに 
自由に選んでいける。
  

祈りのなかに満ちた本気は
目の前に、現れてくる。

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弱いということを
認められずにいるとき
人は苦しむ。
  

強くなろう こんな自分にならなくてはと
  

最高に恥ずかしくて、最高に情けないけど
弱いんだ。
 

弱くてもいいんだ。って知ったとき
己の内側から、わき起こる 強さを知るんだ。
  

自分独りで、全部なんでもできたら 
なんのために、自分はここにいるのかわからない。
  

自分が、他者を必要としないとき
他者も、自分を必要とはしないだろう。
  

助けあうということで
己の弱さを知るとき
  

助け合うことで
すべてという、強さを知る。

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あなたの中に、疑問や問題があるならば
あなたが、その答えそのものとなりなさい。
  
  
世界はどうしてこうなんだろう。
自分はどうしてこうなんだろう。
人は、どうしてこうなんだろう。
  
  
どうして。
どうして。   
    
  
そんな疑問があなたの中にあるなら
あなた自身がその疑問の答えとなるのだ。
  
  
答えを追い求めるのではなく
答えそのものとなった時
疑問や問題が消滅していることに
気づくだろう。
 
 
なぜなら、あなたが問いの答えだからだ。

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